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【少年・青年小説 食シリーズ】「東京に食べるためにやってきた⑥~神保町の誘惑1~神保町B級グルメ長屋 さぶちゃん、キッチングラン、近江屋 ほか」

ユキオは三崎町で働いている…
憧れのマンガ編集者の正社員として。

アルバイトを1年、神保町でやっていたが…
その会社のアルバイトの女性と
トラブルを起こしていやになって、
無断でやめてしまった。

三崎町は神保町に近い。
近くにいけば、前の職場の人に会う可能性がある。
さすがに無断退職をした手前、
顔を合わせるのはばつが悪かった。

新しい会社は、だめもとで受けた会社だったが、
なんとアルバイトを超えて、
正社員登用をしてもらえた。

面接をしたときに、
その部屋にあった書棚のマンガのコミックスの大半を持っていて、
ほとんどの本を読んだことがあったからだ。
「半分くらいもってます」
が、編集長と社長に気に入られたのだ。


思いがけず、晴れて憧れのマンガ編集者になったユキオ。
給料は安かったが、正社員だ。
夢がかなったのだ…こんな幸せなことはない。

給料が出ると、
ユキオは三崎町や神保町の安くて美味しいランチを探した。

前の編プロの人と顔をあわせたくはなかったが、
こそこそ隠れるように初めは食堂を探した。
しかし、やがて…
新しい会社の仕事に慣れるにつれて、
しだいに神保町の食堂に通うようになった。


神保町にはさまざまな美味しい店があって、
ユキオはたのしくて仕方がなかった。

先輩社員からもいろいろ美味しいお店を教えてもらった。
半年たつ頃には、
ユキオはある程度の知識を蓄えていた。


ユキオのお気に入りの店はたくさんあった。

キッチン南海
梅もと
天丼いもや
天ぷらいもや
とんかついもや
キッチンジロー
一人スキヤキの店はらの
太田屋の惣菜

などなど


しかし、最近のお気に入りはB級グルメが3店舗並んだ一角で、
そこにユキオはいりびたっていたのだった。

その3つの店の名は…

キッチングラン
さぶちゃん
近江屋

であった。


この3店は長屋みたいに並んでいて、
どれもが混んでいる店だった。

ユキオはひそかに神保町B級グルメ長屋と呼んでいた。

特にさぶちゃんはいつも長い行列ができていて、
いもやで並ぶ以上に時間をとられる。
昼休みはほぼ立って並ぶ時間になってしまうことになる。


しかし、それでも、ユキオはタイミングを見計らって並んでは通った。

さぶちゃんはなんといっても半チャンラーメン。
当時480円。
半チャンは半分のチャーハンという意味だが、
さぶちゃんの半分は少ない中華料理店の一人前はあった。

しかも、チャーシューがちゃんと入っている。
作り置きをしているため、
炊き込みご飯なみにやわらかいチャーハンだったが、
ユキオはやわらかいご飯派だったので、まったく気にならない。

美味しんぼで推奨されるパラパラのチャーハンでなくても、
オーケーだった。

ラーメンのスープは甘めだったが、
細麺でチャーシューもうまい。
余計な具がないのもまたよし。

ただ、ラーメンだけを食べにいくほど
おいしいラーメンとは思っていなかった…
チャーハンとセットでこの価格…
それが魅力であった。

余談だが、親父さんには女の子のお孫さんがいて、
時々チャーハンにケチャップをまぜてチキンライスのようにしたり、
卵を中華鍋で熱してオムライスもどきにしていたのが印象的だった。

いいなあ…
このチキンライスを食べて育ったお孫さんは、
きっといい人生が送れるだろう…
なんとなくユキオは、その光景を見るたびにそんなことを考えたりした。


キッチングランはなんといっても生姜焼きとのセットだ。
キッチン南海とはまったく違う作り方。
キッチン南海風の生姜を利かせ、
玉ねぎの歯ごたえを残している、
薄味で甘さを控えた味とはと異なっていた。


キッチングランは
少し甘めで醤油が強い感じ。
東京風といえばいえたタイプだ。

先輩のiさんが説得力ばつぐんの解説で、
キッチングランの生姜焼きのうまさを教えてくれたのだった。
話をきくだけですぐに食べにいきたくなる…絶妙な解説。
それまで、キッチン南海派であったが、
iさんの語りのうまさに、
キッチングランの良さを叩き込まれた。

両店の生姜焼き…確かに、どちらも捨てがたい。
iさんの影響で、キッチングランの生姜焼きとハンバーグ、
またはメンチカツと生姜焼きのセットも
ユキオは定期的に食べに行くようになった。


キッチングランはどんぶり飯で味噌汁がつく。
キッチン南海は平皿で味噌汁はない。
その違いも大きい気がした。

当時はまだ両店ともにセットで600円くらいだったろうか。
キッチン南海とともに安かった。

最後は近江屋。
ここはご飯がおいしい。
ガス釜だったか? よく覚えていないが、
お米がおいしい。
この価格帯で食べられる食堂では
いちばんおいしいお米であり、白飯であった。

定番は焼き魚で塩サバ。
鮭もサンマもいわしもあったと思うが、
塩サバにごはんと味噌汁漬物のセット。
550円か、600円くらいだったか?

給料日には100円の小鉢を2つくらいつけた。
ひじき、ほうれん草のお浸し、切り干し大根、
きんぴらごぼう…どれもおいしかった。

合計1000円いかないとはいえ、
当時は年収200万円くらいの時代で…
昼ごはんは500円以内どころか、
350円以内に抑えたいと思っていたころだ。

この3店も、毎日行けるような店でもなかった。
海苔弁当は店によっては300円しなかった時代だから…

ユキオはふだんは自分で炊いた白飯やら
マルちゃん焼きそばやらをおかずにした弁当を持参していた。
それに太田屋のコロッケなんかを買い足していたのだ。
倹約した後の外食…それがユキオのいちばんのたのしみだったのだ。

当時の夢は、
揚子江菜館の昼の五目焼きそば
(豪華な具が並んでいる餡でとじていないやつ)、
新世界飯菜館の角煮そばにライス(皮付きのトンポーローがのっている)…
いずれも1000円を超えていて、
結局その会社にいるときは一度も食べることはできなかった。

ボンディのカレーも、
共栄堂のスマトラカレーも、
ランチョンのメンチカツも、
結局食べないままだった。

ユキオの当時の最高のごちそうが、
給料日などに食べる
神保町B級グルメ長屋のランチに、
天ぷらいもやの「えび定食いか天追加」、
キッチン南海の「カツカレー大盛り」
「フライと生姜焼きの盛り合わせ定食」だったのだ。




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