【ロック少年・青年小説集】「25歳からのバンドやろうぜ1~初めてのステージに立ってみよう⑤【ヒデキ師匠登場1】~」
ユキオにはロックやギターの師匠にあたる人間が何人かいた。
ヒデキはいとこで5歳年上。
元プロギタリストで今は公認会計士をやっている。
若いが事務所を構えていて、ユキオにはやり手に映っていた。
名の知れたロック歌手のバックバンドのギタリストとしてロサンゼルスで録音経験があり、西武球場でセッションギタリストとして演奏経験もある。
しかし、そういうことを一切自慢話にしないところがヒデキのすごいところだった。
彼は東京郊外に事務所を構えつつ、自宅をその近くに建てていた。
ユキオは家族の団欒の邪魔をしたくないので、ヒデキの自宅には行かないようにしていた。
その代わり、事務所に二月に一度くらい訪れていた。
事務所は多摩川の近くにあり、やや民家から離れていたため、ヒデキは防音壁をてづくりでつくりあげて、簡単なスタジオにしていた。
音楽業界からは引退したとはいえ、ギターからは離れがたく、週一日だけ金曜日の夜中まではギターを事務所で弾いてもいい約束を家族とかわしていたのだった。
その代わり、家庭では一切ギターを弾かないことにしていたそうだ。
奥さんは別に何も言っていないが「けじめをつけたい」というヒデキの決意を受け入れたそうだ。
ちなみに奥さんはプロの元キーボード奏者だ。
ユキオにはあまりにもうらやましく、できたらヒデキと人生を取り換えてもらい、プロのギタリストとして存在したいくらいだった。
「週一日のギターの日」に、2か月に一度ほどがこのところ定着していてユキオの生き甲斐になっていた。
ヒデキは事務所経営もあるため、金曜日が接待的な飲み会になることもあった。
そういう機会をなるべく避けるようにしていたが、むしろ飲んだ後の夜に電話がヒデキからかかってきて…スタジオに誘われる機会があった。
ヒデキいわく「せちがらい飲み会の後にはギターがよく鳴る」とのことだった。
終電くらいまでギターを弾いた後、ユキオは私鉄で自宅に帰った。
同じ私鉄沿線にアパートがあったので、二時間たっぷりギターを弾いたりヒデキと語ることができた。
初めてのバンド練習の1週間後、ユキオはヒデキの事務所を訪れた。
練習の時にテープデッキで録音する習慣があったので、その時のテープをもってヒデキに会いに行った。
多摩川近くの事務所に着いた。
出迎えたヒデキは普段と全く変わらぬトーンでマイウェイ。このニュートラルでかつすべての主語が自分であるヒデキの人間性にしびれていた。
「そっくりヒデキさんと入れ替われたらいいのに」、いつもそう思うくらい、ヒデキはユキオにはいかした人間であった。