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背中で語る

僕のように舞台に上がる人間だけではなくて実は誰の人生にもスポットライトってものは当たっている。だからこそ人は誰かから見つけてもらえる。光が当たっていない人間は誰からも見えない。必ず人には光が当たっているはずなんだ。

必ず自分に光が当たっている。ということは同時に必ず陰が出来ている。自分の背中は陰になっている。たった一人で生きている仙人なんかじゃなくて、自分は社会の中で生きている人間だという自覚があるなら、この事実から目を背けられない。そう、自分の背中は陰になっている。

だから。自分にスポットライトが当たってたくさんの人に見てもらえるようになればなるほど、光が強くなるし陰が濃くなるってことを忘れちゃならない。

さて、、、自分の背中の陰は本当に昏くて誰からも見えていないのだろうか?その陰になら毒蟲が巣食っていても気づかれないだろうか?陰が濃くなって今は誰にも見えていないとして毒蟲が蠢いていていいのだろうか?陰が濃くなり誰からも見えなくなって尚、その背中に巣食う毒蟲を一つ一つ自分の手で摘み取って捨ててゆかねばならないのではなかったか?

ふと振り向いたとき、誰かが突然後ろからライトを当てたとき、悔しいけれど自分の背中にはきっと見せたくはないものが蠢いている。嫉妬、怯え、傲慢、そういう気持ちの悪いものが巣食っている。もちろんその背中には歯を食いしばって乗り越えてきた傷や暴れそうになるほど苦しい悲しみを抑え込んだ痣だってある。【背中で語る】とはそういうものを見られてしまうということなんじゃないか。背中を見ればその人の普段光が当たっていない面もよく解るってことなんじゃないか。

だから少なくとも、見られては困るようなものを背中に隠しておくべきではないんだよ社会のルールから外れているようなことは。せめて傷や痣くらいにして気持ちの悪い蟲どもを今日もひとつひとつ潰すしかないのだよ。そうしないといつかそいつらはやがて少しづつ増殖していって、まだバレないまだみつからないまだ隠し通せるまだごまかせるって、、いつか光の当たる表面(おもてづら)にまで浸食してくるんだよ。そうなった時にはもう、、、自分の顔が毒に冒されて人前には出られない姿に成り下がってるんだろうて。


(冒頭の写真はね、グレイテストショーマンのポスターから一部いただきましたよ。スポットが当たっていない背中側の絵って、ありそうでないもんだね。)

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