友人の結婚式

昨日は、友人の結婚式に参加してきた。

僕自身は、結婚式への参加は5年ぶり2回目。前回は姉の結婚式に親族として参加し、結婚式における親族など形式上配置される駒のようなもので、やっぱりそれぞれのライフステージで出会った友人たちの参列が1番嬉しいだろうな、などとひねくれた感想を抱いたのを覚えている。

今回は新郎新婦共に大学時代の同じ専攻の友人で、人数的にも関係性的にも僕たち大学の同じ専攻の友人たちがかなり幅を利かせていたこともあり、かなりの当事者意識をもって参加することができた。つーか普通に楽しみだった。

式の流れは、うっすら記憶にある姉のときとおおよそは一緒。華やかに着飾り楽しげにはしゃぐ女子を横目に、あまりにも式場の非日常なハッピーオーラに照れ笑いとちょっぴりの腐しがやめられない我々男子という対比が、ずーっとおかしかった。

結婚式特有の見てるこっちも何故か照れちゃう気恥ずかしさはずっとあったものの、この日のためにたくさんの準備をしてきただろう新婦は今までみた姿の中で間違いなく1番綺麗で、いつもはヘラヘラしている新郎もなんだかとても凛々しく頼もしく見えた。

式の数ヶ月前、同窓会で新郎が結婚式準備の苦労あるあるを話していたが、確かにここまで全方向に気配りが行き届いた式をやるのは本当に大変だろうなととても感心した。
特に僕が一番感動したのは、披露宴で各テーブルの参列者ひとりひとりに用意されていたメッセージカードだ。これ自体はよくある仕掛けのひとつなのかもしれないが、新郎新婦からのメッセージが、きちんと自分に向けた気持ちのこもったメッセージが綴られていて、本当に嬉しかったのだ。僕の心のお守り言葉として大切にしまっておこうと本気で思うほどの、嬉しい言葉がそこにあって、心の底から素敵な2人だなあと思った。

披露宴のあとは、それぞれのコミュニティごとに2次会という形になったので、もはやプチ同窓会だったのだけど、おそらく今日という日がそれぞれの道の分かれ道になることをはっきり感じた。今回結婚した新郎新婦以外にも、すでに入籍し、挙式を予定してる友人が2人、結婚を前提に付き合ったりしてる友人もかなりの数いて、そうだよなあそんな年頃だよなあとはつくづく感じた。 

家庭を持つという選択をした、もしくは望んでいる友人たちと、話が合わなくなってきている。もちろん、結婚式の後ということもあり、自ずとそんな話題が出るのは当然のことなのだろう。しかし、結婚がゴールに設定され、誰もがそこに向かっているという前提の会話には、僕は上部だけでもどうしても乗ることが出来ないのだ。

ここで難しいのが、幸せそうな新郎新婦を見て、「いいなー」「羨ましいなー」とちゃんと思ってしまっている自分がいることだ。自分が結婚を選択できる人間でないという事実をごまかすために、「別にしたいと思わない」「結婚に向かないタイプだ」と吐いた言葉が自分自身に虚しく響くのだ。それが1番しんどいかも。

新郎新婦には、心の底から幸せになってくれよな、と思う。僕には選択することができない幸せの形を選んだことで、同時に多くの苦労や困難も背負うことになるはずだ。そこも折り込んだ上でした選択が、どうか後悔のないようなものになってくれることを願う。

幸せと楽しさと寂しさに当てられた僕は、ひとりの日常に戻るために今日の休日を使おうと思う。式の翌日、そのまま一緒に遊んだ友人の1人が、「なんか昨日で一気に疲れたな」と呟いたことが僕をホッとさせた。人と比べるんじゃなくて、今の自分の幸せに、しっかり目を向けられるようになりたい。

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