悟りたい。
この期に及んでまだ悟りたいと私は考えている。
例えば、人から好き放題言われっぱなしで、自分という人間が、訳もなく地の底に落ちるとする。
不服と感じるか、否か。
世界は不条理でできている。
別の場所へ移ると、そこでも同様に、地の底に落ちるとする。
それを繰り返したら、どんな人間になるのだろうか。
諦めの境地に辿り着くのだろうか。
自分という人間に価値なんてものは、何一つ存在していないんだ。
と、気付く。
生きることに意味など存在しないんだ。
と、気付く。
この世に、自分の居場所など存在しないんだ。
と、気付く。
それでも、人間にしがみ付く生き方を選ぶか。
私は、人間なのだ。と。
人は皆、一人では生きられないのだ。と。
人間という存在を尊び、慈しみ、諦めながら、人として生きる道を、選べるのか。
また、何者にも属さず、自己超越は達成できるのか。
私は、恐れを持っている。
所属する社会の中で、我が身を護ろうとしている様子が、透けて見えるのだ。
何をそこまで恐れているのだろう。
大切な人を亡くしたくないからだろうか。
私の心がけ一つで、人の寿命が変化するなら、それは確かに一大事である。
私は何を背負い込んでいるのか。
自分にその力が備わっていないことは、明白なのに。
悟りたい。
自分には価値などないと、気付きたい。
悟りたい。
生きることに意味などないと。
そして、ただ、大切な人を慈しむ人間でありたい。
価値などなくても、意味などなくても、なんとかなることを知っている人のように。
すべてを笑い飛ばせたらいい。
いつだって。
▼その努力のために、あと40年もの歳月がかかりそうという話【前回】
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