【虹ヶ咲】桜坂しずくとヒーローショー【1期13話】
映画『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章』の公開も近づいていますね!
今回は、公式でもアニガサキの振り返りをしているようですので、【1期13話】でのしずくのヒーローショーについて私見を述べさせていただけたらと思います。
【1期13話】のしずくのヒーローショーについては、上記の記事を公開した時からいつか記事にできたらなと思っていたので、ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。
【1期13話】でしずくがヒーローショーをしているシーンはしずくの成長描写である
結論から言うと、
『【1期13話】でしずくがヒーローショーをしているシーンはしずくの成長描写である』
と私は解釈しています。
その理由は、【1期13話】でしずくが演じたヒーロー(以下「スクールアイドル仮面」とします)は、
自分の夢を叶えられる(しずくの場合、自分をさらけ出せる)スクールアイドルフェスティバルという舞台で披露された、
"桜坂しずく"自身がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーロー
であり、
『【1期8話】で気づきを得る前のしずくには、このスクールアイドル仮面を演じることはできなかったであろう』
と私は考えているからです。
まずは、スクールアイドル仮面は、
しずくが自分をさらけ出せていて、
"桜坂しずく"がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローである
と私が解釈している根拠について説明します。
スクールアイドル仮面を演じることでしずくは自分をさらけ出せている
スクールアイドル仮面を演じることでしずくが自分をさらけ出せているという根拠は、スクールアイドル仮面を披露している舞台が自分の夢を叶えられるスクールアイドルフェスティバルであり、その舞台でしずくのパフォーマンスはうまくいって、しずく自身も満足している描写があることです。
まず、スクールアイドルフェスティバルとは、【1期13話】のタイトルにもある通り「みんなの夢を叶える場所」です。
そして、上記引用の【1期8話】で気づきを得る前と得た後のしずくの対比より、【1期13話】時点でのしずく(【1期8話】で気づきを得た後のしずく)が叶えたい夢とは、
『白しずく(=良い子のフリをしている私)だけではなく黒しずく(=周りに隠している私)もさらけ出せている白と黒の両方をあわせ持ったしずく(≒本当の私)を表現すること』
でしょう。
もう少しわかりやすく言うと、
『しずくが好きなことを好きだと周りの人に伝えること(≒自分をさらけ出すこと)』
であると私は考えています。
※【1期8話】のしずくについての私見は以下の記事で少し触れているので参考にしてください。
また上記引用より、しずくはスクールアイドルフェスティバルでのパフォーマンスがうまくいって満足しているという描写がされています。
少なくとも、スクールアイドルフェスティバルでのパフォーマンスについて、しずくに悩みや不満があったという描写はないはずなので、【1期13話】の文脈から考えても、しずくは自分の夢を叶えられたと捉えるのが自然でしょう。
これらのことから、
『しずくはスクールアイドルフェスティバルの舞台で自分をさらけ出せている』
と考えるのが妥当であると私は解釈しています。
※ここから少し補足です。
もちろん可能性だけの話をすれば、しずくはいかにも満足している"感じ"の演技をしていた可能性や、実はあのシーンだけはしずくによく似た別人だった可能性なども考えられるでしょう。
もしかしたら映画でそのような後付け描写があるかもしれません……。
しかし私がしたいのは、可能性があるかの話ではなく、妥当であるかの話だということです。
つまり、現時点でしずくに悩みや不満があったという明確な描写がない以上、
【1期8話】で自分をさらけ出せた→だから(順接)→【1期13話】でも自分をさらけ出せた
【1期8話】で自分をさらけ出せた→しかし(逆接)→【1期13話】では自分をさらけ出せなかった
両者のうち、わざわざ逆接の可能性があることを考慮する必要はなく、順接の解釈をするのが妥当だろうということです。
もしアニメ制作陣が逆接の物語を展開したければ、その意図が汲み取れる何かしらの描写を作中に入れているはずだからですね。(順接の物語を展開したい場合は特別な描写を入れなくても筋が通る)
別の言い方をすれば、作中から明確な根拠を提示しなければいけないのは、
自然に物語の文脈に沿った「自分をさらけ出せている」という順接の解釈をしている側ではなく、
わざわざ物語の文脈に反した「自分をさらけ出せているとは言えない」という逆接の(可能性があるという)解釈をしている側
だろうということです。
逆接の可能性があることを考慮したいのであれば、逆接の可能性があることを考慮したい側が、素直に順接の解釈をする場合よりも客観的な説得力がある根拠を提示すべきでしょう。
それができないのであれば、わざわざ物語の文脈に反した解釈をしている側の方が分が悪い(妥当ではない)と判断せざるを得ないということです。
個人的には、【1期13話】のヒーローショーでしずくに悩みや不満があったという描写がない以上、しずくは「自分をさらけ出せた」と考えるのが自然で妥当であり、わざわざ「自分をさらけ出せているとは言えない」と主張するのは、作品に寄り添うつもりがない悪意の解釈だなと思ってしまいますね。
スクールアイドル仮面は"桜坂しずく"がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローである
スクールアイドル仮面は"桜坂しずく"がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローであるという根拠は、スクールアイドル仮面が「しずくスカイブルーハリケーン」という技を繰り出している描写があることです。
「しずくスカイブルーハリケーン」という技名には"しずく"というワードが入っており、この"しずく"は作中に登場していてこの技を繰り出すヒーローを演じている桜坂"しずく"を表現していると捉えるのが自然でしょう。
また、(ここまで丁寧に説明する必要はないとは思いますが)メタ的に見た場合、「しずくスカイブルーハリケーン」と「せつ菜スカーレットストーム」は対になっており、これら2つの技名は、
『(技を繰り出す人物名)+(その人物のイメージカラー)+(その技によって起こる現象)』
という構成になっていることからも、「しずくスカイブルーハリケーン」の"しずく"は、この技を繰り出している人物である桜坂"しずく"を表現していると考えられますね。
そして、「しずくスカイブルーハリケーン」の"しずく"が、いち高校生である桜坂"しずく"を表現しているとするのであれば、この技を繰り出すスクールアイドル仮面という存在は、
テレビなどで子どもたちに大人気の有名ヒーロー(既存のヒーロー)ではなく、
しずくによって新しく生み出された無名ヒーロー(しずくオリジナルのヒーロー)である
と私は考えています。
これらのことから、
『スクールアイドル仮面は"桜坂しずく"がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローである』
と考えるのが妥当であると私は解釈しています。
ちなみに、スクールアイドル仮面はしずくが好きな「スクールアイドル」がモチーフになっていることも、おそらくしずくが創作したオリジナルヒーローだろうという根拠のひとつになりそうですね。
※ここから少し補足です。
上記の補足と同様に、もちろん可能性だけの話をすれば「しずくスカイブルーハリケーン」の"しずく"というワードは、桜坂"しずく"を表現していない可能性も考えられるでしょう。
水の"しずく"を表現しているのかもしれませんし、しずくという名前のキャラクターを簡単に検索しただけでも、
などたくさんヒットします。
もしかしたら映画でこの中のしずくを表現していたという後付け描写があるかもしれません……。
つまり、無数の可能性がある中で、「しずくスカイブルーハリケーン」の"しずく"というワードは、どの"しずく"を表現しているのが妥当であるとあなたは考えるのかということですね。
私としては、
作中に登場している(物語の文脈に沿った)桜坂しずくではなく、
わざわざ(物語の文脈に反した)桜坂しずく以外のしずくである
と解釈したいのであれば、物語の文脈に反した解釈をしたい側が、「なぜ桜坂しずくではなく〇〇のしずくなのか」というそれ相応の根拠を提示すべきだろうと考えています。
そして、作中(あるいは作品に関係するもの)から「他のどれでもなく〇〇のしずくである」という明確な根拠を提示できないのであれば、「桜坂しずくである」という解釈よりも客観的な説得力がないため、妥当な解釈ではない(あなたの妄想の域を出ない主観)だろうということですね。
※「しずくスカイブルーハリケーン」の"しずく"というワードは、桜坂しずく以外を表現していると解釈することを否定しているわけではありません。
【1期8話】で気づきを得る前のしずくには、スクールアイドル仮面を演じることはできない
上記2つの根拠より、スクールアイドル仮面はしずくが自分をさらけ出せていて、桜坂しずくがモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローであると私は解釈しています。
ここまでが前提です。
これを前提とした場合、しずくはスクールアイドル仮面で自分をさらけ出せていることになり、自分をさらけ出せているということは、スクールアイドル仮面には黒しずく(=周りに隠している私)の要素が含まれているはずだと考えることになります。
それでは、スクールアイドル仮面に含まれている黒しずく(=周りに隠している私)の要素とは何なのでしょう?
私としては、「桜坂しずくがモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーロー」の部分が黒しずく(=周りに隠している私)の要素であると解釈しています。
特に、自分自身をモチーフにする行為というのは、【1期8話】で気づきを得る前のしずくにとってはかなり勇気のいることでしょう。
仮にオリジナルのヒーローを作るとしても、わざわざ自分自身をモチーフにする必要はなく、周りの目を気にするのであれば、無難に周りのみんなが好きそうなものをモチーフにすればいいだけだからですね。
このことからも、しずくが自分自身をモチーフにしたオリジナルのヒーローを披露している(披露できている)ことは、しずくが"桜坂しずく"をさらけ出そうと挑戦している(さらけ出せている)描写であると私は考えています。
別の言い方をすれば、スクールアイドル仮面とは、
『しずくが自分自身をモチーフにして自分の好きを詰め込みながら創作した「ぼくのかんがえたさいきょうのひーろー」である』
と私は考えているということですね。
また、「しずくスカイブルーハリケーン」というしずく自身の名前がついた技(≒黒しずくの要素)を繰り出すヒーローの演技(≒白しずくの要素)をしずく本人がしています。
これはまさに、スクールアイドル仮面を演じることで、白と黒の両方をあわせ持ったしずく(≒本当の私)を体現していると言えるのではないでしょうか。
これらのことから、スクールアイドル仮面というしずく自身がモチーフになっているしずくオリジナルのヒーロー披露することは、【1期8話】で気づきを得る前のしずくにはできなかったことであると考えるので、
『【1期13話】でしずくがヒーローショーをしているシーンはしずくの成長描写である』
と私は解釈しています。
※ここから少し補足です。
【1期8話】で気づきを得る前のしずくでも、スクールアイドル仮面を演じられたと解釈する人もいると思います。
スクールアイドル仮面はあくまで演技なので、割り切って演じることはできるはずだという主張ですね。
私としては、【1期8話】で気づきを得る前のしずくでも、
桜坂しずくがモチーフになっていて、
しずくが創作したしずくオリジナルのヒーロー
というしずくの要素が満載のスクールアイドル仮面を割り切って演じられたと言うのであれば、
『そもそも【1期8話】での演劇(荒野の雨)の主役も、悩むことなく割り切って演じられたのでは?』
と思ってしまいますね。
桜坂しずく本人がモチーフになっていて、しずく自身の名前がついた技すら繰り出すしずく本人が創作したしずく要素満載のスクールアイドル仮面
(おそらく)桜坂しずくがモチーフになっておらず、あくまで自分をさらけ出す"感じ"を求められているだけの(おそらく)しずく以外が創作した荒野の雨の主役
両者のうち、割り切って演技をするとしても、より"桜坂しずく"をさらけ出している(より難易度が高い)のは前者であると私は考えます。
つまり、もし前者を難なく演じられると言うのであれば、後者はより簡単に演じられるはずなのでは?と思ってしまうということですね。
細かいことを言えば、後者はしずくがモチーフになっていない別人を演じるわけなので、その別人(荒野の雨の主役)を演じる際には本当に"桜坂しずく"をさらけ出してしまってはダメでしょう。
荒野の雨の主役の演技に求められているのは、あくまで「自分をさらけ出す"感じ"」の演技です。
そのため、"桜坂しずく"をさらけ出せているスクールアイドル仮面を割り切って演じられると言うのであれば、荒野の雨の主役を演じる際も、しずくがいかにも自分をさらけ出している"感じ"の演技(≒スクールアイドル仮面を演じるよりも簡単な演技)をすればいいだけなので、そもそもしずくは【1期8話】で悩む必要がなくなるだろうということですね。
個人的には、
自分がモチーフになっていて、自分の名前がついた技すら繰り出す、自分オリジナルのヒーローを演じられる人は、
「自分をさらけ出す"感じ"」を注文されただけの別人も怖くて演じられないと悩むことなく演じられるだろう
と思ってしまいますし、逆に言えば、
「自分をさらけ出す"感じ"」を注文されただけの別人ですら怖くて演じられないとは悩む人は、
自分がモチーフになっていて、自分の名前がついた技すら繰り出す、自分オリジナルのヒーローなんてもっと怖くて演じられるわけがないと悩むだろう
と思ってしまいますね。
細かい私見
ここからは上記の内容をふまえて、『桜坂しずく虚無問題』の動画で主張されている更に過疎ってナンボ!!氏の解釈を引用しながらもう少し細かい私見を述べていきます。
誤解を恐れずに言えば、しずくは【1期13話】のスクールアイドル仮面で、上記引用の例外のようなことをしていると私は解釈しています。
今回の記事で私が一番伝えたいのはここですね。
しずくは、好きなヒーローを聞かれた時に、
周りの目を気にして「今やってるヒーロー(が好き)」だと答えるのではなく、
周りの目を気にせず「昔やってたヒーロー(も好き)」だと答える
という決意をしたのが【1期8話】の物語であり、しずくの成長でしょう。
そして前述の通り、スクールアイドル仮面とは、
テレビなどで子どもたちに大人気の有名ヒーロー(既存のヒーロー)ではなく、
しずくによって新しく生み出されたしずく(いち高校生)がモチーフの無名ヒーロー(しずくオリジナルのヒーロー)である
と私は考えています。
スクールアイドル仮面は、テレビで放送されていた既存のヒーローですらないしずくオリジナルのヒーローである分、上記引用の例外よりもさらにマニアックなことをしていると捉えることができるかもしれません。
そんなマニアックなことにしずくが挑戦しているという描写が、【1期13話】でのスクールアイドル仮面であると私は解釈しています。
つまり、スクールアイドル仮面は動画主が主張している例外に当てはまっており、スクールアイドル仮面でのパフォーマンスは、【1期8話】で気づきを得る前のしずくにはできなかったことができるようになったというしずくの成長描写であるということですね。
私の解釈では、スクールアイドル仮面がオーソドックスであるかどうかは関係ありません。
たとえオーソドックスであったとしても、しずく自身がモチーフになっているしずくオリジナルのヒーローという時点で、【1期8話】で気づきを得る前のしずくにはスクールアイドル仮面を演じられないだろうという解釈だからです。
仮にオーソドックスであるかどうかの条件はクリアできていたとしても、その他の条件(しずく自身がモチーフになっているしずくオリジナルのヒーローという点)でアウトだということですね。
つまり、スクールアイドル仮面の構成要素には、オーソドックスであるかどうかとは別の尺度で、
『【1期8話】で気づきを得る前のしずくが馴染めない(嫌われる)かもしれないと恐れて演じられない要素が含まれている』
だろうということです。
ちなみに個人的には、スクールアイドル仮面は、
現在のオーソドックスではなく、
ふた昔前のオーソドックス
というような感想であり、あまり今の子どもたちにはウケないのではないかなーと思っています。(そんなところも黒しずくっぽいなと思っています)
また、スクールアイドル仮面のパフォーマンスは、
しずくが子どもたちのために、子どもたちが好きそうでオーソドックスなヒーローショーをしてあげた結果、子どもたちにウケたという描写ではなく、
しずくが自分のために、自分をさらけ出せている自己表現をした結果、子どもたちはその自分をさらけ出せているしずくを肯定・応援してくれた(=大盛り上がり)という描写である
と私は解釈しています。
しずくは【1期8話】で自分をさらけ出す決意をして成長しているため、
子どもたちにウケているからということを根拠にして、「しずくは自分のやりたいことよりも子どもたちを優先させたのでは?」という思考(≒【1期8話】で気づきを得る前のしずくに近い行動)ではなく、
(自分の夢を叶えられる舞台で)子どもたちにウケているからということを根拠にして、「自分のやりたいことを優先させた結果その自己表現が子どもたちにも受け入れられたんだな」(≒【1期8話】で気づきを得た後のしずくに近い行動)という思考
だということですね。
もし、【1期8話】で気づきを得た後のしずくが、自分の夢を叶えられる舞台なのに、自分のやりたいことよりも子どもたちを優先させるという選択をしたのであれば、作中に悩みや不満がある描写や葛藤している描写などがあるはずでしょう。
つまり、黒しずくも肯定・応援してくれる存在というのは、
【1期8話】のかすみ(や同好会のみんなという身内)だけではなくて、
子どもたちなど他にもたくさん肯定・応援してくれる人たちがいるよ
という描写であり、
『私たちが応援するから自分のやってみたいことに挑戦してみなよ』
というのが虹ヶ咲のテーマであると私は解釈しています。
そのためメタ的に言えば、【1期13話】での現場のファンや子どもたちは、しずくが自分をさらけ出したことを肯定・応援してくれたかすみや同好会のみんなと同じ役割を担っているということですね。
私としては、スクールアイドル仮面がしずく自身をモチーフにしているしずくオリジナルのヒーローという時点で、【1期8話】で気づきを得る前のしずくにはスクールアイドル仮面を演じられないだろうと解釈しています。
また、お芝居だから、台本があるから、大義名分があるからという理由で【1期8話】で気づきを得る前のしずくでも"桜坂しずく"をさらけ出せているスクールアイドル仮面を演じられたと言うのであれば、【1期8話】での荒野の雨の主役も同様にお芝居であり、台本があり、(荒野の雨の主役はあくまでしずくではない別人を演じているだけという)大義名分があるわけなので、しずくは悩むことなく演じられたのではないでしょうか?
【1期8話】で気づきを得る前のしずくは、
たとえお芝居であっても、
たとえ台本があったとしても、
たとえ大義名分があったとしても、
たとえ「自分をさらけ出す"感じ"」の演技をするだけであっても
怖くてできないと思ったからこそ悩んだわけです。
そして、しずくは【1期8話】で自分をさらけ出す決意をして成長したからこそ、【1期13話】で"桜坂しずく"をさらけ出せているスクールアイドル仮面を演じられたと私は解釈しています。
そのため、上記引用のような解釈をする場合は、【1期8話】で気づきを得る前のしずくについて、なぜスクールアイドル仮面は演じられて、荒野の雨の主役は演じられないのか(悩んだのか)という違いを提示する必要があると思ってしまいますね。
ちなみに、
【1期8話】で荒野の雨の主役を演じられたことは、「自分をさらけ出す"感じ"」の別人の演技ができるようになった描写であり、
【1期13話】でスクールアイドル仮面を演じられたことは、"桜坂しずく"をさらけ出した本人の演技までできるようになった描写である
という、しずくが少しずつ挑戦して成長しているステップアップの描写と捉えることができるかもしれませんね。
以上が、【1期13話】のヒーローショーの私見です。
みなさんは、【1期13話】でしずくがスクールアイドル仮面を披露しているシーンをどのように解釈していますか?
ぜひ、スクールアイドル仮面はしずく自身がモチーフとなっているしずくオリジナルのヒーローであると解釈しているかどうかだけでも教えていただけると幸いです。
実は、まだまだ書きたいことがあったのですが(これでも5000字以上カットしています…)、かなり長くなってしまったのでそれはまたの機会にしたいと思います!
というわけで、コメントはもちろん、SNSのいいねやnoteのスキもすごく励みになるので、記事を読んでいいなと思っていただけた方はぜひよろしくお願いします!
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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