『温室の前』

彼らに『ワーニャ伯父さん』はまだ早いから、それに似た何かでもっとコンパクトにもっとマニアックなもので「舞台演劇における‘足と手’だけ教えよう」と思って稽古をスタートした

先ず

台詞を工夫する役者が大嫌いなのです。要は「言い方」で何とかしようとする役者が。下品だし中身がないし、その姿勢ではメッキしか身に付かない。つまり本物に近道はないので、台詞をガチャガチャやって来ることはそもそも全否定した。

次に

雰囲気で演じる奴が大嫌いなのです。「雰囲気?はぁ?」って感じ。演技力とは具体性と物理性の上に成り立っていて、それの結果として雰囲気に似た何かが表出する事があるのであって、そもそもから雰囲気とは言語道断。つまり演技力というのは「0を1に」するのでなく「1000を1に」する類のものである。その事を嫌という程の時間、稽古とレッスンで言い続けて来た。

更に。

綺麗に歩け、移動じゃなくて行動、意味を持たせろ、考えろ、感じろ、ロジックとエモーションでマジックを生み出せ、というような事を言って稽古をした。何より動きの汚い役者が大嫌いなのです。役の動きが汚い事と役者が汚い動きをすることは似ても似つかぬ事なのです。だから、全員を同じ動きに、同じように足をさばいて、手を無駄に使わずに、目線と重心、1メートルを10歩で歩き、2メートルを3歩で歩く技術を強制的に矯正して稽古した。

ちょっとどうしようかと思ったけど、これは僕のnoteだし、とりあえず思った事は書こうと思う。ご覧頂いたお客様にはどのように感じたか中々にして聞き出せないので、一先ずは僕の所感を述べる。

【A】チーム

このチームなしでこの公演は成り立たなかったし、このチームの出来が稽古を牽引し、後輩を牽引し、リードしていた。要するに先行馬として半年を走り抜けたと思っている。ただ(この「ただ」って奴が芸術論においては最も厄介なわけだが)いかんせん「上手く」演じすぎた。もし、部屋の中の美術が立っていて外に温室の外観が覗き、華美ではなくとも慎ましく美しい室内が表現された装置ならこのチームは稀に見る『温室の前』だっただろうと思う。でも今回の僕のディレクションは、リリースはあの無装置、無美術の「想像力をお借りする」ギミックだったのだ。だとしたら、少しエグい出来だったと思った。故にかお客様からの感想のほとんどは「上手」だった。いや、その事をとやかく言うのはおかしい。そこを目指している訳だし、そこでこその信頼なのだから。でも、僕はそれでももっと「シンプルに」出来たら良かったと贅沢を言ってみる。

【B】チーム

稽古時点での評価は最低。そもそも演劇とは何か?ってとこから間違ってて、どんなに話しても注意しても全く形にもならないし、中身も伴わないし、覇気も感じられなかった。先輩後輩の付き合い方から稽古とはどうやってするか、まで本当に何も出来てなくて、稽古を見るたびに解散させてやろうと思っていた。それでも、残り2回となった稽古の日には「ギリギリ」合格ラインを突破して結局上演する事になり、ゲネプロの段階では遜色ないとは言えないものの、コンセプトの中ではきちんと出来ていた。正直に言えば、もう次回からはこういう組は解散してもらう。終わりよければ全て良しじゃない。プロセスの中でこそ必要なものがある。学習機関である限り、お客様の評判に関わらず、また、理由が難解なものだとしても認めるべきでないものは認めるべきでない。そのサンプルとしては非常に勉強になった。つまり僕自身も甘かったし、もっと徹底すべき「何か」は今後しっかりと持つべきだという事。ただ(この「ただ」って奴が芸術論において最も厄介なわけだが)この組が一番「面白かった」とお客様に言われた。客観的に見ても、この組みのポップさは真似できるものでなかったのは確かだ。

【C】チーム

演劇において最も重要なモノは「配役」だとしたら、もう配役の段階でほぼ完成していたのはこのチームだった。誤解を招くだろうし、きちんと記しておくが、完成というのはレベルとは無関係である。完成というのはただこの作品のあり方が表現出来てるというだけのことである。レベル100で未完成のものもあれば、レベル1で完成しているものもある。このチームは完成していた。あとは稽古して、慣れて、ゆとりがあればそれで良かった。この論理でいったらAはレベル8で未完成、Bはレベル2で未完成、Cはレベル5で完成していた。どれを好むかはお客様次第で、僕はどちらかといえばレベル10で完成させたい(笑)当たり前だが。そういう意味ではこのチームについてはある種の満足感がある。この公演そのもの、実験そのものの成果としては分かりやすかった。でもお客様の評判はそんなに良くなかった。難しいものだと思う。演劇というのはやっぱり「未完成」を売るものだと確信するし、配役における「無理」を「上手さ」でリカバーする事で化学反応を起こすものなのだとあらためて思った。僕はこのチームがしっくり来たけど、レベル5で完成しててもどこか間に合ってないのだと思う。

【D】チーム

Cチームを引き合いに出すと、このDチームは配役のバランスが悪かった。バランスの悪さというのは役者さんの出来栄えにかなり影響が大きく、僕が稽古に入るまではこのチームはずっとバラバラ、中身も理解してるように見えなかったし、誰が稽古を牽引してるのかも不明、ずっと困ってるだけ、解決出来ない時間を抱えていたと思う。つまりバランスが良いと稽古に迷いが生じない、バランスが悪いと稽古に迷いが出てしまう。それが本番にどこまで影響するかと言われたら「上手さ」で乗り切るか「理解」で乗り切るか、開き直るかしかない。このチームはどれかと言われたら最後まで迷ってたと思う。じゃあ出来栄えが悪いのかといったら、お客様というのが彼らに勇気を与えてくださって温かみを与えてくださって、そうやって公演が終わってしまった。極論からいったら、お客様は演劇の最後のピースですを体現していたのだ。

では、何がどうであるべきか?プリンシプルは幾つかある。

配役をどうするか?つまりバランスの取れた良い配役が良い作品だと信じるか、無理を努力させる事に成功はあるのか。それをどうやって「良い」稽古をして「素晴らしい」本番につなげるか。

稽古とは何か、どうやって進めるか、自分で「考える」べき事はどんな事か?それを取りまとめてシステム化して、それによって4つの意味で教育が可能か(つまり、僕はティーチャーなのか、コーチなのか、エデュケーターなのかメンターなのか)を考えていく。

そして、誰か一人でいい、突出した役者が生まれ出て抜け駆けをして(爽やかに、だ)作品を凌駕し、人として生き、ダメ出しを必要とせず独立独歩、作品世界をただだらだらと生き抜けるようになるか、そこが目指す場所である。

最後に。

全員については寸評を書かないが、何名かは書いておきたい。これはただの独り言で、僕の言うことが世界の全てじゃない、だから無視していい事だし、評価は君たちに対する一部でしかない。

やまなかは素晴らしかった。稽古から本番まで素晴らしかった。それを支えたのは華奈だ。そうやって稽古をして本番を迎えた。あとはどれだけ独立して芸術性を持てるかだと思う。個性じゃない、芸術性だ。

佐古達哉も良く出来ていた。この役が彼に与えたものは大きかったろう。これからは彼がどんな役にも命と賞賛を与える番だ。

亜蘭はまだまだこれからだ。人として磨かれなくてはいけない。ガキを騙して商売する奴はどんな世界にも山ほどいる。そういうのに騙されないために律して生きて、いい役者になれば良い。

ソノダには期待してる。ウチの劇団で岩崎は副主宰だが、ソノダにも同じものを感じる。上手くなるしかない、誰より清潔に上手くなるしかない。稽古して目標を高く保てば叶わない夢じゃない。

第二回実験室公演は『屋上庭園』です。強制的な演出はしない、出演者は自分の頭で考えてどんな芝居をするか、どんな作品にするか、できる事はどんな事か、座組とは作品とは何か、ひたすらに苦しむ半年が始まる。『屋上庭園』は難しい。作品になりにくい、その上で彼らに期待したい。第一回は想像したよりも遥かに形になっていた。でも満足はしない。彼らが僕を足蹴にして出ていく日が僕の満足する日だ。


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