【悪人正機】を考える

【悪人正機】あくにんしょうき

 阿弥陀仏の本願は罪深い悪人を救済することであり、悪人こそ仏の教えを聞いて悟りを得る能力・資質を備えた、往生するにふさわしい者であるということ。親鸞の思想の根本をなす考え方。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 1日サボりました。いいだろ別に。

 悪人こそ悟りを開く資質がある、ってカッコいいね。確かに善人って善存在だもの。なまじ悟りを目指している分、到達は厳しいよね。
悪存在からすれば悟りはより強い光になるはずだもの。っていうか悟りって光なの?

 僕、悟りについてはよくわからんけど「許す力」に富むと考えると、今の時代には抱くべき怒りもあるはずなので実は社会からの孤立ともとれる気がする。
 人が形成したものであるとか、そういったもの全てから解脱することを悟りと呼ぶならもうそれは世捨て人とニアイコールよね。難しいや。

 悪人が悟りを開くことを、学生時代ヤンキーだった奴が大人になって善行に目覚めることだと思いたくないよな。僕は仏ではないので、「ポーズやろ」とか言っちゃうので。僕の知らないところで素行の悪いまま生きていてほしい。
 プラスにもマイナスにもならないままでいてくれた方が快い気がします。呪詛。

いいなと思ったら応援しよう!