【虹ヶ咲】虹ヶ咲OVA NEXTSKYが面白いと思った理由をプレゼンの二次会【ネタバレ注意】
※本記事では虹ヶ咲OVAの内容にも触れているためネタバレ注意です。
YouTube所属の感想・思考を言語化する無職氏
2023年6月28日夜、感想・思考を言語化する無職氏による虹ヶ咲OVA NEXTSKYが面白いと思った理由をプレゼン配信が行われました。
長時間に及ぶ配信主の熱弁やチャット欄のコメントによって、さらに虹ヶ咲について知見を深めることができ、大変有意義な時間となりました。
ありがとうございます!
そして、私自身も配信主のプレゼンのように自分の解釈を整理しておきたいと思ったので、今回は、上記プレゼン配信の内容を軸とした虹ヶ咲OVAの私見を述べさせていただけたらと思います。
以前にも二次会として、とある方の虹ヶ咲に関する配信についての私見記事を書いたのですが、今回もその記事と同様に、配信主の発言やチャット欄のコメント等を引用した一問一答のような形式になっているので、気になる部分だけでも読んでいただけると幸いです。
補足
本記事は、「感想・思考を言語化する無職氏のプレゼン配信を視聴したうえでの虹ヶ咲OVAの私見」となっているため、この記事を読む前に、虹ヶ咲OVAはもちろん上記プレゼン配信も視聴しておくことをおすすめします。
また、この記事を投稿するまでに私が書いた、虹ヶ咲に関する3つの記事、
には、私が虹ヶ咲のTVアニメ【1期】【2期】をどのように解釈しているのかが記されており、今回の記事はその解釈を把握しているものとして展開しているため、こちらも事前に読んでいただけると、この記事が読みやすくなると思います。
①:スクールアイドルの適性について
【OVA】冒頭で栞子は、スクールアイドルの適性について悩んでおり、スクールアイドルの適性とは何かについて考えさせられる描写がありました。
しかし、スクールアイドルの適性については、既にTVアニメで定義されていると私は解釈しています。
上記【2期7話】のシーンで果林は、適性がないと思い込んでやってみたいことに一歩踏み出せない栞子に対して、「スクールアイドルをやりたい気持ちがあるなら十分適性があるんじゃない?」と言葉をかけます。
そして栞子は、ラブライブは予選落ちだった薫子のスクールアイドルをしている姿からも、たくさんの胸の高まる思い出を受け取ったように、やりたいこと(自己表現)をしている姿というのは、得手不得手にかかわらず、その姿そのものが誰かにトキメキを届けている(≒スクールアイドルの適性がある)ということに気づき、スクールアイドルを始める決意をしました。
つまり、スクールアイドルの適性があるかどうかは、
歌やダンスなどの得手不得手では判断しておらず、
やりたいこと(自己表現)ができているかが重要であり、
そのやりたいこと(自己表現)をするためには、それをやりたいという気持ちさえあれば十分
だということです。
ちなみに【OVA】後半で、栞子は歩夢から、
自分がやりたいことをやっていて(=私が望む世界)、
誰かにトキメキを届けている(=誰もが幸せになれる世界)
という「栞子がスクールアイドルをしている姿は、自分のためにも誰かのためにもなっているんだよ(="みんな"が幸せになれる世界)」≒栞子はスクールアイドルの適性があると肯定されており、【2期7話】と同じ結論になっています。
以上より、スクールアイドルの適性とは、歌やダンスなどの得手不得手というのは一切関係なく、配信主が考えている「スクールアイドルを通じて(他に特別な何か)やりたいことがある」かどうかもあまり関係がなく(※②で後述)、
『スクールアイドルをやりたい気持ちがあるかどうか』
だと私は解釈しています。
※スクールアイドルの適性があるかどうかは「スクールアイドルをやりたい気持ち」の有無だけで判断できますが、そのやりたいことに挑戦するためには「応援が必要不可欠」であると私は考えています。
※「応援が必要不可欠」については、TVアニメで既に描写されており、詳細は私の過去の記事を参考にしてください。
②:「ただやりたいからやる」について
結論から言うと、配信主が引用していた【OVA】での脚本でもある田中仁の、
『彼女たちがスクールアイドルをやるのは、「ただやりたいからやる」だけ』
という言葉の意味は、
(他の何でもなくスクールアイドルそのものが大好きで)「ただ純粋にスクールアイドルをやりたいからスクールアイドルをやっているだけ」であり、
配信主が考えている「スクールアイドルを通じて(他に特別な何か)やりたいことがある」かどうかは関係ない
と私は解釈しているので、以下より説明します。
まず、配信主の解釈のように「(スクールアイドルを通じて)やりたいことがあって実現のため頑張ること」がスクールアイドルの適性だとすると、
『なぜ他の何でもなく(たとえば音楽や凧揚げ等ではなく)"スクールアイドル"を通じる必要があるのか』
というのがポイントになってくると思います。
たしかに、配信主が例として挙げていた愛や璃奈(※栞子については話がややこしくなるため省略)については、それぞれやりたいことがあって、その目的を達成するためにスクールアイドルを通じて活動をしています。
しかし、
愛の「楽しいを分かち合いたい」や、
璃奈の「みんなと繋がりたい」
というやりたいことは、「他の何でもなく"スクールアイドル"を通じることでしか絶対に叶えられないもの」というわけではありません。
そのため本質的に言えば、愛や璃奈はやりたいことを実現できるのであれば、別にスクールアイドルにこだわる必要はなく、たとえば音楽や凧揚げ等でもそれぞれのやりたいことはきっと実現できるでしょう。
それではなぜ、愛や璃奈は他の何でもなく"スクールアイドル"をしているのでしょうか?
それは、
『他の何でもなく"スクールアイドル"をやりたいから』
だと私は解釈しています。
つまり私が言いたいことは、スクールアイドルの適性があるかどうかを見極めるうえで、唯一大切なことというのは、
「やりたいことがあって実現のため頑張るかどうか」=スクールアイドルを通じて何をどうするのかではなく、
「スクールアイドルそのものをやりたいかどうか」=なぜ他の何でもなく"スクールアイドル"を通じる必要があるのか
だということです。
ここまでをまとめると、愛や璃奈(といったスクールアイドルをしている人たち)にとって「スクールアイドルをやる」というのは、
手段だけではなく、
目的にもなっており、
スクールアイドルをやるためには(スクールアイドルの適性があるかどうかは)、「スクールアイドルをやりたい」という気持ち以外に何か特別な理由などは必要ないと私は解釈しています。
また、上記【2期13話】でのミアと栞子の会話について、栞子は凧揚げをやりたいと思っている人に対して、
「凧揚げを通じてやりたいことは何なのか」や、
「そのやりたいことを実現するために頑張るのかどうか」
というのを一切確認するまでもなく、(凧揚げの適性があると判断して)設立申請に許可を出しています。
つまり、"何か"をやりたいと思っている人は、それをやりたいという気持ちがあるだけでその"何か"に適性があるわけなので、純粋に大好きなその"何か"を「ただやりたいからやればいい」だけということです。
そして、その"何か"は、
スクールアイドルであってもいいし、
スクールアイドルでなくてもいい(音楽でも凧揚げでも何でもいい)
ということが、【1期】から一貫して描写されています。
このことからも、虹ヶ咲という作品は「スクールアイドル(そのもの)の物語」ではなく、
『誰かに応援してもらいながら自分がやりたいことをやっている姿は、自分や誰かに新しくやってみたいと思える"何か"(≒トキメキ)を生み出して、それがまた自分や誰かへの応援に繋がっていく』
という"応援の循環"を描いた「応援の物語」=「(精神的な概念としての)スクールアイドルの物語」であると私は考えています。
※「精神的な概念としてのスクールアイドル」や、私が解釈している虹ヶ咲の最重要テーマについては、私の過去の記事を参考にしてください。
以上より、配信主が引用していた【OVA】での脚本でもある田中仁の、
『彼女たちがスクールアイドルをやるのは、「ただやりたいからやる」だけ』
という言葉の意味は、
(他の何でもなくスクールアイドルそのものが大好きで)「ただ純粋にスクールアイドルをやりたいからスクールアイドルをやっているだけ」であり、
配信主が考えているような「スクールアイドルを通じて(他に特別な何か)やりたいことがある」かどうかは関係ない
と私は解釈しています。
③:スクールアイドルの条件について
【OVA】ラストでアイラは、スクールに所属していない自身をスクールアイドルであると名乗って、同好会のメンバーがそれを認めており、スクールアイドルの条件とは何かについて考えさせられる描写がありました。
しかし、スクールアイドルの適性と同様に、スクールアイドルの条件についても、既にTVアニメで定義されていると私は解釈しています。
上記【2期13話】の会話について、
「侑ちゃんもスクールアイドルだもん!」という歩夢の台詞と、
「侑先輩は、もうたくさんの人にトキメキを与えられる存在なんですから!」というしずくの台詞
から、
『たくさんの人にトキメキを与えられる存在である侑は、(スクールアイドルそのものの活動をしていなくても)スクールアイドルである』
と描写されています。
つまり、スクールアイドルの条件を満たしているかどうかは、
「スクールアイドルそのものの活動をしているかどうか」では判断しておらず、
「誰かにトキメキを与えられる存在であること」が重要である
ということです。
※上記で引用したしずくの台詞にある「たくさんの人」というのは、具体的に何人なのかという議論の余地があるとは思いますが、私としては、トキメキを与えている人数についてはあまり本質的ではないと考えているため「誰か」としています。
以上より、スクールアイドルの条件とは、スクールやアイドルという要素は一切関係がなく、
『誰かにトキメキを与えられる存在であること』
だと私は解釈しています。
※スクールアイドルの条件を満たしているかどうかは「誰かにトキメキを与えられる存在であるかどうか」だけで判断できますが、誰かにトキメキを与えられる存在になるためには、やりたいことに挑戦(自己表現)する必要があり、そのやりたいことに挑戦するためには「応援が必要不可欠」であると私は考えています。(つまり、スクールアイドルの条件については、配信主と解釈が同じだということですね。)
※「応援が必要不可欠」については、TVアニメで既に描写されており、詳細は私の過去の記事を参考にしてください。
④:アイラについて
上記引用の通り、虹ヶ咲は伝えたいテーマを非常に丁寧でわかりやすく描写しているため、裏を返せば、物語の展開が似ていたり焼き直しと捉えられてしまうこともあるでしょう。
実際に、
スクールアイドルの適性や、
スクールアイドルの条件
については、既にTVアニメで描写されているテーマだと私は考えています。
しかし私は、【OVA】がただの焼き直しだとは思っておらず、【OVA】のアイラだからこそ伝えられたメッセージがあると解釈しているため、以下より説明します。
まず、虹ヶ咲という作品では、【2期13話】の侑と【OVA】のアイラによって、スクールアイドルそのものの活動をしていなくても、
『誰かに(たくさんの人に)トキメキを与えられる存在であれば、(精神的な概念としての)スクールアイドルである』
という描写がされています。
つまり、スクールアイドルというのは、トキメキを与えられる存在であるかどうか(=誰かに応援してもらいながらやりたいことをしているかどうか)が重要なポイントであって、
「スクールに所属しているかどうか」や、
「アイドル活動をしているかどうか」
というのは一切関係がないということです。
このことから、侑以外の「スクールアイドルそのものの活動をしていない"スクールアイドル"」(=精神的な概念としてのスクールアイドル)であるアイラが登場したことによって、"スクールアイドル"をより細分化できることになります。
具体的には、誰かにトキメキを与えられる存在であることは前提として、
タイプ①:スクールに所属していて、アイドル活動をしている(例:歩夢)
タイプ②:スクールに所属していて、アイドル活動をしていない(例:侑)
タイプ③:スクールに所属しておらず、アイドル活動をしている(例:アイラ)
タイプ④:スクールに所属しておらず、アイドル活動をしていない(例:美里)
の4種類です。
※タイプ①が、スクールアイドルそのものの活動もしているスクールアイドルで、タイプ②、③、④が、精神的な概念としてのスクールアイドルになります。
タイプ①、②、④のスクールアイドルは既にTVアニメで描写されているため、
『唯一TVアニメで描写していなかったタイプ③のスクールアイドルを描写すること』
が、【OVA】で制作陣がやりたかったことのひとつだと私は解釈しています。
この観点をふまえると、スクールに所属しておらずアイドル活動をしているアイラという人物が、【OVA】で登場したのはある意味では必然であり、おそらく制作陣はここまで見据えたうえで【2期13話】のラストでアイラを登場させていた(前フリをしていた)のが素敵ですね。
また、【OVA】では栞子とアイラは似ているということで物語が展開されていきましたが、
気持ちが原因(内的要因)でスクールアイドルができなかった栞子と、
環境が原因(外的要因)でスクールアイドルができなかったアイラ
という対比にもなっています。
【1期2話】のかすみたちや【1期7話】の彼方などは、外的要因でスクールアイドルができなくなりそうになったと言えるかもしれませんが、結果的にその問題は解決して、同好会に所属しながらアイドル活動をしています。
ここまでをまとめると、
スクールに所属しておらず、アイドル活動をしている(新しいタイプのスクールアイドル)
外的要因でスクールアイドルができず(栞子との対比)、その問題自体は解決していない(かすみたちや彼方との対比)
それでも誰かにトキメキを与えられる存在(=スクールアイドル)になれた
というアイラは、これまでの虹ヶ咲では描写していなかった部分を穴埋めしてくれている人物であると私は考えています。
以上より、
『【OVA】の内容は、TVアニメと地続きの物語でありながら、【OVA】のアイラでしか描写できなかったことがある』
と私は解釈しています。
ちなみに、美里をタイプ④のスクールアイドルに含めていいのか意見が分かれるところでしょう。
私としては、美里は愛や果林(や同好会メンバー)にトキメキを与えている存在だと考えているため、タイプ④のスクールアイドル(少なくともスクールアイドル予備軍)であると解釈していますが、劇場上映シリーズ3部作では、このタイプ④のスクールアイドルがテーマとなる可能性も十分あると思います。
薫子やはんぺん、せつ菜の母などはどのタイプのスクールアイドルに分類されるのか、あるいはスクールアイドルではないのか等を考えてみるのも面白そうですね。
⑤:次はあなたの番!あなたのがんばったこと&がんばりたいこと発表会について
【OVA】のラストに、あなた(視聴者)が頑張っていること、これから頑張りたいことを募集した視聴者参加企画の発表会があり、あなたが発表した内容を虹ヶ咲のメンバーが応援するという映像が流れました。
結論から言うと、この発表会というのは、
制作陣の欲望を満たすための自己満足や、
制作陣から視聴者に向けたサービス
などというわけでは一切なく、
『虹ヶ咲という作品において描写されるべき物語の一部である』
と私は解釈しているため、以下より説明します。
まず、【2期13話】のラストで、やりたいことを見つけてそれを実現した侑は、「次はあなたの番!」とあなた(視聴者)を応援しています。
このことから、TVアニメを通して伝えてきた「応援の循環」という最重要テーマは、アニメの中の人物だけの話ではなく、私たち視聴者が存在している"現実世界"の人たちにも拡張できるであろうことを描写していると私は考えています。
※「応援の循環」については上記の記事を参考にしてください。
そして、この侑からの問いかけに対するアンサーとして、あなた(視聴者)のがんばったこと&がんばりたいこと発表会があるわけです。
つまり、
【2期13話】の時点で「虹ヶ咲という作品から視聴者への問いかけ」という前フリがあり、
【OVA】で「視聴者から虹ヶ咲という作品へのアンサー」として発表会という形で答えを返している
ということです。
これこそがまさに、虹ヶ咲の最重要テーマである「応援の循環」であり、
『アニメの中だけではなく"現実世界"にも拡張できたことを証明している描写』
となっているのではないでしょうか?
また、この一連の描写は【2期13話】から【OVA】へと物語が地続きに繋がっていることを意味しており、発表会自体は【OVA】ならではの演出と言えるかもしれませんが、決して制作陣は、
「【OVA】でしかもオマケ要素という形にしたら許してくれるよね」という制作陣の自己満足や、
「せっかくの【OVA】だし視聴者に参加してもらって媚びておこう」という視聴者へのサービス
などのために作ったわけではなく、あくまでも、
『虹ヶ咲という作品において描写されるべき物語の一部』
だと考えたうえでの描写であると私は解釈しています。
※「発表会は物語の一部である」という根底があったうえで、その発表会という描写が制作陣のモチベーションになっていたり、視聴者へのサービスとなっている分には構わないと考えており、実際にそうなっていると思います。
ここまでをふまえると、
『"現実世界"でがんばったことやがんばりたいことがある人』
というのは、
「スクールに所属しているかどうか」や、
「アイドル活動をしているかどうか」
にかかわらず、
タイプ⑤:"現実世界"で誰かにトキメキを与えられる存在(例:magikascas)
であり、素敵なスクールアイドル(少なくともスクールアイドル予備軍)だということを描写していると私は考えています。
※がんばったことがある人は、既に自己表現をして誰かにトキメキを与えられる素敵な"スクールアイドル"であり、がんばりたいことがある人(スクールアイドル予備軍)には、発表会で虹ヶ咲のメンバーが挑戦には必要不可欠な応援をしています。
以上より、「次はあなたの番!あなたのがんばったこと&がんばりたいこと発表会」というのは、制作陣の自己満足や視聴者へのサービス等のために作られたものではなく、
『虹ヶ咲という作品において描写されるべき物語の一部である』
と私は解釈しています。
⑥:【OVA】のベストシーンについて
上記の記事にて、虹ヶ咲のTVアニメ全26話分のベストシーンを紹介したので、【OVA】のベストシーンも紹介しておきたいと思います。
嵐珠に冗談を言った栞子に対して、ミアが「かわいいじゃん栞子」と言い、かすみが「塩対応のしお子もかわいいけどね」というシーン。
栞子は「かすみのかわいい」から着想を得て、自分の性格と掛け合わせた「栞子のかわいい」を表現していることから、栞子は「かすみのかわいい」は表現できない(=かすみにはなれない)けれど、かすみにはできない「栞子のかわいい」を表現できているということであり、栞子もかすみもオンリーワンであることが描写されています。
そして、まだ「かすみのかわいい」を自分なりに取り入れる前の栞子(=塩対応のしお子)のことも、他の誰でもないかすみが「かわいい」と思っている(=どちらの栞子も素敵なスクールアイドルだと認めている)というのが素敵ですね。
⑦:感想・思考を言語化する無職氏について
私も虹ヶ咲のTVアニメについて、各話ごとに1記事ずつ私見を書いていこうと思っていましたが、現在保留中です。
1話1記事というのは果てしないなと私も感じたので、まずは各話ごとにベストシーンを1つに絞って、その全26話分を1記事にして紹介するという形式で記事を書きました。
各話ごとに語りたいシーンを複数挙げてしまうと果てしなくなってしまうので、ベストシーンとして1つに絞るというのがポイントです。
悩みながら1つを選ぶのも楽しく、一通り全話の感想を述べられて満足度も高いのでかなりオススメですよ!
また、ベストシーンではなく各話ごとの、
MVPの人物
テーマ
全26話を通した同一人物だけの感想
などでも面白いと思います。
ベストシーンの記事を書いてかなり満足してしまった私が言うのもなんですが、【1期1話】からプレゼン配信をするのではなく、上記のようなハブとなるコンテンツを1つ作って、反応が良かった回や自分がプレゼンしたい回から手を付けていくというのもアリかもしれませんね。
そして、感想・思考を言語化する無職氏による虹ヶ咲の各話ごとのプレゼン配信も楽しみにしているのですが、個人的には、
『アニメの批評動画を批評するプレゼン配信』
にもかなり期待しています。
感想・思考を言語化する無職氏には、アニメを批評するだけではなく、アニメを批評している人を批評してほしいですね^^
まとめ
虹ヶ咲OVAの私見をまとめると、
スクールアイドルの適性や、
スクールアイドルの条件
というのは既にTVアニメで定義されていますが、TVアニメでは描写していなかったポジションの"スクールアイドル"について、
アイラや、
視聴者
という人物を【OVA】で登場させることによって丁寧に描写しているため、
『TVアニメと地続きになっている"TVアニメ第27話"のようなOVA』
であると解釈しました。
今回の記事では触れていませんが、【OVA】でも随所に散りばめられていた、いわゆる小ネタからも制作陣の虹ヶ咲に対する熱意が伝わり、制作陣が虹ヶ咲を通してやりたいことが十二分に感じられるとても素敵な作品です。
そして、感想・思考を言語化する無職氏は、虹ヶ咲の各話ごとのプレゼン配信と、アニメの批評動画を批評するプレゼン配信をしなければいけないと思います^^
また、今回取り上げた内容の他に、
制作陣の発言を根拠にすることについて
「尺が足りない」について
劇場上映シリーズ3部作について
なども書きたかったのですが、かなり記事が長くなってしまうので、また別の機会にできればと考えています。
コメントはもちろん、Twitterのいいねやnoteのスキもすごく励みになるので、記事を読んでいいなと思っていただけた方はぜひよろしくお願いします!
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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