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Blog:昔のプレイボーイクラブ@ロンドン

こんばんは。
いらっしゃいませ。 ”倶楽部♡ばにがる”へようこそ。
どうぞ、こちらへ。オーナーのまぐ太です。


昨日は、フォードVSフェラーリ見てきました。
最高です。熱い男のドラマでした。

さて、本日はマニアックな話していいですか?
ヒュー・ヘフナーが作ったプレイボーイクラブの話なんですけど。

ここに来てくれるお客様はバニーガールがお好きでしょうから、すこしはマジメにバニーガール関連のお話もしないといけないかなと最近思ったりしました。

あれ?やっぱり、イラストが沢山見れたほうが嬉しい感じですかね?
絵が見たい人はこちらとかどうでしょう?

まぐ太FANBOXノート:5ページ

まぁ、いいや。


で、今回はバニーガールが働いていたプレイボーイクラブについてです。

以前、Twitterで2018年終わりに30年振りにオープンして話題になったニューヨークのプレイボーイクラブについて話しました。
このお話をする前に、少しネットで調べたら驚いたことにニューヨークのプレイボーイクラブが開店一年後の去年11月に閉店してしまいました。
#Metoo運動の影響とも言われていて 、お店はステーキハウスに業態を変えるということです。
あんなに高いメンバーシップ料金払った会員さんたちはどうしているのかちょっと気になります。
行きたかったんだけどなー。
ああもう。

ニューヨークのプレイボーイクラブは、閉まってしまいましたが
まだ我々にはチャンスがあります。
ロンドンに、プレイボーイクラブが残っているのです。

ですが、ここでお話するのは現在のクラブではなく、
1966年イギリスに初めてできたロンドンのプレイボーイクラブの話です。

元ネタはこちら
https://www.architectural-review.com/today/how-the-london-playboy-club-bankrolled-hefs-empire/8680952.article


雑誌プレイボーイがヒューヘフナーの手により1953年12月に出た後、程なくして知り合った後プレイボーイ社の副社長になったビクター・ローンズがヘフより託されて、イギリスにオープンしたクラブです。

●で、結論なんですが

「やっぱり、行ってみたいわ本場のプレイボーイクラブ」

ってことです。

イギリス行ったことないしなー
初めてのイギリス上陸と合わせてロンドンのプレイボーイクラブ行くかー
って感じです。

この話は一部過去にツイッターでも紹介してましたが、覚えてる人はいないんじゃないですかね。


しかも、話始めると長くなるので、今回は半分だけにしておきましょう。

●当時、プレイボーイクラブといえば、
セレブ御用達のクラブでもありました。
1968年ロンドンのプレイボーイクラブでは、ロマンポランスキー監督とシャロン・テイトの結婚式も挙げられたそうです。

ロマンポランスキーとシャロンテートですよ、映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ですよw

●ロンドンのカジノがほかのプレイボーイと違ったのは
カジノがあったことです。
これがめちゃくちゃ成功して、プレイボーイ本社を資金面で大いに支援することになりました。

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1960年に最初のプレイボーイクラブがオープンしてから、66年までに全米で16か所作られ、最終的には全世界で33か所まで膨れ上がりました。
まさに、プレイボーイ帝国。

今や、見る影も無くなってしまいました。
雑誌の売り上げも激減しています。プレイボーイクラブも殆どありません。
僅かな収入源はプレイボーイのロゴやラビットヘッドのライセンス使用料です。
過去に築いたブランド価値の残り香でなんとかやってる感じです。

創設者ヒューヘフナーが亡くなった際の財産が意外と少なかったとも報じられました。

●プレイボーイ クラブロンドンが入居していたビルは
10階建で、当時でも有名な建築家グループが作ったモダンなビルでした。
当時のプレイボーイの戦略は有名かつ威厳のある場所にクラブをオープンさせることでした。

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これって、高級ブランド店の常套手段ですよね。
Apple Storeなんかまさにそう。

プレイボーイクラブの内部はヒュー・ヘフナーの自宅であるプレイボーイマンションの部屋割りにちなんで命名されたフロアで構成されていました。

プレイルーム
ペントハウス
ライブラリVIPルーム
リビングルーム
など
もちろんそれぞれのフロアにバニーがいます。

ロンドンのプレイボーイクラブは複数フロアにまたがるエンターテインメントセンターが狙いでした。
なにせ10階建てなんで。

1階クラブの入り口に入ると受付エリアがあり
プレイメイトバーが隣接していました。

2階はリビングルームと呼ばれレストランとディスコ

3階はVIPルーム、洗練されたディナーとダンスが提供されました。

4階はプレイルームのレストランとステージがあり最高のショーと料理が振舞われ

5階はペントハウスと呼ばれ、カジノになっていました。

カジノより上のフロアはメンバーやゲストエンターテイナーの為の宿泊や滞在に使われる部屋でした。
例えばサミー・デービスJrなどは9階のペントハウスに滞在したそうで。

●ロンドン進出にあたり
イギリスのメディアや体制側からはアメリカ化の象徴として、雑誌のプレイボーイなどは非難の対象になっていました。クラブに対してはそうでもなかったようなのですが、穏便にとは行かなかったようで。

ロンドンのクラブが一番攻撃されたのは会員を募集したときです。

プレイボーイはイギリスではまだ珍しかった直接手紙による勧誘を行いました。
郵送された手紙の相手、その数なんと40万人。
その中には貴族や上級官僚、経営者、重役、イギリス図書館館長までいたわけですが、
こともあろうか最高位聖職者にも送られました。
不幸なことに、カンタベリーの前大司教も含まれていて、憤慨した司教の中にはプレイボーイのメンバー勧誘担当に抗議の手紙を送りつけました。
が、プレイボーイの返事は悪ぶれることもなく

「クラブはロンドンの旅行客向けに経済的な恩恵となることでしょう」

うわぁ。
だから、イギリス人から攻撃されるのよw

●そんな大勧誘作戦に対し
2万人が好意的に反応し、8ギニー(金貨)の会費を払ったのです。
(ギニー(guinea)は、かつてイギリスで使われていた金貨。21シリング(1ポンドは20シリング)に相当する価値があった Wikipedia)

結局、大人気に・・・・

つづくー。

今日はここまで。


元ネタはこちらなんで、待ちきれない人は読んでみてくださいね。
https://www.architectural-review.com/today/how-the-london-playboy-club-bankrolled-hefs-empire/8680952.article


そろそろお帰りですか、、、あ、明日月曜日ですもんね。
え?あれ?成人の日で休み?
ああ、いいですねー。私は休みじゃないですけどw

すいません、一人でロンドンプレイボーイクラブの話をダラダラしてしまって。

まとめると、1966年に出来たイギリス初のロンドンのプレイボーイクラブは10階建てのおしゃれなビルに出来て、勧誘の時に偉い聖職者を怒らせたりしたけど2万人も会員が殺到して、ヒュー・ヘフナーの自宅のマンションのレイアウトに似せた店内でセレブが結婚式挙げたり、併設したカジノが大成功してプレイボーイ帝国の重要な収入源になっていったんだけど、話が長すぎるので今日はココまでっていう話でした。


本日は、ご来店ありがとうございます。
では、またのお越しをお待ちしております!!


乾杯!Bunnyと(ムダ)知識とオタ人生
ばにがるオーナーまぐ太でした!

まさに、今回はムダ知識って感じでしたね。
これからはこういうバニーガール・プレイボーイ系ムダ知識をもちょっと増やしていきたいと思います。


ではまたっ

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