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ジェノグラムを見つめる時間

 もともと激務系会社員だった私には家系図??そういえば、叔父さんが祖先を調べて書き起こしたと言っていたなぁ。というぐらいのものでした。

 私がはじめてジェノグラムを書いたのは十数年前。社会人大学院在学中にジェノグラムを書き合うペアワークがありました。その頃か、卒業2013直後だったか、一度だけ、ジェノグラムを語り合うグループ?コンサル?のような会があってビビっと来たので申し込み。だいたいいつも感覚で動く(笑)
 私は9期で主催者の先輩は1期、もう大大大先輩のことろにどんな人が集まるのかな~と興味津々で申し込んだのですが、当日はめっちゃ季節外れの大雪。他の参加者はキャンセルされたようで私独り先輩とマンツーマン(笑)結局、ジェノグラムだけでなく個人コンサルのような感じになり、グループもよいけど、その時はむっちゃお得感♪
 帰路は雪も止んで青空スッキリ、靴は溶けた雪でびちょびちょだった記憶が蘇ります。

 そして、2024年2月ひょんなことから、まごラボ初のリアル企画で、ジェノグラムを外在化して対話を試みる会が実現したのでした!!!

勉強会???と思いながらも他に言葉が見つからず(笑)

 ジェノグラムを外在化することで、世代間連鎖や、家族システムを病理モデルのメガネで見ていくことが多かったこの10年。しかし、今回は、自分のルーツを外在化することでエンパワーされることにも注目して、フラットに自分探究・家族探究ができたらいいなぁという想いがありました。

 気質と環境(経験)からスキーマが形成される(といわれております)ので、スキーマ形成前の産まれた時のジェノグラムを書いてみるのはどうだろう!と閃き、私は両方書いてみたわけです。ご参加の皆さんにはどちらが書きたいか選んでいただきました。

 両方書いてみて、当時の両親の年齢も入れたり、当時産まれているいとこ達を書いてみたりして、9年後に弟を産む母の心境や、男子に受け継がれる先代の漢字にまとわりつく集合的無意識を感じたり、、、私が激務系に没頭していた因果をようやく受け入れられていることを改めて自覚。
 今でこそ、ワーカホリックな私(新卒後15年間)だったと認めます。しかし、当時は、それが自分にとって当たり前のモードすぎて、まだまだ足りない!!!というぐらいに思ってました。本心で。。。会社も、そういうモードの社員のほうが使いやすいですしね。とっても上手く戦士モードにはまっておりました。

 戦士モードは、情動に蓋をしていないとなかなかきついのです。しかし、幼少期からガッツリ情動の蓋閉めてサバイブしてきた私には世界はそういうもの~と疑いもなく思い込んでいたのですね。やれやれ。

 子どもを産んで自分が哺乳類であったことに衝撃を受け、おめめキラキラのお子さま達が世界を学んでいる様子(自分の手を不思議そうに見たり、何でも舐めて確かめたり・・・)を目の当たりにして、戦士モードの生きづらさに気づく→『家族とこども』というキャッチフレーズに魅かれて新しいものさしを自分の中に創りに行く道すがら保育園仲間やキャリアチェンジ後出会う仲間♪♪♪おかげさまでとっても豊かなプロセスを歩めているのも、戦士モードであっても奇跡的に自分のフェルトセンスを信じることを頼りにサバイブしてきたからなのだぁとつくづく思います。感謝。

 コラージュのことも、またどこかで書きたいと思います。
 今日はこの辺で🎎


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