#15 「都合のいい人」にならない
以前「素直」と言われることに違和感を覚えるとnoteを書いたことがあるが、同様にモヤっとする言葉がもう一つある。
それは「いい人」という言葉。
今日はこの言葉について書きたい。
最初に触れておくが「いい人」と言われるシチュエーションは2種類ある。
純粋に『いい人』としてか、それとも『(都合の)いい人』としてか。
私は「いい人」と言われた時、まずは深読みせず、前者の意味合いで受け取る。
「私のことよく思ってくれているみたい。よかった:)」と安直に。
ほとんどの場合この受け取り方で問題はない。
相手に対していい影響を与えられている、とちゃんと胸を張るべき。
ところが、厄介なのが後者の『(都合の)いい人』の意味合いで使われた時。
その人に利用されていることを示す警告サインである。
人と関わる上でちゃんと見極めないと、泣きを見るのはこちらの方だ。
でも難しいのが「いい人」と言われた際に、どちらの意味合いか見分けなければならないことである。
私なりの考えはこう。
まず「いい人」と言われるコミュニケーションの裏側には「相手が何かしら得している」という事実がある。
不快なことをされた時、相手に「あなたはいい人である」なんて言葉をかける人は滅多にいないであろう。
重要なのは、相手が得している上で自分も得をしているwin-winなのか、相手だけが得をして自分が得をしていないwin-loseなのか、見極めることである。
私は相手に居心地の良い関係を提供している、それに対し相手は私に同等の何かを与えているか?ということ。
これがどういった形になるか人間関係の数だけあると思うので、他人からは測りにくい。
それでもwin-loseと感じる場合、相手との関係を見直す必要がある。お互いのために。
私の経験からしか言えないのだけど、こんな人は要注意である。
それは一つのことに対して、場面によって真逆の評価をしがちな人。
これは人との関係を目先の損得勘定のみで測った場合に起こる行動であるように感じる。
その人はきっと都合よく人を使うのが上手で、「いい人」は簡単にターゲットになる。
例えば、私は人によって態度や発言が変わるということはあまりない(というかできない)のだけど、そんな私が人との関係を損得で測るAさんと関わったとする。
ある会話でAさんから認められ「いい人」認定されたとしても、別の会話での私の意見がAさんと異なっていた場合、急に「毒舌」とこき降ろされたりするのだ。
私という人間は変わっていないのにもかかわらず、同一の人から「いい人」とも「毒舌」とも評価される。
この違和感には気づかないといけない。注目!
なぜならAさんのこのコロコロ変わる態度に相手への「リスペクト」がないから。「いい人」という言葉をまさに都合よく使っている。
反対に、誰と関わるにしても一人の人間として接することができる人は、損得勘定ではなく信頼の上で関係を成り立たせている。
すなわち場面によって私に対する評価を極端に変えることはないため、私がどんな発言をしたとしても「私の意見」として聞き入れてくれる。
このお互いが信頼した上で持つ「リスペクト」こそ、どんな人間関係にも必要なのではないかと強く思う。
そしてこれは『都合のいい人』として扱われないようにするためのヒントになるのではないか、と思う。
人間関係というのは、双方の働きかけで出来上がっているので、関係に問題があると感じる場合、うまくいってないよ〜と相手に気づいてもらう必要がある。
関係をできるだけ悪くしないように、どのように相手に伝えるか。
ひとつ提案がある。
それは、こちらから「リスペクト」を示しながら、事実を伝えること。
例えば、「○○さんって本当に人に動いてもらうの上手ですよね!!私にはないスキルなので教えて欲しいです!」って無邪気に言ってみる。(イヤミっぽい?笑)
今までのリスペクトがない関係にリスペクトが急に入ってきたら変化が現れる。
相手は図星になるかもしれないし、守りが入ってムッとするかもしれない。
それでも人はリスペクトされたら、リスペクトし返すしかできないんじゃないかな。
こうやって働きかけることで、相手はこの先にぞんざいな扱いはできなくなって、信頼関係の上でのやり取りができるようになると思う。
もし、相手に伝えても変わらないなら、私はその人との関係は諦めて心がざわつかない程度の距離感を保つようにする。
『都合のいい人』に甘んじることは、自分へのリスペクトがないことと同じだと思うから。
人へのリスペクトは自分へのリスペクト。
この軸は大切にして生きていきたい。
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