【少年・青年小説 食シリーズ】「東京に食べるためにやってきた⑥~孤食のグルメ1~」
ユキオはコロッケが好きであった。
椎名誠さんのエッセイに出てくる、
白い炊き立てご飯の上にコロッケを1個のせて、
ソースをかけて食べる話も好きだったが…
かといって椎名さんの食べ方をしたことはない。
椎名誠さんも嵐山光三郎さんも色川武大さんのエッセイも大好きだったが…
さらにいうと…泉昌之さんの作品も大好きだったが…
それらをまねようとは思ったことがない。
影響は受けても、その人の最高の食べ方は尊重するし、
大好きだったが…食べ方は自分の食べ方しかしない。
ユキオは、自尊心が弱く…加藤諦三先生の本が愛読書であったが…
実際、それが足りない、できないから、ずっとそれが愛読書ということもあったように思う。
自己啓発本によれば、自分は「自分がない人間」であるようだ。
あるようだという思いがすでに自己不在決定ということだけは、
ユキオでも気づいていた。
しかし、ユキオには、いくつかの自分自身になれるものがあった。
その一つが「食べる」ということであった。
煮え切らない人生を送っていても、
「食べる」ときに、自分自身になりやすいということは…
これまでの人生の記憶からも分かる気がするのだった。
ユキオはあまり、ひとから好かれない性格なのだが…
それは、自分らしさを抑えてしまうところにあることを、
彼はずっと知らないでいた。
アパート暮らしの知人たちと一緒に食堂などに行くと、
知人たちが店の主人や店員、おかみさんなどと気安くしゃべったり、
しゃべりかけたりされることにいつもうらやましさを感じたりしていた。
そうなのだ…ユキオは、常連として、店の人から親しくされることが、
とても少ないのだった。
理由はいくつかあった。
それは、ユキオは、食べるときには
「誰からの干渉も受けたくない」
という気持ちがあまりにも強いからなのだ。
先ほどの話と多少矛盾するような気もするが…
実は矛盾しない。
ユキオは、本来の性格を隠して、抑えて生きることが多かった。
ユキオにとって「食べる行為」こそが「自分自身」になれる時間だ。
つまり、自分自身=隠しているはずの自分、抑えているはずの自分…
であるから…「食べるときの本来の自分自身を他人に見せることは危険なことである」という、おかしな思い込みを強化してしまうのだった。
ユキオはありのままの自分は決して他人からは受け入れられないし、
好かれないと信じていたのだ。
だから、好きな女性との食事もあんまりたのしめないし…
幸せな雰囲気の食事というのは、苦手だったのだ。
もちろん、それらはユキオの妄想に近い、
事実ではない思い込みであった。
しかし、ユキオはその頃は、頑なに…
そのことを信じて、身を固くして生きていたのだった。
そんなユキオだったが…
まれに食べているときの「本来の自分に近い自分」
が無防備に出ているとき…
うっかり、周りのひとたちを笑顔にしてしまうことがあった。
おかしな話だったが…
ユキオは、おいしいものを夢中で食べていると、
その食べっぷりをみて、
例えば作ったひとだったり、
例えばそれをふるまったひとだったり、
例えば一緒にその場に居合わせた人が大笑いしてしまうことがあった。
たいてい…そういう反応があると、ユキオは我に返り、
本来の自分をやめてしまうのが常だった。
もしくは、喜ばせるためにわざと喜ばれるように演技をするように、
気に入られるように食べようとするのだった。
ユキオはいつも「本来の自分」になれるチャンスを自分からつぶしてきたのだった。
そして、また…常連になって店の人から親愛の気持ちを感じるようになったとたんに…その店に行かなくなるという行為を繰り返していた。
それは、まるでふつうに自然にできる人間関係や、好かれるということから、罰しているような…自分に対して意地悪をしているような行為のようであった。
しかし、そういう行為をすればするほど、自分のことは嫌になる。
さらに、好きな店ほど厳しい表情で行くようになり、
そういうお気に入りの店ほど…無言で顔を覚えられるのを拒否したような
態度を無意識でとるようになってしまっていたようだ。
いつの間にかユキオは外食の機会が減った。
直接の原因は、夜勤の仕事が増え、知人との交流が減ったこともある。
ユキオはその頃から…スーパーマーケットの半額を狙ってお惣菜を買いに行ったり、デリバリーのピザをとったり、宅配を利用したりすることをたのしむようになっていた。
ユキオは35を過ぎていた。
その頃から、猛烈に太りだした。