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「この番組、辞めさせてください」

前回の「楽しい?」とは真逆の話。

今まで仕事を辞めたいと思ったことはないが「番組を辞めたい」と思ったことはあった。今回はその時の話。

30代半ばで、新しい担当番組に移った。それなりのキャリアを積んできていた僕は、特に大きな気負いもなく新しい番組の会議に出席したのだが、異変は早々に起きた。

会議で話していることに、何も感じないのだ。それまでは、良くも悪くも心が動いていた。議題について「面白い!」とか「つまらん…」とか、何かしらの思いが生まれていたのだが、心の針がピクリともしない自分がいた。

今まで携わってきたことのないジャンルを扱う番組だったので、その時はまだ「どうしたらいいんやろう」くらいの気持ちで、危機感まではなかったのだが、実作業に入るとその影響はとたんに出るようになった。

何が面白いかわかっていないから、ピントがズレたものを仕上げてしまい、上司から苦言を呈された。当然のことだ。でも自分ではどうしていいかわからない状態が続いていた。ヘタにプライドもあったせいで他のスタッフに助けを求めもせず、僕は蟻地獄のように転げ落ちていった。

そのまま2ヶ月ほど過ぎると、先に心と体に変化が現れた。まず夜、無音で眠れない。iPodに入れていたナイナイのオールナイトニッポンをイヤホンで聴きながらでないと寝られなくなった。

感覚も過敏になっているのか、横になって膝と膝が当たると、そこが響いて仕方なくなった。

1か月の間に血尿が2回出た。もちろん2回とも精密検査をしたが、原因は不明で「病気ではないから大丈夫」と同じことを2回言われた。

「今まで色んなことを乗り切ってきた」と思えば思うほどドツボにハマっていった。今思うと軽い鬱状態だったのかもしれないが、自分が鬱になるという発想自体がなかった僕は、自分の実力不足を恨むようになっていった。

この話で言っておきたいのは、上司や同僚からのパワハラの類は一切なく、紛れもなく自分1人で問題を抱えていた結果起きたことである、ということだ。

新しい番組について3か月が経ったとき、僕はある上司を呼び出して言った。

「この番組を辞めさせてください」

今ギブアップ宣言すれば、テレビ制作から異動になるだろう、そう思っていた。まだまだやりたいことはあるが仕方ない。覚悟の上でのお願いだった。

上司の返答は「もう少し時間をかけてみよう」だった。何の解決にもなってない、とは思わなかった。弱音を吐いた時点で、僕の気持ちは思っていた以上に救われていた。

その頃、体に別の不調が見つかり、1週間の検査入院をすることになった。結果的に「問題なし」で退院するのだが、この1週間が大きなポイントになった。

基本ベッドにいるしかできない僕の楽しみはテレビだった。しかし、煌びやかなゴールデンの番組は音も画面もうるさすぎて見ていられなかった。僕が一番見ていたのは、それまで「全然面白くない」と思っていた『ヒルナンデス』だった(関係者の方、もし見てたらすいません)。

あおりすぎず、騒ぎすぎず、平和で穏やかなのに楽しい時間が過ぎる『ヒルナンデス』を、僕は無心で見ていた。「心が疲れている人に寄り添うテレビが作りたい」と、ベッドの上でいくつか企画書を書いた。

「異常なし」という結果の安心と、おびただしい量の業務からいったん距離を置いたことで、僕は退院するとき心が軽くなっているのを実感していた。

「1回ギブアップ宣言したし、またダメならさっさと辞めよ」

そう思って復帰すると、会議でも少しずつ心が動くようになった。僕は徐々に自信を取り戻していき、いつの間にか忙しくも楽しい日常が戻っていた。

もちろん1人で立ち直ったわけではなく、めちゃくちゃな弱音を聞いてくれた人たちの支えや、少しずつ職場環境を整えてくれた上司たちのおかげも大きい。

色々書いたが、これはただの昔話で、教訓でもなんでもない。でも僕にはこの経験が今後に活きたことは間違いないし、今となっては必要な経験だったと思っている。

ただ誰にもこんな経験が必要かと問われたら、それは違うと思う。楽しいなら楽しいままの方が絶対いい。

こんなこともあり、前回の「楽しい?」に繋がっていく…という話でした。