#1 自己紹介 〜「素直」と「鈍感」の紙一重〜
「素直」と「鈍感」という、定義上、特に共通点はなさそうな言葉についてお話ししたい。
またこれは私の初投稿でもあるので、私はこういう人間であるということも同時に紹介したい。
最初に「素直」と「鈍感」の辞書的な意味が気になったので、確認しておく。(Google調べ)
素直:考え・態度・動作がまっすぐなこと。
ひがんだ所がなく、人に逆らわないこと。
心が純真さを失っていないこと。
鈍感:感覚・反応などが鈍いこと。
まず「素直」について。私はよく「素直だね。」と言われる。目の前で起こった物事に対して私がどう反応したか、という場面においてフィードバック的な言葉として「素直だね。」と言われるのだ。
「素直」というのは褒め言葉であるので、ありがとうございます、と答えるのだけど、心の中ではこの言葉を受けとる度に、なんとなくモヤっとした、すなお?ではないんだけどな・・・という感覚がずっとあるのだ。
そんな中で最近、このしっくりこない感情がすっと腑に落ちる感覚が芽生えた。それは私という人間を表す言葉として「素直」ではなく「鈍感」が近いのではないか、ということ。
「鈍感」という言葉がずっと埋まらなかったピースにはまる、という感覚もなかなかないであろうが、とにかく前向きな意味で、しっくりきたのだ。
物事を見たままにとらえ反応する私の様子を見て、私の周りの優しい人たちは自然に、よりポジティブな雰囲気のある「素直」という言葉を選んで私に言っていてくれていたのではないか、とどうしても思ってしまうくらい。
自分を表す言葉として「素直」ではなく「鈍感」がより適切である、と感じている理由について例を挙げて説明する。
例えば、あるメディアでアサイーボウルが紹介されていたとする。
アサイーボウルというのは、アサイーというフルーツでできたスムージーの上に、イチゴやキウイ、バナナといった様々な種類のフルーツやナッツ・穀物類が飾られ、美味しい上に身体が喜ぶ食材がお腹いっぱいいただける健康食、として近年知られている。
その彩り豊かな見た目からもフレッシュでヘルシー!といった印象を受ける。
そしてその紹介されているアサイーボウルには、フルーツ・穀物類と共に、イエロー味を帯びた何かトロッとしたソースのようなものがかかっている。
普通であれば健康に良いとされるアサイーボウルなのだから、アーモンドペースか何かだろう、と予想するのだろうか。
一方で私のような人間の場合、見たままのものを見たままに理解しようとするので、その黄色いソースをあろうことか、見慣れているあの「マヨネーズ」と認識してしまう。
そして自分の見たものは信じて疑わないので、絶対にマヨネーズと信じ込んでしまうのだ。
この時点で、ソースがマヨネーズかどうかという点に疑問は全くなく、なぜフレッシュな健康食であるはずのアサイーボウルに、両極端と思われる油を主原料としたマヨネーズがかかっているのか、という点に疑問を抱いてしまうのだ。(マヨネーズを悪者扱いしているわけではない。マヨネーズは大好き。)
湧き出た疑問について自分の納得のいくまで追求したい私は、「マヨネーズ、実はヘルシーフード論」を勝手に打ち出してしまう。
そうなったら根拠を求めてひたすらマヨネーズについて調べてしまうのだ。
ある程度リサーチが済んだところで、どう考えてもマヨネーズがアサイーボウルに使われるはずはない→あの黄色いソースはマヨネーズではない、という考えに至り、自分自身を納得させるのだ。
そして冷静に立ち返り、フルーツにマヨネーズを掛け合わせて美味しいはずがないよなあ、と気づくのだ。
これは一例であるが、このような場面は私の人生において多く見られる。
「考え・態度・動作がまっすぐ」な点において「素直」と言えるのかもしれないが、実際のところ、「感覚・反応などが鈍い」という「鈍感」と共に、自分の考えを曲げない「頑固」が相まって、人が数歩で通り抜けるような小道をものすごく複雑に突破しようとするのだ。
それが何、という話であるがこのことに気づけた点は、私の中で大きな意味をなす。
いいとか悪いとかではなく、それが私の傾向なのだからそれを受け入れること。
その経験から学ぶこともあるのだから、無駄と思わず、その瞬間を楽しむことを意識する。
そうすれば何事も前向きに考えることができる気がする。
そう気を取り直したところで、あのソースが何であったかなんて、もうどうでも良くなっていることにまた気づくのである。
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