お手伝いと母の距離感
年末年始は、やることが満載で忙しい、と思っていた私にちょっとしたハックがありました。自分自身の子ども時代も振り返ると納得のハックです。
それは年末の大掃除で、YouTubeばっかり見てないで少しは働けや、と思った母にお尻を叩かれて窓ふきに向かったウチの子の話。人生初の窓ふきだというので、やり方を伝えてから、やってみたまえ、とやらせてみる母でしたが、どうにもこうにもじれったいのであります。
ああー-、どうして窓は四角なのに丸く拭くんだ!どうして同じ方向に腕を動かさないんだ!説明したじゃないかっ!(母の心の声)
よくあるやつです。このままでは血を見かねないと危ぶんだ私は、隣で正月飾りをつけていた叔父さんにサクッと託してしまいました。叔父さんは懇切丁寧に子供が困らないように、そして楽しく仕事が終われるように一緒に仕事をしてくれています。ありがたし。。。
しかし、仕事のペースはダダ下がりです。年が明けてしまうううううう。
人生初の出来事は、何事においても神聖なるイベントでありますから、時間と手間を要します。窓ふきもしかり。ですので、翌日の玄関掃除については片付けなければいけない仕事のひとつではなく、イベント対応いたしましたよ。これも学びのひとつでありました。これも将来への先行投資だ。
そういえば、私の母も家事をする際には、一緒に同じ仕事をすることはめったにありませんでした。大抵は分担作業です。私は洗濯物を干して、その時間に母は掃除機をかける、みたいな感じです。ただし、洗濯物の干し方についてとやかく言われた覚えはないので、今にして思うと、ある程度任せて大丈夫と思われていたのかと思います。なので、このような仕事の仕方は、将来の子供のために家事に親しんでおきなさい、という親の思いがあったのだろうと思っていました。
でも、そうでもないかもしれない、と今年初めて発見です。
子供と一緒にやっていたのでは、私がイライラしてしょうがない。
その仕事のやり方じゃ、私のやり直しが必須、お前は仕事を増やしとるんかい!的な思考が頭の中に浮かんでは消え、子どもをやり込める母になるのを一生懸命にこらえている状態。
私の母も同じだったはず、間違いない・・・。あれは子どものためを思っての分担ではなかったのです。
ということで、私もお手伝いをしてもらう時には、優しく笑顔で対応できるくらいの距離を置いて、分担しながら見守れる距離感を学んだのであります。
同じように、”早くやってあげないといけない”についても、どうやら私の思い込みであることが判明いたしました。
大晦日の晩、さあ、仕事を終わらせたから早くご飯の支度をしてあげないといけない!それこそが家族のため!!と思ってガツガツ仕事をしている隣で、ゆっくりとキッチンカウンターを拭いているお嫁さん。ちっとも急いでいる様子はありません。リビングでも紅白間近の番組を見て寝転ぶ皆さんからはくつろぎのオーラしか出ていません。
え?急がなくていいの?今この時間でこの状態で、まずキッチンの片付けで大丈夫なの?何時から食べ始めるつもり?(私の心の声)
結局、誰も文句を言う人はいなくて・・・、私は学んだのです。
待たせても自分の仕事を優先しましょう。
翌日の元日の晩では、この学びを即実行。
これまでは、息抜きにコーヒー屋さんに行っている副住職さんたちが出かけている間にご飯の支度をしておいてあげないとかわいそう、と思って一人で頑張っていましたが、私に来た年賀状を読む時間に宛てたのです。御一行が帰宅してから支度を始めると、お嫁さんも手伝ってくれました。弟も手を出すし。こんなの初めてのこと。さすがに私のオーラを感じ取ったのでしょうか。言葉に出さない代わりに、圧も強めに出しています。(笑)
こういうのも、母の怨念です。私の母はそういう働き方でした。
今年もハックがいっぱいありそうで楽しみです。
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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