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【アジア横断バックパッカー】#47 9ヵ国目:パキスタン-ラホール パキスタンはいい人が多い

 青年のオート三輪は爆音をたてながらパキスタンの街を走り抜けた。青年が何か話しかけてくるがほとんど聞き取れないので僕も適当に叫び返し、しまいにはそれにも疲れ聞こえないふりをした。
 パキスタンの街はインドに似ていたが、インドよりはるかにきれいだった。陸続きで隣り合っている国は少しづつ雰囲気が変わってくる。東南アジアとバングラディッシュに挟まれたミャンマーはどちらの国にも似ていたし、ここパキスタンもインドに似てはいるが、少しづつ綺麗になってきている。
 ヨーロッパが近づいているのだ。

 ラホールの街中に入った。僕はスマートフォンのマップで場所を確認した。いまいちこの青年が信用できないのだ。だがまっすぐ向かってくれているようだった。
 オート三輪がわき道にそれ、建物の裏手の路地裏のような場所で停車した。ここはどこだ?もう到着したのだろうか。青年が運転席から降り、戸を開けてくれた。
 宿まで少し歩くのだろうか、一瞬そう思ったがすぐに気づいた。もう宿の目の前についていた。入り口まで連れてきてくれたのだ。
「ありがとう」
 僕がポケットからルピー札を取り出そうとすると青年が慌てて止めた。目にさっきまでのいたずらっぽい光はない。
「こっちに」
 青年に導かれ、宿の入り口に入った。外でお金を出すのは危ないらしい。
 僕が1000ルピー札を差し出すと青年は財布をごそごそやり、まず100ルピー札を返してくれた。それからしばらくさぐっていたが、やがて苦笑いした。やはりお釣りがないらしい。
「もういいよ。ありがとう」
 青年にはどこか憎めないところがあった。それにちゃんと宿の前まで連れてきてくれたのだ。
 
 入り口からは上に階段が伸びていて、宿のスタッフが音を聞きつけて顔をのぞかせていた。
 木と漆喰でできた、どこか日本の古民家を思わせる内装だった。受付に入り手続きを済ませる。宿帳をざっと眺めると、日本人が滞在しているようだった。ドミトリー450ルピー。宿のスタッフは40代くらいの男性で体格が良く、いつも静かな笑みを口元に浮かべていた。
 ベッドに案内される。途中カーテンで仕切られた一角があった。廊下が広くなっているスペースで、ベッドが2つ並んでいた。足元をほかの滞在者が行き来する、何とも落ち着かない場所である。
 突き当りが部屋になっていて、ベッドが4つ並べてあった。1つは使われている。
 荷物を下ろし、ベッドに座るとほっと溜息が出た。まだ充分日は高い。日が高いうちに宿を確保できるほど安心することはない。

 例の落ち着かないベッドに滞在しているのは日本人の夫婦だった。こんな国で日本人に会うとは、といった感じで少し話をした。冬はゲレンデの宿泊施設に住み込みで働き、春から夏にかけて旅をする、というやり方をもう6年近くつづけているらしい。うらやましいような、うらやましくないような人生である。
「仕事あるよ」
 そう言われたが辞退した。そこまでして旅をしたいかと言われると疑問だった。

 その日は曇りで、奇跡的に涼しかった。スタッフにスーパーの場所を訊いたのだが見つけられず、しばらく街をぶらついた。
 ここがパキスタンか、と、なんとも普通な感想を抱きつつ道行くスクーターと車の列を見た。交通ルールはそれなりに守られているようだ。イスラム服を身につけている人が目立つ。それにしても遠くまでやってきたものだと、僕は感慨にふけった。

 昼食をどこかで、と思っていたが、食堂が全く見当たらない。その代わり日本のビアホールのようなテントが張られ、椅子とテーブルが並んでいる一角があった。道路に面した場所で料理が作られている。まだネパールでの胃腸炎の記憶が新しく、ローカルの料理に抵抗があった。大丈夫だとは思うが、前のように何でも食べてみる気にはならない。

 別の方向に歩くとケンタッキーを見つけた。ケンタッキーなら大丈夫だろう。バーガーとコーラをテイクアウトし、宿で食べることにした。230ルピー。

 パキスタン滞在初日から、僕はパキスタン人の気質を目の当たりにした。
 夜、やはりローカル食堂に赴き試してみることにした。名前も分からない、カレー風の料理を頼み、適当に座って待っていた。家族連れが多くかなりにぎわっている。日本のお祭りのような雰囲気があった。
 はっとした。気付くと6人のパキスタン人の男性に取り囲まれていたのである。
「ハロー」
 彼らは次々に僕に握手を求めた。身構えつつ応じる。こっそり周囲を伺ったが他の人々は我関せずである。
「こっちに来て一緒に食事しないか?」
 彼らはテーブルを2つつなげ、僕を招いた。恐る恐る一緒に座る。食事を頼み終えると皆が自己紹介を始めた。6人もいるので覚えていられない。
 やがて食事が運ばれてきた。カレーのようなスープにナンが山盛り運ばれてくる。瓶のスプライトも6つ運ばれてきた。

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 彼らは僕にすすめつつモリモリ食べだした。僕はまだ警戒し続けていた。睡眠薬強盗かもしれない。自分のスプライトから目を離さず、彼らが手を付けたカレーからしか食べなかった。
 味ははっきり言っておいしいとは言えなかったが、彼らの食欲はすごいものがあった。昼からあまり時間が経っていないこともあり、僕はあまり手が進まなかったが、彼らは手を止めることなく食べ続けた。次第に僕の警戒も緩んでいった。ただの親切な人たちのようだった。
「フルかい」
 ひとりが腹をなでながら僕に訊いた。
「うん、ちょっとね」
「そうか…俺たちはフルじゃない」
 彼らは食べ続けた。
 彼らは追加でチキンも頼んだ。かなりな食欲だ。食べ終えるとひとりが店の隅にある手洗い場まで案内してくれた。僕は水のボトルを持っていたのだが、手を洗っている間持っていてくれた。手を洗って戻ってきたときにはすでに支払いは済んでいた。いくらか払おうとしたが、彼らは受け取ろうとしなかった。
 特に行く当てもないような感じで外へと歩き出す。僕は辞意を告げることにした。そろそろ宿に戻るよ、そういうと彼らは再び僕を囲んで握手を交わし、車とバイクが行き交う道路を渡っていった。あっさりとしたものだった。
 親切な人たちだった。ムスリムの人々は旅行者に親切だと聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 さて、と宿に向かうと、今度は高校生くらいの男の子たちが5、6人向かいから歩いてきて、僕を見つけると歓声を上げ取り囲んだ。各々スマートフォンを取り出し、セルフィー・セルフィー!と言い出す。一緒に写真を撮ってくれ、ということなのだ。彼らのスマートフォンと僕のデジカメで写真を撮る。皆若いがきちんとイスラム服を身につけている。
 彼らは写真を撮り終えると、また握手を交わして去っていった。僕はやや呆然とした。まるで有名人にでもなったかのような気分だった。

 まだ終わらなかった。今度は宿の横のチャイ屋で呼び止められ、さあ一緒に座ってチャイでも飲もうではないか、ということになった。座っている男たちはレストランのウエイターのような制服を着ていた。休憩中なのか、それともみんなでさぼっているのか。僕がデジカメを取り出し、写真を撮ろうか、と言うと彼らは急に色めき立ち、お前はそこに座れ、俺はここに座る、と言う風に場所を決め始めた。
 じゃあもう戻るよ、と僕は言って、やっとのことで宿に戻った。着いて早々パキスタン人の過剰なまでの歓迎っぷりに、驚きと、若干の怖さを感じた。(続きます)

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