脳が詰まる
こんにちは、異羽です。
いや〜〜〜〜〜〜〜〜最近ね。全く僕はダメでして。
なんでダメかはわかってるんだけど、その原因に対処できる言語化ができていなくてね。
Twitterで好きなものとか良いものとかの話をしてみようと思ってもすぐガス欠になるし、なーんかイヤなニュースとか人間模様ばかり目に付くし。今の僕は非常に悪い状態なんですね。
ここではそんなズタボロな僕をどうにかするために! 僕が自ら荒療治を施せればなと思っている次第。んなこと無理なの自分でわかってんすよ。
いざ書き始めてみると、読んでくれてる人はなんのこっちゃだろうな〜ってなっちゃって、ここnote自体数回消しちゃってるし。
んでもね、少なからずエンタメになるようには書くつもりですよ。これから書くんでどうなるか全くわからないけど。
まぁ全ての大元凶はインターネットですよ。10月から新しい仕事始まって、なぁんだ上手くいくじゃんみたいに思っていたのになんか、こう、インターネットからお出しされる「お主、この話題に興味があるじゃろ」がことごとく不正解で。
僕はもっとシンプルな幸福や生活、娯楽が欲しいわけです。
そこへ脇目も振らずにやってくる妬み嫉みや要らん言葉の数々は、そもそも欲してねぇぞと。
とあるツイートがありました。
部屋で楽器弾いてたらポストにご近所さんからのメッセージが、みたいな。
僕はそれ見て「なんてドラマチックなんだ、いいよなぁ誰かからの感想って」って思ってたんだけど、そこからTLが何かに気付いたのか、そのツイートへの引用リツイートやらなんやらを僕に突きつけてくるわけです。
「京都だったらうるさいって意味だな」
「なんでこれを素直に受け取れるんだろう」
......。
なんか、水を差すよねぇ最近の人々って!!!!! うるせーうるせーーー!!!!! ってなることが多くてさ。
まぁ普通に僕がおすすめTLを見ているせいですよねぇ。やめよあのTL。いいことねぇや。
僕は、水を差すという行為にこんな怒れてしまうのかと気付いてしまったわけです。
今年、ちょっとあるきっかけで人を怒る機会がありまして。
僕ってマジで人を叱らないというか、怒りをぶつけないようにして自分なりの円滑さを演出していたわけです。
それがさぁ、その一件を経てから怒りの引き金に気付いちゃったのか、怒りの言語化ができるようになっちゃったんですよね。
今まではそうしないことで受け流せていた感情を、受け止めて打ち返すことを学んでしまった。
一個断っておくと、人間関係を築く上で、正しさってのは人それぞれありますよ。僕にとってこれが正しくないってだけでね。
今まで感知する前に放流していたストレスが、なんかずっと手元にある。言葉にしないと引きずったままになってしまうから、言葉にして最悪な気分になる。
ここ3ヶ月ぐらいで僕、何回もこれやっちゃってて!!!
僕の考える大人としては0点越えてマイナス点なう、って感じなんですわ。
人は変わる。ただ元に戻ることはない。
戻ったように見える人は、もう一度変わっただけなんですよ。僕はあのまま停滞していたかったなぁ。
後悔がすっごくて。あの時どうしてああしてしまったのか、それがなければ今頃、みたいな。
自己判定マイナスなせいで多分、何も上手くいってないように思てしまうしそれが良い出力を生んでないってサイクルなんですよね。
僕は今駄目。徹底的に駄目。どうにかしなきゃいけない。
今の僕には、怒りを無意識に見逃す天性の才能がない。なくなりました。
代わりに、怒りを解除する才能を得なければいけない。今の僕は怒りに対する才能が一個も無く、ただ身を引き裂かれるのみ。そのせいで誤った言葉を放ったこともあるかもしれない。いやある。多分。絶対。
こうなったからにはしょうがない。やってくしかないのです。僕自身が変わるまで、才能を得るために考えていくしかないのです。
きっとおすすめTLに出てくる水差し達は、僕の行く末なのだろうと思うことで、そうはならねぇぞという決意を固めるわけだ。
とまぁここまで語ってきた通り、僕は今最悪なんですが。
それによって一つ良いことが、それと同時に悪いことがわかった。
僕ねぇ、イヤなもんをイヤと言えるようになりましたよ。いや、これまでも言ってきたんだけど、それを行動として表せるようになったというか。
正に功罪。イヤの表明それこそが僕の失った才能によるギフトなわけです。でもね、これってわがままってことなんですわ。
今の社会ってさぁ、表明できることに強さを見出すじゃないですか。良くも悪くも。
多分僕が今出来てることって、それの「良くも」の部分。自分の周囲の環境を自ら変えようという意思の表れ。これが良い塩梅でコントロールできれば、意思を表明できるスマートな人になれると思います。行きすぎるとやべー思想家になって詰みます。気をつけなければ。
とはいえそれを「良くも」と言えるぐらいには余裕あるじゃん、と思ったのも束の間。
僕その、イヤと表明したものの消化があまりにも下手だということがわかりました。
えっとね、ちょっと複雑だな。
拒絶する自分への嫌悪感と処理の甘さによる言語化の不完全燃焼、です。より複雑ですね。
イヤなのはわかったと。イヤを言いました。はい。ただ言ったところでイヤなもんがこの世から消えるはずもなく。言ったことで僕の心にはそのイヤが輪郭を残してしまって、それが苦しい。
27歳にしてやっとわかっちゃったんですよ。イヤなもんは消えてくれない。存在しちゃうから。
んで、それは僕以外にとっては消えるべきでなかったり、消えられない理由がわかりやすくあったりする。それが僕には我慢ならなくて。
わがままな自分がイヤすぎて。皆ってどうやってこの苦しさに対処してんの!? みたいな不思議感もめちゃめちゃあって。
教えてほしいよ、それも教科書ってないんだもの。
具体的な話なんもしてないのに教えを乞うなって話ですよね、そらもう、そうです。
ただシンプルに、才能を得るために今僕は変わらねばならないんだなぁと、そのために生きなければと、思うばかり。
締めです!!! なんかこう、アレルギーみたいなもんだと思えば行ける気がしてきました。イヤなのに見ちゃうとか、怖いもの苦手なのにほん怖観ちゃうあれと同じだし。健全じゃないね。
なので、僕は今最悪なのですが、まぁなんとかなるっていうか、するっていうか。
恵まれたことに相談相手になってくれる人はいっぱいいるので、とことん頼っていこうかと思います!!!!!!