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あたしは魔改造の指導者

今回はあたしのライフワークの一つであるジュニア年代のサッカー指導にまつわるお話し。

少し前の投稿でNHKの「最後の講義」の話しをしたが、もう一つNHKで「魔改造の夜」と言う好きな番組がある。

主な内容としては企業の技術者が既製の家電や玩具に魔改造を施して競う番組である。例えばルンバに幅跳びをさせたり扇風機の威力を増して50m走させたりする。

出場は毎回3組で主な構図としてはトヨタやホンダ等の自動車大手企業に対して新進気鋭のベンチャーと町工場が挑む様な感じだ。

魔改造の内容やプロセスも大いに興味深いところではあるのだが、
あたしにとってこの番組の最大の魅力は理系技術者のメンタルだ。

確かに勝負事ではあるんだが、彼らの本質は文明の発展なのだろう。違うチームの挑戦内容に一喜一憂して失敗すれば同じ様に悔しがるし、成功したら素直に「すげぇーーー!!!」と褒め称える。

何て素敵な世界観なんだろうか。

話しは冒頭に戻るが今回はジュニア年代サッカーの話しだ。

非常に残念な事だが、上記した様な理系技術者の様な世界ではない。

単的に言わせてもらうが、勝利至上主義に満ちた狂争(あえて競争じゃなくこう書かせてもらう)だ。

小学生の選手や保護者にサッカーにおいての成長は中々理解が難しいと思う。そうなって来ると成長度合いの指標はやはり結果と言う事になって来るのだろう。

「試合に勝つ結果が出ている🟰上手くなっている成長している」と言う認識なんだろう。

あたしが子供の頃と今もそんなに変わっていないが簡単に結果を求めるのであればやり方はシンプルだ。難しい事はせずに足の早い身体能力の高い子に蹴って走らせれば良い。とても原始的なやり方だがそれに尽きる。

そこには戦略・戦術・技術は必要ない。

サッカーをある程度知ってる人が観たらわかるが、ヨーロッパのサッカーのソレとは全くの別物でありむしろラグビーに近い。

あたしは自慢ではないが小学生の頃は足が早かった(当時の藤沢市の同い年の100mの記録では3番目だった)

ご多忙に漏れず当時所属していたチームの戦術は相手ディフェンスの裏に蹴ったボールに野人・岡野の様にあたしが食いつきゴールを決めると言うスタイルであった。

そしてその為にチームメイトはひたすらに守備をしていてくれていたのを指導者になった今は誠に申し訳なく思う。

あたしがバカで融通がきかなかったらからなのか?当時のコーチに知識がなかったからなのか?
今となっては知るよしは無いのだが、今のあたしだったら絶対選ばない戦術だ。

「蹴るサッカー」とは伊勢原にある大山阿夫利神社の中腹にある下社にケーブルカーで行く様なものである。

登山道を通らずにある程度の所まで行けてしまうが山頂にある本社には登山準備が無ければ行く事は叶わない。

ヨーロッパの「パスサッカー」とは非常に難しく技術も頭脳も要求される登山道のコース。中腹の下社にたどり着くのも困難ではあるが、山頂に繋がる道を進んで行ける事は確かだ。その代わりに技術や戦術と言う名の登山用品を揃えていく事が求められる。

あたしは中学生になった際に地域のジュニアユースに所属した。一応セレクションも受けて選ばれたと言う事実が変なプライドを持たせて勘違いは加速した。

ぶっちゃけ戦術的にはフィジカルを押し出した蹴るサッカーとそんなに変わりはなかったと覚えている。(1軍のレギュラーみんな高校生ぐらいデカかったし)
そして小学生の自分が井の中の蛙だったとフィジカルモンスター達に思い知らされ行き詰まった。

中腹の下社までケーブルカーで登った所で山頂には行けない事を知らされた。

登山道から登り直そうにもそれを教えてくれる指導者が周りにおらず、サッカーから離れた。

そこから時は経ち20歳を過ぎた頃にフットサルコートのアルバイトをしていた縁からCKB(cafe kudo brazil)と言うチーム(工藤くんって同僚が発起人だったのよね)を作って遊ぶ事が増えた。
強い弱いの話しは置いておいて、メンバー全員がモノホンのサッカー好きだった。徹夜でウイイレや朝までファミレスでヨーロッパサッカーとお笑いの話しをした。

彼等と一緒に居る事で止まっていたサッカーへの見識が深まりだして気づけば技術的にも登山道を知らないうちに歩んでいた。

ただあまり努力した覚えもなくただただ楽しかった。試合をしたり大会に出ることもあったが、その頃のあたし達にあったのは純粋に楽しむために上手くなる事だったし、相手も楽しんで凄えプレーしてくれる事に嫉妬や悔しさは無かった。(もちろん勝つためのつまらないやり方はめちゃくちゃディスってたけど)

メンタルの状態は魔改造の夜に出てくる理系エンジニア達と何ら変わりはない。

オリンピックを観てて感じたのだが、スケボーの選手達にも同じ様な物を感じる。
確かに競技としては技の優劣はあるがそんな事よりもスタイルやファッションのオリジナリティの魅力を重視しているし相手のミスを願っている様な奴は居ないし、お互いが極限までベストを尽くせる事を望んでいる。

そう言う精神がそのスポーツを更に発展させていくんじゃなかろうか?

自分が指導してしている子達にもそうなって欲しいと思っている。相手のミスや不幸を望むんじゃなく、お互いのとびっきり凄えやつの出し合いを通して成長して欲しい。

「魔改造の夜」にはもう一つ影響を受ける素敵な部分がある。第一試技と第二試技があることだ。
どのチームも第一試技では狙い通りにマシンを動かせるかが課題になってくる。
そこで失敗してしまったチームは第二試技で上手くいかなかった部分に再度チャレンジする。

そして成功したチームは第二試技では更に記録の更新を狙ったチャレンジを行ったり、そもそも全く違うマシンを登場させたりする。

サッカーで言う前半と後半に置き換えてみよう。
前半でそれまで練習・準備してきた事にチャレンジする。上手くいったなら後半は更なるチャレンジをするし、前半に上手くいかなかったなら修正して再度チャレンジを行えばいい。

小泉進次郎ぐらい当たり前の事言ってると思うが改めてその大事さを認識させられるぐらいグランドにいると勝利に取り憑かれて全てを忘れた指導者・保護者・選手をびっくりするぐらい目にする。

そう言うモヤモヤしたものが「魔改造の夜」を観ていると浄化していく気がする。

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