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幸せの貯蓄

先週は仕事のデカイベントの準備&イレギュラー対応につき、まさかの7連勤と残業まみれの1週間を過ごした。
ようやく訪れた今日の休みに改めて、先週友人の結婚式に参加した3連休を思い出す。

結婚式の翌日、参列した友人たちの何人かと、長野の湖の湖畔にある屋外サウナに行ってきた。

銭湯に併設されているなんちゃってサウナの体験しかない僕だが、あの空気が薄く、息苦しい感じにあまり良いイメージがなく、正直あまり乗り気ではなかったのだが、静かな山奥&完全貸切のプライベートサウナ&湖に飛び込んでクールダウンというあまりにもオシャレな非日常体験は、なかなか悪いものではなかった。
インスタのキラキラエモ投稿でよく見るような状況下に自分が置かれていることに面白さを感じつつ、友達と「これはチルと言わざるをえない」などとちょけてみたりした。

サウナに向かう道中の車での話題は、もっぱら学生時代の思い出話だ。専攻全体で仲良かった僕たちは、学生時代も特にグループなどなくさまざまな組み合わせで出かけることが多かったため、「そのイベントには参加してない!」みたいな初知り情報だったり、今のいままで忘れていた思い出話を思い出したりすることがたくさんあって、話が尽きなかった。

昔の友人に会うときって、幸せな思い出を消費する行為だなぁと思う。自分の中で、幸せって貯金と感覚が似ていて、今までの人生でコツコツ貯めた幸せを辛いときややりきれないときに思い出して、なんとかやり過ごすみたいな感覚。普段はそうやってちょこちょこ使っているんだけど、久しぶりにその幸せな思い出を分け合った当事者たちと出会うと、その思い出を浪費している感覚にもなる。

というのも、心の中にとめていた綺麗な思い出が、思い出の当事者たちと合うことで良くも悪くも更新されるというか。お互い、もう同じ感覚でいられなくなってしまった部分や、時の流れを痛烈に感じるから。もう、その思い出をまた取り出してみても、鮮度が失われて味がしなくなってしまったり。

こないだのnoteにも書いたのだけど、結婚式当日に行われた2次会では、そろそろ定期的に会うのが物理的にも気持ち的にも難しくなるだろうなという友人たちもいた。かつては同じ境遇や、気持ちを分かち合った友人と合わなくなるという経験は今までもしてきたから、分かってはいるけど寂しいは寂しい。「変わっちゃったね」「前はそうじゃなかったのに」なんて言うのは完全なるエゴだ。自分の変化は受け入れてもらいたくて、人の変化を受け入れられないような人間にはなりたくない。

だけど、この結婚式翌日の思い出は、ちゃんと新たな思い出として貯蓄が出来た。楽しくて、時々思い出して舐れる幸せが貯められた感覚がある。消費するだけじゃなくて、新たな幸せを生み出せる友人がいまだにいるということが、日にちが経つにつれ嬉しさをしみじみと感じている。

過去にとらわれず、どんどん幸せを生み出せる自信のある人は、幸せを消費する行為にもなんの不安も抵抗もないのだろう。お金と一緒だ。稼げる人はバンバン使って、経済回して。
僕はお金も幸せも、コツコツ貯めて、程よく消費するタイプ。節約家でもないから、ある程度消費していってしまうし、過去の思い出ばかり取り出してる訳にもいかず。そんな、幸せの貯蓄をコツコツでもいいから貯めていける人と、これからも過ごしていけたらいいなと思う今日この頃。

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