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【アジア横断バックパッカー】#48 9ヵ国目:パキスタン-ラホール ラホールよいとこ
パキスタンでは本当に何もしなかった。朝起きて朝食を食べ、洗濯をし、昼はケンタッキーへ行き、夜は屋台をはしごしてケバブを食べたり、フルーツのヨーグルトがけを食べたりした。チャイ屋の前を通れば店主が挨拶をしてくれたし、顔を覚えてくれた人が一杯ごちそうしてくれたりした。
宿の居心地は不思議と悪くなかった。とにかく暑いし設備も古かったが、屋上は日当たりが良く洗濯物がすぐに乾いたし、テレビもあった。夜退屈になるとそこで映画を見た。隣のベッドのイタリア人旅行者「マテオ」は夜遅くまでそこでロシアW杯を見ていた。ベッドの散らかり具合からして、マテオは相当長いことこの宿にいるようだった。昼間ふらりとリュックを背負って出かけることもあった。一体なんの目的でパキスタンに長期逗留しているのだろう。マテオに限らず、目的のいまいち分からない欧米人旅行者はあちこちで見かけた。アムリトサルにもギターをつま弾いている欧米人旅行者がいたし、カトマンズにも日がな一日宿でスタッフと話している旅行者がいた。あくせくと観光する僕ら日本人とはあまりに対照的だった。
彼らと僕らでは海外旅行に求めるものが違うのかもしれない。日本人なら1週間か長くても10日間、限られた時間で、あれもこれもと見てまわって結局疲れて帰ってきてしまう。それが分かっていても時間は浪費できない。欧米人旅行者のように1日中宿でMacbookを眺めているなんてとてもできやしない。どちらが上、とか言う話でもないが、僕からするとわざわざ外国まで来てNETFLEXを見る感覚はよくわからなかった。どうしても街並みを見てまわったり、地元の料理を食べてみたくなる。
だが今回の旅に限っては、特に後半、僕は目立った観光はしなかった。ぶらぶら街を歩いてスーパーを覗き、適当な食堂に入って適当に食事をした。
時間があったからそういう旅ができたのかもしれない。けれど、僕はわりにそのくらいで満足だった。その方が現地の文化に触れられるからとか、そんな高尚な理由では全くない。ただ何となくゆっくりと街を歩いて、音やにおいや光や味を感じている方が、旅をしていると感じるのだ。特に日本から遠く離れた国であればあるほど、そこから得られる充足感は大きくなった。
パキスタンはほんの3日間しかいなかったが、不思議と印象に残った国だった。帰国してから、なんとなく思い出すことが多いのもパキスタンだった。
居心地の良さにかまけて長居をしてしまう前に、移動を再開しなくてはならない。次の国はイランであるが、いくつか選択肢があった。
パキスタンとイランの国境は2018年6月時点で、外務省の渡航安全情報「レベル4:渡航は延期してください」であるため陸路は避け、飛行機を使うことにする。ラホール空港発で行き先がいくつか考えられた。イランの首都テヘラン、「世界の半分」と言われたイスファハーン、ペルセポリス遺跡のあるシーラーズ。
イスファハーンのイマーム広場にはぜひ行きたかった。イスファハーンに飛び、陸路でテヘランを目指す方法もあった。だが現実的な問題として航空券の値段、それに残りの日数があった。旅の予算はかなり減っていたし、すでにこの時点で帰国まで2週間しかなかった。行こうと思えば行けるが、かなりあわただしい旅になる。僕はすっかりゆっくり癖がついてしまっていた。前述したとおり、観光地を見るより、のんびりと街並みを見る方が楽しみとして勝っていた。
考えに考えた末、イマーム広場も遺跡も今回は諦め、ラホールを深夜3時に発ち、ドーハ経由でテヘランまで行く航空券を買った。テヘラン着は昼間である。イランはネットの規制があり、ネットを介して宿を予約することが困難だった。現地で探すなら昼間のほうが断然いい。カトマンズのヤスのような救世主は常に現れないし、たとえ予約したとしても、バングラディッシュのように夜到着して不安と闇の中宿まで行くのはなるべく避けたい。全く事情の分からない国なのだ。カンボジアで米ドルを準備した通り、カードも使えない。難しい国であることはわかっていた。(続きます)