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日記:20230918〜コーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」〜
家の近所で、とてもおしゃれなワンピースを着た女性が図書館のある建物へ入っていくのを見かけて、恋しそうになった。十束おとはさんに似た雰囲気のショートボブで聡明そうな瞳をした若い女性。
ただ、その「若い」が18〜28歳くらいなんだろうなとは思うものの、実際いくつくらいなのかさっぱり見当がつかない。自分が20代前半の時は、25歳過ぎの人なんてだいぶ年寄りに思えていたし、10代の頃は二十歳を超えた世界を想像もできなかった。
歳を取ったら、もう10歳くらいの年齢差は関係なくなるものなんだな。みんな若い。
西池袋の美容院で髪を切ってもらい、久しぶりに南池袋方面まで足を伸ばす。南池袋のうどん屋か雑司ヶ谷のカレー屋に行くつもりで、ひとまずうどん屋の店の場所を確認してみようと向かう途中、よさげなドーナツ屋さんを発見。清潔な店内にぎっしりパンやドーナツが並んでいて壮観。とりあえず2個だけ買ったけど、他のももっと食べてみたい。
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うどん屋の店内を覗いてみたら、行列はできていないものの、だいたい満席っぽかったので、雑司ヶ谷のカレー屋さんに行くことにして15分ほど歩く。
お店までの道のりで、道路を塞ぐように「KEEP OUT」のビニールテープを貼っている警察官がいて、通れないのか訊いてみたら「あ、大丈夫ですよ」とやけにあっさりした返事。何があったんだろ。
ようやくカレー屋に行き着いたら、月・火曜が定休日だった。祝日なので忘れていたけど、今日は月曜日だった。
うどん屋の支店がそんなに離れていないところにあるので、そちらへ向かうことにしたら、こっちも祝日でお休み。
ものすごく無駄な時間と労力をかけて最初に訪れたうどん屋まで戻る。
いただいたのは冷やしカレーうどん大盛に生卵をトッピング。カレーうどんの冷やしってあまり聞いたことないけど、冷たいうどんにキーマカレーが乗っていて、麺とよく絡んで美味しい。でも卵のトッピングはなくてもよかったかな。
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帰宅して、ドーナツ屋さんで買ったエッグタルトとクレームブリュレのエッグタルトをいただく。
どちらもカスタードのやさしい甘さと、こんがりしたほろ苦さが絶妙で最高においしい!このお店に通うために池袋に住みたい。
ただ、エッグタルトとクレームブリュレって、似通ったテイストの商品を選んでしまったのは完全にミスだった。どっちも美味しいけど。フランボワーズとかレモンドーナツとか、気になるのがいっぱいあったし、なにか口実を見つけてまた来よう。
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コーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」読了。
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大変な小説を読んでしまった。ひたすら残虐で陰惨な暴力描写に、つい「非人間的な行為」と言いたくなるけど、むしろこの無意味な暴力性こそ人間の本質であることを突きつけられる。
そもそもグラントン・ギャング団は実在しており、人物名なども含めて史実に基づいて描かれている部分もあることに戦慄する。
とりわけホールデン判事のキャラクターが出色で、途中からもはや怪物にしか思えなくなる。
マッカーシー作品には「チャイルド・オブ・ゴッド」で殺した相手の死体から剥いだ頭皮を鬘のようにかぶったレスター・バラードや、「血と暴力の国(ノー・カントリー・フォー・オールド・メン)」の殺し屋アントン・シガーなど、化け物めいた秀逸なキャラクターが登場するが、ホールデン判事の恐ろしさは抜きん出ている。
たとえば頭皮狩り隊の長であるグラントンの蛮行には「目的」が明確にあるし、己の暴力と先住民族へのヘイトを正当化するための大義名分もある。もしこの小説が「修正主義西部劇」なのだとしたら、判事ではなくグラントンが物語の中心になっていただろう。
ホールデン判事の行動には理由や目的が見えない。いや、作中で判事自身の口から多彩な学識や哲学をもって滔々と語られはするのだが、それは到底理解できるものではない。
判事の言葉を拒絶しようと抵抗する少年は、作者に突きつけられる人間の本性から目を逸らそうとする読者自身の姿なのかもしれない。
戦争はいつだってこの地上にあった。人間が登場する前から戦争は人間を待っていた。最高の職業が最高のやり手を待っていたんだ。今までもそうだったしこれからもそうだろう。それ以外にはあり得ない。
砂漠で少年を追跡するホールデン判事の異様な姿が、先住民族の戦士たちの奇妙に着飾ったいでたちと重なって見えるのは気のせいか。
数百騎のおぞましい軍団は半裸かあるいは典雅とも旧約聖書的とも熱にうかされた悪夢の産物ともいえる衣装を身にまといその衣装とは動物の皮や絹の美衣や前の持ち主の血がまだついている軍服、殺された竜騎兵の外套、留金やモールで飾られた騎兵隊員の上着で、ほかには山高帽をかぶった者が一人、パラソルをさした者が一人、白い長靴下に血染めの花嫁のベールを身につけたものが一人、何人かは鶴の羽根の被り物や生皮に牛やバッファローの角をつけた兜を前にいただき、ある者は燕尾服の上着を後ろ前に着てあとは全裸
奇妙なのはパラソルをさしていることでそのパラソルはあばら骨に動物の腐った皮を張り革紐でくくりつけたものだった。持ち手は何かの動物の前足でだんだん近づいてくる判事の服は体格に合わせるために切れ目をあちこちに入れているため紙吹雪を身にまとっているように見えた。不気味なパラソルをさし精神薄弱者を生皮の紐でつないでいる判事は客寄せの芸をしていたインチキな薬売りが怒った客たちに追われて逃げてきたといったふうだった。
残虐な暴力描写だけでなく、苛烈な自然の描写がとにかく美しく、句読点が極端に少ない文章の中に容赦なく重ねられる比喩表現に眩暈がする。
隊列が先へ進んでいくと東の空に青白い陽光が射しはじめ次いで深い血の色に染まった光がみるみる平原に広がって世界の縁で大地が空と溶け合いその溶け合って無となった部分のなかから巨大な赤い男根の亀頭にも似た太陽がのぼり曖昧な縁から離れて一行の背後で禍々しく脈打ちながらうずくまった。
平原の遠い前方に火が一つ燃えていてぽつんと孤立した炎が風に乱され生き返ったり萎んだりしながらまるで荒野で吠える正体不明の炉から噴き出す熱い頭垢のような火の粉を吹き流していた。