自分のビジュに対する認識
「あたしンち」で、みかんが友達とのカラオケ中に撮られた写真に写る自分がブスすぎて落ち込む、という話が妙に記憶に残っている。しかも友達には、「このみかん良く撮れてるね〜、写真写り良いんだね〜」と言われる始末。
あるあるではないだろうか。頭で思い描いている理想の自分のビジュと、現実の自分のビジュとのギャップ。僕も、この問題に直面することはよくあって、写真を撮られるのが苦手。まだ「撮るよ〜」と言われて撮られる集合写真スタイルは顔を作れるのでいいのだが、何気ない瞬間を撮られた1枚とか、気を抜いた瞬間の自分の顔を見るときは、ウッと心の筋肉に力が入ってしまう。
これは見た目へのコンプレックスの強さと同時に、強いナルシズムの現れでもあるなぁと思う。実際僕は、鏡で自分の顔を見るのが好きだ。特に家の見慣れた鏡で見る自分は盛れている。なんならかわいいなぁ、とまで思う。
この現象、鏡は実際の顔と左右反転しているため、写真で見る自分の顔に違和感を持ちやすいこと、鏡を見る時は無意識にキメ顔をしているため、良く見えるのだという理論は知っている。
しかし、思っている自分の姿と、現実の自分の姿のギャップにここまで打ちのめされるのは、自分自身のことを良く思いたいという願望からくる認知の歪みだとまざまざと思い知らされる。
幼少期、僕のナルシズムは天井知らずだった。将来の夢はTVタレント。とりあえず、もう少し大きくなればテレビ戦士かジャニーズJr.になれると本気で信じこんでいた。
5歳頃から小学校低学年の頃の僕の写真は、どれを見ても満面の笑みを浮かべ、モデル気取りでなんらかのポーズを決めている。顔の造形はともかく、愛嬌と子ども特有の愛らしさで、それなりに可愛らしいし微笑ましくはある。
小学校の高学年になると、それまでのバカバカしいほどのナルシズムは影を潜め、笑顔を浮かべている写真すら少なくなっている。ただこの頃は容姿のコンプレックスがあってというよりは、少し成長したことによりカメラを向けられるたびに無邪気に振る舞うことに疲れ、斜にかまえているだけだったような記憶はある。
容姿に関するコンプレックスが爆発したのは、中学時代だ。中学の3年間で、僕は身長が20cm伸びた。同級生の中でも比較的幼い顔立ちをしていたため、「可愛い」と言われることも多く自分でもそのように自負していた顔立ちが、成長に伴ってかなり変わった。おまけに思春期特有の油ぎったニキビ面。ビジュ最低期である。写真を見るたびに自分の中のセルフイメージとのギャップに驚愕し、この頃の写真を見ると引き攣った笑顔を浮かべているか、必死に真顔をキープしているかの2択である。
当時はスマホもなかったため、家にあったデジカメで自撮りをし、何度も「良い顔」の練習をした。しかし、どんなにキメてみようと、鏡の自分とは違うとわめこうと、そこに写るのは冴えない顔の現実である。この時の心情はいまでも鮮明に覚えていて、昨日のことのように鮮明に胸が痛い。中高時代の写真がほとんど残っていないのは、自分の本当の姿を出来るだけ認識したくなかったという気持ちの現れだろう。
写真に写ることへの認識が変わったのは、大学生の頃だ。長らくガラケーを使っていた自分もついにスマホデビューを果たしたのも大きかった。大学生(というかその年頃の若者)はとにかく写真を撮りたがる。なんでも記録に残したがる写真撮影文化に無慈悲に身を置かされることになった僕は、不本意ながらもある結論に達する。
それは、例えどんなに自分が気に入らない顔で写っていようが、人からすると自然体であることが「良い顔で撮れてるね」「写真写り良いね」と言われるということだ。確かに誰かが「この写真やだ〜めっちゃブスなんだけど〜」とか言っている写真を見ると、その人のありのままの良い顔で写っていたりして、なるほどこれが他人と自分の認識の差なんだなと客観視させられる。
みんなで撮った集合写真なんかをよくよく見ると、その人の人からどう見られたいかという自意識が垣間見れて面白い。よく見るのは女子は目を大きく見せたいがために不自然に目を見開いた固まった笑顔(自撮りだと左右反転をさせていることも多い)、男子は普段のバカバカしいキャラにそぐわず、男らしく見せたい気持ちの現れか、歯を見せずすました顔をしているところ。そんな中では男女問わず、いつも通りに写りなど気にしてないように楽しげにニコッと笑っている人が結局1番良く写っていて、やはり自然体の良さには勝てないなぁと思わされる。
それ以来、僕もどれだけ自分の顔が気に入らなかろうと、写真を撮られるときに極力顔を作らないようにしている。客観的に見た自分の顔は、やはり落ち込んでしまうくらいブスだけど、顔を歪ませているブスより表情豊かなブスの方が魅力的だと思うのだ。
それに、写真に写る自分に落ち込むことばかりではなくて、僕は写真で見ると思っていた以上に足が長くてスタイルが良いということに気がついた(卑下からの突然の自画自賛)。ガリガリで貧相な体型にコンプレックスがあったけれど、身長もそれなりにあるし、水泳で広がった肩幅も相まって、それなりに均整の取れた体つきをしているなあって思った。他の人と同じ画角に写って比較したからこそ分かったことだ。
反ルッキズムの時代にこの思想こそが恥ずかしいが、僕は顔が良い人体格が良い人が大好きなクソ面食い顔専身体専なのは正直認めざるを得ない。だからこそ、自分のルックスに落ち込んでしまうことがたびたびあるけれど、まぁ好みじゃない自分自身の顔を生で見ることは一生ないんだし、割り切ってイケメンや可愛い子を鼻の下を伸ばしながら見ていればいいか、と思い始めた今日この頃だ。あとは中身で勝負だ、中身で。
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