あとがき
お読みいただき本当にありがとうございました。楽しんでいただいたのなら幸甚です。最後にマジシャンがなぜ小説など書いたのか、お話してみようと存じます。
最初のきっかけは何かのビジネス書でした。突き詰めて言ってしまえば私は「自身の店の売り上げをあげるために小説を書いた」ことになります。ピンとくる方は少ないのかもしれませんが、こう言い換えたらいかがでしょうか?売れているコンテンツにはドラマ、ストーリー、物語が存在すると。
例えば高校野球はそれぞれの県の代表校が出てきて野球をして一番を決めるだけではあります。しかしそこには毎年毎年名勝負があり名選手があり涙を呑んで敗退してゆく若人がありそこかしこにドラマがあります。例えば多くの人に愛される老舗料亭の味には戦争を辛くも逃げた代々伝わる秘伝のたれのエピソードなんてものがあります。顧客を引き付けるのは商品そのものの魅力だけではなくその開発秘話や店主の心意気や社長を支えた従業員や妻の熱意だったりします。全て「物語」です。
マジックの技術や内容や店の雰囲気だけではなく、ムッシュピエールというマジシャンに、そして私の店マジックタイムにどんな物語やどんなドラマがあれば、お客様を惹きつけるであろうかとそんなことを考え始めたのです。
昭和生まれ、47歳の男の人生ですからそれなりの物語はあります。決して楽な道を歩んできたわけではありません。とはいえ、それはムッシュピエールのいわゆる「中の人」の人生です。そこに魅力を感じて下さるファンがいらっしゃるのも事実ですが、生々しい挫折の過去や道を外して人様に迷惑をかけた時期を語るのはただの駄文になりましょう。そもそもピエールというのは「フランスからやってきた」というあまりに荒唐無稽な設定の人。ならばそのピエールの物語は架空のものでもよいではないか。そう思ったのが小説づくりの始まりでした。ピエールは師匠から何を一番怒られ指導鞭撻を受けどんな思いで今のお店を経営するに至ったかをぼんやり考えているうちに頭の中で架空の物語が形作られてゆきました。
そのころ私はタレントであり絵本作家のキングコング西野亮廣氏の著書を読む機会が多かったため、影響を受けやすくお馬鹿な私はその物語を「絵本」で表現するつもりでいたのです。絵など全く描けやしないのに!絵本の文章だけ書けば誰かが絵を描いてくださると、まあ身勝手なものです。ところが「絵本」という形を頭に思い描いたていたからこそ、この物語の格となるアイデアが思いつきました。
絵本の1ページが抜け落ちた途端、物語の印象が真逆になるようにできないかというマジシャンらしいと言えばマジシャンらしい発想でした。
自分の話を絵本にして、印象が逆になるのであれば、その話の完成形は決してハッピーではないだろうと考え、当然1ページ抜けた話がハッピーになるように構想を練り始め、絵本の構造が出来上がります。
それとは別に当時の私は、マジックの演技に「ウォンド」を多用するようになっていました。これまたきっかけは情けないほど単純なものです。
日本奇術協会理事、藤山新太郎先生の著書(東京堂出版「そもそもプロマジシャンというものは」)に「ウォンドはカップ&ボールをやる時に使うもんであって、ほかの時にはしまっておくもんだとおもいこんでいるんだ」とあります。マジシャンが芸を演じるのに際しグランドデザインが出来ていないという未熟な面を指してこうおっしゃっているのですが、それなら僕はどんなマジックでもウォンドを使ってやろうではないかという至極幼稚でお馬鹿な反抗心から必要のない場面でもウォンドを使っていたのです。
さて、物語の中で最初に出来たのは第2章です。とはいえ産みの苦しみとはよく言ったものでアイデアを形にするまで1年ほど時間がかかっています。そんな中、絵本を現実に制作するとなると絵本は8の倍数ページが必要だという事を知りました。数字でなくアルファベットを割り振ったのは気分なだけで、破り取られるページが【N】になったのもたまたまでした。そうこうしているうちに絵本が出来上がります。正確には物語の中に存在する絵本であってイラストは全くありません。その絵を描いてほしいと思い、まずは誰かに読んでもらおうと作家を目指す方の集うあるオンラインサロンに相談を持ちかけることになります。
ところがそちらの皆さんに読んでいただこうと物語を投稿する直前、一度急ブレーキがかかります。
私が読者に体験してほしいのは「1ページの有無ゆえに絵本の印象が変わる」ことでした。でもカーラの物語を語ってしまえば読者は完成形を知ったうえで1ページが抜けた場合の物語のつながりに「納得するだけ」です。絵本の印象は変わりません。そこで僕は本当に馬鹿なことをします。まず1ページ抜けた状態の絵本パートのみを投稿。違和感を残しつつハッピーエンドだと思ってもらう。その後全体(第2章)を投稿、絵本パートを重複して読んでもらうという、サロンの皆さんには、かなり時間を取らせる失礼な投稿。申し訳なかったです。
「絵本の印象が変わる」体験は一応してもらえるのですが、絵本部分を2回も読んでもらうことになるし、何より面白くない。
そこで「1ページない絵本を読んでハッピーエンドだと勘違いする話」と「悲しいお話である完成形の絵本を読んだ子供が一枚破り取る話」の二つを、もうむちゃくちゃなくらい強引にくっつけてしまったわけですね。これでちょっぴり切ない物語(第1章・第2章)が大筋で出来上がります。
するとうちわ会議室の方から「店に来てもらうつもりであるならばアンハッピーな終わり方ではお客様は嫌がるのではないのか、ハッピーエンドである必要があるのでは?」とご指摘を受け、そういう風に感じる方もいるのだなと考えを改め、この寂寥感たっぷりの物語を再びひっくり返す物語を考えはじめたのです。
そうして創りはじめた第3章は、まるで別の誰かが編み出してくれているようでした。抜け落ちたページを巡ってそれを元に戻し杖の力を手に入れようとする者と、それを阻止しようとする者。ページをくっつけたり破り取ったりすることでめまぐるしく変わる登場人物たちの環境。ハンコのアイデアが生まれた瞬間は、正直この僕には作家の才能があるのかとさえ感じました。まーお馬鹿!
頭の中のアイデアが二転三転したものの、第3部はたった2週間ばかりでまとまってしまいました。
最後のシーンでシシが心に誓うシーンは、自分が創ったお話であるにもかかわらず、何度読んでも涙が出ます。きっとムッシュピエールというマジシャン自身が、シシのように本当にこれで間違っていないのかと何度も何度も迷いながらも「何を演じるかではなく誰が演じるか」という考えに軸足を置いてキャリアを積んできたからであろうと思います。ピエールの現実の師匠であるルヴイならぬルビー師の教えでもあります。
そうして、第3章全体が出来上がった後、サロンの皆さんから寄せられていた質問「そもそもどうしてウォンドは魔法が使えるのか、なぜその名前なのか、なぜ時間を戻せばただの棒になるのか」などを考え始め、神様と悪魔の話が出来上がってゆきます。
いやー。自分で書いているのに正直面白かったですし早く皆さんに読んでほしいと思いました。でもきっとこの物語のあらすじってそんなに珍しい話ではないとも思っています。誰しも自分の道を本当にこの道でいいのかと迷い悩みながら頑張っていらっしゃるものです。なかなか絵本の中のコピーヌさんのようには真っ直ぐとは生きられないものです。もしも本当に魔法が使える杖を手に入れてしまえば迷いは消え悩みは晴れるでしょうが、その態度はとたんにピエールやゼフォーのように傲慢になってゆくものなのかもしれません。悪魔が言うように魔法などそもそも人間が扱えるものではないのでしょう。魔法の杖などないからこそわれわれ人間は、失敗もし挫折もし愚痴も吐き泥道を泣きながら歩いてゆきます。たまには曲がることもあるでしょう。それでも人間はきっと、そばにコツンと叱咤してくれる人さえいればまた真っ直ぐ歩いてゆけるものなのかもしれません。
さあ、後はこの物語を読んで下さった皆さんが、私のマジックバーに訪れて下さることを待つだけです。ぜひマジシャン ムッシュピエールに会いに来てくださいね。夢の中ではなく現実の世界におりますから。運が良ければコピーヌさんにも会えるはずです。
ここで最後まで読んで下さった方にだけ内緒の話をしますね。実はコピーヌさんって絵本だけでなく現実でも本当に曲がったことが嫌いな性格の女性です。それもそのはずコピーヌさんの本当の名前は、物語の中でちゃんと書かれている通り、、、まっすぐな、、
コツンッ! 痛っ!
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