見出し画像

意識の旅

東京駅だった。

周りの人達は行き先があるようで、ある人は早足に、またある人は浮かれ気味に、またある人は疲れた様子で、私の横を通り過ぎていく。

皆、私のことなど見えていないのだった。

1番近くにある電光掲示板をみると
仙台•山形、郡山、青森、新潟、金沢
と、天気予報でしか見ない地名が当たり前の顔をして羅列されていて、むず痒い気持ちになる。



手のなかにある切符には、東京⇔新青森、とある。

そうだ、私は北へ行くのだった。
寒さに弱い私が、無理に休暇をとって、太宰治の生家をめざして行くのだった。

私は改札に切符を通す。
切符は想像以上に勢いよく飛び出してくるが、1人なので何食わぬ顔をして機械から受け取る。

そして切符にある番号を辿り、奇抜な色の新幹線に乗り込む。独特の閉塞感と無機質な機内アナウンス。

私は窓際に席を取り、荷物を網棚に乗せる。荷物といってもリュックサックひとつだけなので、網棚を使うのは大げさな気がしたが、旅へ出る高揚感がそうさせたのだ。
後ろの席には誰もいないので多めに座席を倒す。倒した後でチラと後ろを確認する。車内は空席ばかりで静かだ。

ペットボトルのコーヒーと青みがかった文庫本を、テーブルに乗せる。
「津軽」
太宰が故郷へ向かったように、私も同じ道を辿っている。特別好きなわけでもないのに。

列車は動き出す。ホームに別れを惜しむ間も無く、無慈悲なほどの静かさで。

私は朝食を取るのを忘れたなと思ったが
いや、朝食など当分とっていなかったことを思い出した。
窓から見える都心のビル群の中で、今も働いている人の顔を、足音を想像した。
私はゆっくりとブラインドを下げ、座席を最大まで倒す。

大宮で停車すると、まばらに座席が埋まった。
発車と同時に、車両に飛び込んできた強烈な香水の匂いに脳みそが後ろへ回った。
その香りの発信源が私のそばに座らないことを願った。

ヒールの音ともに髪の長い女が、きついジャスミンの匂いを振り撒きながら、通路を挟んだ隣の座席に座った。

私は平静を装ってコーヒーを飲んだが、香水の匂いと混ざって、喉の奥が締まった。私は静かにブラインドを上げて外の景色を眺めることにした。
浅いため息をつきながら、女の横顔が美しかったことを、少しだけ考えたりした。

列車は北へ北へ進む。
仙台までドアが開くことはない。

車内には、年配のサラリーマンの低音のいびきと、香水の匂いと、それぞれの食べ物の残り香が充満していた。

もたれかかるガラスの窓は冷えている。

目を閉じると窓はより一層冷たく感じられ、あたりに蔓延した脂っぽい空気が気にならなくなった。
窓の冷たさが頬に心地よい。
そうだ、私は北へ行くのだった。


「次、新青森ですよ。」
控えめな声がした。
肩を叩かれて目が覚めると、列車は七戸大和田の駅を出て行くところだった。

「ああ、どうも、すみません。」
私は寝ぼけ眼で、あわてて体勢を起こし、声の主を確認すると、やはり香水の女だった。
彼女は私の前のテーブルの上の文庫本を見た。

「津軽。」
「そう、津軽です。寝過ごすところでした。ありがとうございます。」
「いえ。」

正面から見た彼女は、品の良い整った顔をしていた。右の目尻に小さなほくろがあった。
彼女は口元を少し緩めると、自分の座席へ座った。
私の周りをジャスミンの香りが取り囲んだ。


新青森駅にはあと10分もすれば着いてしまうだろう。
3時間も眠っていたらしい。
窓の外には、もう朝の日の白さはなく、日中と言って良いほどの明るく濃い光が降り注いでいた。

コーヒーは冷め切っていて味がしなかったが、全て飲み干した。網棚から荷物を下ろして隣の座席へ座らせる。相変わらず車内はガランとしていた。

私は、窓の外のすごい速さで通り過ぎて行く、知らない街を眺めた。

まもなく新青森、新青森です

リュックサックを背負い座席を立った。
女の横を通り過ぎるときに
「ありがとうございました。」
と声をかけた。
少し声が小さかったかもしれない、聞こえなかったかもしれない、などと思ったが、彼女は読んでいた本から目を上げて
「良い旅を。」
と微笑んだ。

列車が停まる。
扉が開くと、初めて訪れる土地の空気が、鼻から口から目から流れ込んできて、私を駆け巡った。

「良い旅を。」
彼女の微笑みと言葉を頭に反芻させ、私はホームへ降りた。


私が立っていたのは、
しかし、
東京駅だった。

周りの人達は行き先があるようで、ある人は早足に、またある人は浮かれ気味に、またある人は疲れた様子で、私の横を通り過ぎていく。

手の中には、画面に少々ヒビが入ったスマートフォンが、当たり前顔をして収まり、営業先の地図を示していた。
鞄の中に「津軽」の文庫は入っていない。仕事用の資料とパソコンがどっしりと重たい。


新青森行きの切符なんて、どこにもない。

私は束の間の意識の旅を惜しむように、新幹線の改札を後にした。
ふいにすれ違った人からジャスミンの匂いがして、思わず振り返ったが、髪の長い女はどこにもいなかった。


私の意識を乗せた列車は、
とうに出発してしまっていたのだった。



おわり

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

フィクションです。

グリーン車とか特急列車とか新幹線とか、
縦向きの机付きの列車が大好きです。

そうは言っても殆ど乗る機会がないので、
意識だけでも旅に連れていきたい、
最近はずっとそう思っています。

夏に青森へ行く予定でした。
もう少し色々が落ち着けば
リベンジをしようと思います。


渡部有希

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?