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映画「へんしんっ!」

第42回「ぴあフィルムフェスティバル」グランプリ受賞作品。

車椅子に乗った監督が、しょうがい者の表現活動の可能性を探ったドキュメンタリーです。監督ご自身が出演されています。

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=Vfs8OBAkq44
 
友人のお勧めで観た映画。イサドラの子どもたちの翌日拝見した。イサドラの子どもたちに引き続き、身体性が立ち上がってくる映像だった。以下2点。

イサドラの子どもたちの記事はこちら

■Zoom画面の中の身体と生身の身体

監督でありしょうがい者である石田さんは車椅子に支えられるようにして生活している。頭をはじめ身体のあらゆる部分を車椅子に固定し、指先でキーボードを扱う。動きの自由度が低い事は一目瞭然なのだが、その車椅子上の在りようは、今年途端に増えたZoomミーティングでパネル状に並ぶ画面の中、ほぼ顔だけを映し出して存在している在りようと同じだなぁ。という気付き。

Zoomで会話する日常において、石田さんが持つ違いは、違いとしての存在感が小さくなる。ニュートラルになる。

一方、映画の中で石田さんを車椅子から下ろす取り組みが映し出される。この時の石田さんの身体は、車椅子で存在している時に比較して、弱々しい。攻撃されたらひとたまりもないであろう姿になる。立ったり、歩いたり、身体を起こす事をしない身体は、かえって身体としての存在感が際立つ。

現代の日本人は身体を消している人々だ。身体は動きの機能性やプロポーション、美醜といった評価軸には現れても、その存在に意識が向けられる事は稀だ。

その中で石田さんの無防備な生身の身体は身体の存在感として際立っていた。

■身体性でつながる事は単純に喜びをうむ

映画の中では、石田さん以外にも視覚や聴覚といったしょうがいを持つ方が登場し、それぞれの表現活動が映し出され、お互いに討論がなされる。その最後、全員が手を取り合い、身体をお互いに預け戯れる、ダンスの時間が持たれる。

このシーンが素晴らしかった。これまで表情に気持ちが現れる様子が見られなかった石田さんや視覚しょうがいの方が、途端に柔和な笑顔を満面にたたえ、嬉しそう、楽しそうだ。身体を通して存在を受領し合うことの喜びが画面から溢れている。こんなにも単純に命に喜びを与えるものなのだ。

思考の世界で意見交換、討論をしている中では決して現れなかったであろう関係性が出現している。

ダンスは、踊りは、やはり誰でも、のもので、命にとってかけがいのないものだと、強く思った。

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