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【少年・青年・中年・老年小説集】「モノベさん外伝…〈最近知り合ったおとこ①〉」

モノベユキオは、印刷所の校閲部で働いている。

ユキオは60代になってからの再就職ということもあってか、
いまの職場でできるだけ長く働きたい気持ちもあり、
基本的には街に遊びに行くことはほとんどなかった。

元々人付き合いはうまくない。
好きではないとはいえないが…
知人を自分から作ることをいつの間にかしなくなっていた。

所謂、いきづらい人間の部類であることを
自覚していることもあるだろう。

とはいえ、会社の人間の誘いを断ることはなかった。
しかし、あくまでも仕事の延長での誘いに限定していた。

ユキオにはスピリチュアル関連の
カウンセリングだとか鑑定といわれるものや、
占いなどに行く趣味があったが、交友関係が広がる趣味ではない。

そうなると、週末は何をしているかといえば…
基本的には1週間分の弁当を作りおきし、
もろもろの家事をしているくらいで…
あとは図書館での読書や自宅での読書や動画検索、
ネットでの興味のあることがらの検索をしたり、
ストレッチや腹筋、軽い筋トレやウォーキングで
ほぼ終えていたといっていい。

つまり、いつも一人で過ごしていたわけだ。
時々会社の同僚や上司が遊びにきてくれるくらいで…
ほぼひとりで何かをしているのが常であった。

離婚をしているので…慰謝料というかたちで、
決められたわけではないが…振込をするために、
倹約をしていたこともある。

一時期はやけになって…有り金を定期的に
すべて元妻へ振り込んだりしてきたが…
最近は考えがかなり変わってきて
自分の死んだときのことを考えて、
自分の終活のための貯蓄をすることに決めた。

入社後の異例の好待遇のおかげで…
入社時の年収の倍以上になり、
元妻への一定の振込も可能になり、
生活に余裕が出た。

そうなると、やはり仕事の付き合いではない、
人間との会話がしたくなるのも人情である。

ただ、過去の経験上、ろくな付き合いにならないことが
よくあったため…仕事に影響が出たり、
交際にえらい出費があるような趣味だとかの関係などには
警戒感があった。


なかなか、知人をつくるということもできないでいたとき、
あるお店に出会った。
そこの客と、急に仲良くなるという機会がおとずれた。


その店は上野の裏手にある喫茶店で、
カウンターが6席ほど、
テーブルが3つ。
【アメイジングジャーニー~すてきな旅行】
という名前だった。


なぜそこの店に惹かれたのかといえば…
偶然といえば偶然だったのだけれど…
それはやはり店名を見て入ったといっていい。


それは給料日後の週末のことだった。
家事を金曜日の夜と
土曜日の午前中にどういうわけかハイスピードで
1週間分の家事と弁当をつくり切ってしまった。

11月も下旬にもなってから、ここ数日…
10月くらいの気温の穏やかな快晴の秋の日が続いていた。
異常気象がふつうになる以前の心地よい秋の日を思い出す。
外に出たいという気持ちが募ったのだ。


家事が終わって、まるで仕事に出かける前のように
急いで出支度を済ませた。
正午すぎに家を出た。

どうしても神田明神や湯島天神や
御茶ノ水界隈…あの東京らしい景観の、
秋の様子を見に行きたくなっていた。

その辺りは、ユキオがいちばん好きな東京でもあった。



今週の頭に給料が出た。
いつもは、このタイミングでスピリチュアル関連の
鑑定などに行くことが多かった。

それはストイックな自分の日々に対する
ご褒美でもあったのだが…
今回は行く秋を満喫したいとおもい、
やめにした。

ボーナスも近く、今回はかなりの金額が出ることが
わかっていたこともあり…
何年振りかの精神的に安定した日々を送ることができていた。


今はのんびりしたい。
心からそう思った。
そして、
それを自分に許したい。
心置きなく好きなことをしたい。
紅葉をみながら、大好きな東京を味わいたい。

上野でJRに乗り換えた。
秋葉原乗り換えで総武線各駅停車にのる。
御茶ノ水駅が見えてくるとわくわくした。

この電車から見えるお堀の感じが
ユキオの最初にできた「東京」のイメージであった。
いまもその高揚感は失われていない。


御茶ノ水駅から神保町へ向かう。
久しぶりにキッチン南海に寄った。
カツカレーか生姜焼きのセットか迷ったが、
イカフライ生姜焼きご飯大盛りにしておいた。

かなりの行列だったが…
それも楽しく感じるくらい…
心の自由を味わっていた。

どのくらいぶりか?
こんな自由で気楽な週末は?

昔通った店舗とは違うが…
味はほぼ同じ…むしろおいしいと感じる。
醤油も当時は頼まなければ出てこなかったし…
イカも量が増えている気がした。

60をこえて大盛りを軽く食べきった。
こういうことを言うのは…
あまり得意ではないが、
「おいしかったです」と伝えて店を出た。

靖国通りに出て、新御茶ノ水駅側の通りまで行き、
そのまま聖橋経由で神田明神まで行った。
その途中、湯島聖堂にも寄る。
久しぶりだ。大成殿に孔子像を見て、
紅葉をたのしみつつ神田明神の鳥居に向かう。

しばらく境内に座ったり、
立ってあたりを見渡してたのしむ。
帰りはアニメの聖地になっているという
例の階段を下りて神田明神下経由で
そのまま湯島へ向かう。

せっかくだから、
湯島天神も階段のほうから上った。
ヨーロッパの旅行客のひとが
おもったよりたくさんいた。

屋台が出ていて…
何かの祭なんだろうか…

お詣りのあと、不忍の池方面に出た。
不忍池に着き、周りを歩く。
蓮をみつつ紅葉をたのしむ。
来てよかった…
弁天さんのお堂を遠くに見ながら
倹約のため家から持ってきたお茶を飲む。

うまい。

アメ横など久々にみてたのしむ。
ジャンボ餃子で有名な昇龍をみかけた。
さすがに少しも食欲はわかなかった。

中国人のおねえさんの呼び込みをかわしながら
上野公園まで行く。
紅葉をたのしみつつ…
モネ展は気になったが…美術館は高いのでスルーした。

3時を過ぎたころ…知らないうちに不忍池近くの飲み屋街を歩いていた。
そのときに…
【アメイジングジャーニー~すてきな旅行】
という看板が目に飛び込んできた。

ユキオは…意外なことに…
かつてはバンドをやっていたことがある。
ずっとギターを弾いていたが…
離婚の前あたりから、
ギターやCDをすべて処分してしまったことがあり、
いまでは音楽はまったくといっていいほど聴いていない。


しかし…アメイジングジャーニー~すてきな旅行などと、
ザ・フーをよく知らないで店名にするとは思えなかった。
ザ・フーのトミーのなかで…
キース・ムーンがアルバムの中で最高のプレイをしている
…その曲を店名にしていることに興味を持った。


初めての店で入るのには躊躇したが…
ドアに立った瞬間、
すいこまれるように足を踏み入れた。

あっ!
顔に見覚えがあった…

マスターは伝説の元モッズバンドの
天才ソングライターの尾藤アサヒさんだったのだ…

ユキオは興奮に自分を抑えきれず
なぜか素早い動きで
マスターの正面のカウンター席に座った。








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