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脱公務員:まごのてライターモリカナとは
「まごのて」は、個人事業主様や中小企業様のかゆいところに手が届くサービスにしょうと決めた屋号です。
「まごのて」には、現在2つの部門があり、一つは経理代行部門、もう一つがマーケティング・ライティング部門です。まごのてライター・モリカナは、マーケティング・ライティング部門を担当しています。
「まごのて」の事業概要
経理代行部門
会計事務所勤務数年から若干寄り道ののち、中小企業から上場企業、さらに2代目ベンチャー企業のIPOとその経理リーダーとして働く夫が、とある公認会計士から依頼を受け、行っております。
マーケティング・ライティング
こちらが、まごのてライターモリカナこと、私がやっている事業内容になります。主に以下が事業内容になります
SEOライティング(構成作成、ライティング、入稿)
ライティング(取材あり・簡単な撮影)
記事LPの原稿作成
SNS運用代行(得意なのはInstagram)
マーケティング戦略作成
次に、私が、公務員からなぜこうなったのかを説明しますね。
地方公務員からの脱却
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PR脳・ライティング脳が発達した公務員時代
モリカナは、気づけば公務員を20年くらいやっていました。
そのうち10年以上、PRに関わることをやっていたという、ちょっと普通の公務員らしくない公務員でした。
住民へのPRも、観光客へのPRもやっていたし、パンフレットを作ったりするのも、SNSを運用するのも、外注すると、受託企業が町のことを理解するだけで工数を使われてしまう上に、内容が薄っぺらくなってしまうので、全部自分でライティングとプロデュースを行ってました。(時々、信頼できるデザイナーさん・ライターさんに出会えることがあったので、その際はディレクションはお任せしてました。)
また、観光PRは行政がいくらがんばっても、結局実際に動かなくてはいけないのは地域の企業や個人なので、地域の企業や個人の方に、PRのアドバイスも行っていました。
公務員を辞めるきっかけ
もともと、50歳までに公務員を辞めて、自分の力で細々と生きていこうと思っていました。定年までいた公務員なんて、キャリア官僚や、県庁の部長様くらいでないと、再就職なんてほぼ不可能です。
それなら50歳でやめて、スーパーでパートしてたほうが、70歳まで働けるかなと思っていたからです。
そう思っていた矢先、自分がその町のためにやるべきだと思っていることと、トップの政策とのズレが大きくなってきて、自分の仕事って何だろうと思うことが増えてきました。
さらに、いろいろあって、やめる決意をしました。
ネガティブな要素もあるので割愛しますが、人生でムダなことは何一つなく、ネガティブな要素があったから今の自分に踏み出す一歩ができたと思っています。
マーケティング脳を育てたもう一つの要素
私は相当なオタク体質で、常に「推し」がいます。
(推しは大体イケメンです)
オタクの仲間との連絡、推しの活動を拡散するのはTwitter、情報収集はInstagramやWEBの各種掲示板…
このオタク活動が、私のマーケティング脳を育てたといっても、過言ではないです(笑)
WEB広告の会社に転職
公務員を辞めて、内定がもらえたWEB広告の会社に就職しました。
なぜその企業にしたかというと、ライターを募集していたからです。
公務員を辞めて、フリーライターになるか、ワンクッション置くか。
私は、自分の実力が知りたくて、ワンクッション置く道を選びました。
が、ライターは他の方で埋まったので、WEB広告の運用をやらないかと言われました。
一瞬悩みましたが、人生にムダなことは何一つないし、公務員時代からも異動でまったく違う仕事をすることは慣れていましたから、とりあえずやってみることにしました。
Instagram運用との出会い
会社では、WEB広告の運用の他に、現在フォロワー80万人いるInstagramのメガアカウントのアフィリエイト運営を任されました。
使えないおばさんが来たと思われては大変です。
Instagramで利益を出すために、他に成功しているアカウントを見たり、Twitterで情報を仕入れたりしながら、Instagramマーケティングを勉強しました。
結果、アフィリエイトだけで月500万円を売り上げることに成功しました。
その後、自社アカウントだけでなく、クライアント様のInstagram運用も行っていました。
WEBライティングとの出会い
ある日、SEO記事をブログに書いてほしいと上司から言われました。
なんでも、前任者が書いた記事がほぼ他社メディアからのコピペだったとのこと。
私はもともとライター希望だったのだからできるだろうと。
正直、余裕でした。
1年前に書いた記事ですが、リライトもしてませんが、現在もGoogleで4位くらいにいます。
その後、記事LPを書いてほしいと別の上司から言われました。
これも余裕でした。
その後も、会社で記事LPが必要になったときは私が全部書いていました。
SEO記事との出会い
そんなこんなで、今度はSEO記事のディレクションの仕事がやってきました。
自社メディアの執筆などはありましたが、ここで本気のSEO記事と向き合うことになりました。
構成の作り方、文章の作り方、添削の仕方、入稿の仕方。
これらを一気に学ぶことができました。
と同時に、「私もできる!」と確信が持てました。
まとめ
こうして、お世話になった会社はパートさんとして勤務時間を半分にしてもらい、着々とフリーライターの道を歩み始めました。
こんな風に脱公務員をする人もいるんだなと、現在脱公務員を考えている人の参考になるといいなと思います。
また、ライターを目指している人、Instagramの運営代行を考えている人にも参考になればと思います。
とはいえ、こんな風に会社に属して色々やっていたので、ポートフォリオを作れないのが私の課題です。
コツコツと小さい案件を打ち返しながら、なんとかクリアしていきたいと思っています。