大陸軍は歴史の暗部と化す。過去のナポレオン1世の如く____
過ぎた過去の事さえ持ち出され扇情的に書き立てられた新聞記事は、当然彼らの意中のものでは無かった。だが、もう既に一種の倦怠感がそこにあったのも否めない。
そもそも、だ。1914年のあの時から果てしない”戦闘”を続けてきたのは紛れもなく彼らと独軍の2通りしか存在してはいなかった。
イギリス軍はBEFを派遣したが本格的に国力を費やしたのはそれから数ヶ月先のことであったし、ロシア軍は中途で完全に崩壊した。ベルギー王国の軍勢は真先に戦火に飛び入らされたが、的確な兵の運用で今次大戦中イープルを突破されることをついぞ防いだ。という実績はあるもののそれは消極的かつ局所的なものでもあった。
つまるところ、最も長く血で血を洗う争いをした当事国は仏独の二カ国のみと言える。
しかし、余りにも長い戦闘と一箇所に拘泥していた軍への不信は最後の局面において防戦思考に移っていた仏軍の様子を見ても明らかだった。防戦というのは確かに合理的だ。何より補給が安定している。それはそうだろうと一蹴する事は容易い、何故ならこれが如何に重要かはあらゆる戦闘行為からとっても自明であるからだ。
私は祖国愛に溢るる若者だと自負しているが故に一つ言わせてもらうと、この防戦思考には大いに反対している。今次大戦の我が国はハンニバルよろしく山攻めに次ぐ山攻めの歴史と言っても過言では無いだろう。
その結果多くの将兵を失ったものの得たものは非常に狭いアルプス山脈のその先へと続く血路だけだった。その泡沫の、しかし薄明ながらの現実を夢であると言わんばかりに諭したのは、それは敵国ドイツや好敵手オーストリア=ハンガリー二重帝国の好む音楽に喩えていうならば”転調”……
独軍は新戦術である浸透戦術、本場ではフーチェル戦術とも言われる戦術を取り入れた事により我々の戦線に大きく穴を開けた_____その後の我々は仏英軍と共に戦線を再構築するのがやっとであった。
最も、攻勢に出ると取り決められた頃には既に我が国の上層部からの伝達により戦争からの一早い離脱を成功させていた。外交的勝利を内向的に勝ち得たわけではあるが、こうして私が筆を進められるのもその甲斐あってと言い換えることは可能だ。
しかし、断じて我々はドイツを、そしてオーハンを勝者と認めてはいない。あの時、我々がもしも外向的に勝利を求めていたら、我々は戦闘に負け、戦術でも負け、戦略的にも大恥を晒した挙句外交的勝利のみを得た連合国の一員としてせせら笑われる事もなかったろうに……
だからこそ私は求める。かつての強いローマを、ガリアもゲルマニアも征服したあの頃を。私の掲げる理想は泡沫でも薄明でも終わらせない、その為には彼らの云う”転調”を私は望む。そしてそれが叶わぬというのならば、私自身が転調として。時代の寵児と呼ばれ敬われるか叛逆者として声高に批判されるかは分かり切っている。多分に漏れない結果とだけは言える。それでも私は____
書き上げられた機関紙はその文字通りに彼の祖国への愛を表していた。だが、現段階では彼の執筆が再開される事は無いだろう…「現段階では」 彼の名は、ベニト・ムッソリーニ 新聞記者を務める愛国心に溢れる若人である。彼の書いた機関紙はその蒙昧な記事に掻き立てられた彼の国より風の噂でジークの耳にも止まったが。彼曰く、「彼の国で書かれた機関紙は美大に入りたての素人の描くキャンバスよりも夢に溢れているのだろうか」
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