【自然と科学の関係性】人はなぜ学ぶのか 〜直感と分析〜
前回に引き続き、「人はなぜ学ぶのか」を見ていきます。
【動画の概要】
科学を頼ると、どんな結末になるか
[質問]
・科学を完全に信じた現代では、私たちに必要な『直感』を信じなくなった人間が増えているのではないか、と感じている。
・人類はこれから更に科学に頼り始めると予想されるが、どのような結末を迎えるのか。
[答え]
・この問いに関する答えとして「科学が全面化する世界は来ない」と断言。
・なぜなら宇宙(自然の摂理)をフラスコ(科学)に入れることはできず、科学は「反証可能性」が残り、『科学的真理』はずっと書き換えられているから。
・書き換えられている事実は「宇宙は無限だ」ということを示しているのと同時に「科学が完成することはない」と言っていることになる。
・今「科学的真理」と言われているのは、「今のところ反証可能性が出ないというだけの、改善性の高いもの」という話。
・これは大学に行って「科学哲学」を学べば一瞬でわかる話だが、今の理系大学はなかなか科学哲学をやらない。
・その為「科学は絶対だ」「科学的真理は揺るがない」と思う人が多いが、ヨーロッパなどでは(科学は)揺るぐのが前提となっている。
・なぜなら(科学的真理が)揺るがなければ『新発見』がなくなるからであり、科学は『一部』だということ。(=全面化しようがない)
・東工大生にこの話をしたところ新鮮な反応があり、どこかで「科学的真理はあるはずだ」と新興宗教的になっていたのが解放されたと言う。
AIは人間を超えるか
・「AIは人間を超えるか」を東工大生と議論した時に、まず『人間の定義』がよくわからない状態にある。
・「機械が人間を超えているか」で言えば、あるルールがあって、アルゴリズムの中でなら、すでに機械は人間を超えている。
(アルゴリズムとは、「問題を解決するための手順や計算方法」のこと)
・アルゴリズム化できる分野はAIに任せればよく、そのアルゴリズムを作るのも使うのも『人間』である。
・その上、アルゴリズムの前提(ルール)を作るのも人間で、その前提も時代によって変わるのだから、「AIが人間を超えるか」という問い自体がナンセンスである。
(人間が作らなければAIは存在できないため)
直感に関して
・直感に関しては「空間分析(社会)」と「時間的持続(内的自己)」との関係性から見えてくる。
・『アキレスと亀』という話を例にすると、足の早いアキレスが足の遅い亀を追い抜くのは直感的にわかる。
・しかしこれを空間分割的に考えると、
「アキレスが進むのと同時に亀もわずかに進む」
のを無限に繰り返すため、アキレスはいつまで経っても亀を追い抜けなくなる、という逆説になる。
・現実にはアキレスは亀を必ず追い抜かすにも関わらず、空間分析をした瞬間に追い抜かせなくなる。
・ということは「空間分割自体に限界がある」と考えられる。
・加えて、空間分割以外の方法を持つ科学は存在しない。
・なぜなら科学の定義は全て『空間分析』『空間分割』であり、その根拠は
「科学で『数学』を使わないものはなく、数学とは1,2,3...とデジタルで空間分割されたもの」
だから。
・例えば感情。心理学も空間分析であり、喜びや悲しみといった感情を無限分割して「なぜ喜ぶのか、悲しむのか」を時間を止めて空間にして、その経緯を因果関係で結んでいる。
・因果関係で言うと、喜び1と喜び2の間にある距離を知りたい時に「微分」するが、これも空間分析。
・つまり「科学は『時間』そのものに辿り着けない」という限界を持ち、しかし私たちはその『時間』を直感的に感じ取れている。
・それは「『音楽』がわからない人類はいない」ことからも見えてくる。
・なぜなら音楽は『時間の経験』であり、
「長調の音楽を聴けば明るい、短調の音楽を聴けば暗い」
と感じるのは、誰かに教えられたわけではなく、私たちの中にあるリズムが「明るい」「暗い」と感じているため。
・例えば「ドレミ」を「ド」と「レ」と「ミ」で分析したとしてもドレミの音楽にはならない。
・音楽を知るということは、音楽の中に入り、乗っていき、味わうこと。
・音楽を外から見て「ドとレとミの関係は…」と見たとしても音楽を味わったとは言わない。
・これが直感と分析の違いであり、
直感とは「中に入ってでしか味わえないもの」であり、その代表的なものが『時間』。(伝統、持続もここに関係する)
・それは「見えていないけれどわかる」ということであり、その直感があって初めて私たちを『研究(分析)』へといざなう。
・つまり「直感」がなければ「勉強」はできない、ということ。
・そして現代社会は自らの直感から勉強する以上に最初から分析しようとすることを無理強いされるから『学ぶ必然性』を感じられずに記憶に残らず、関連性も見えなくなってしまう。
【宇宙(自然) 〉 科学】
まとめると
「人間は『時間』と『空間』のどちらも用いることができるが、AIは数字の産物たる科学であるため『空間』しか扱うことはできない。」
「ただし現代人は教育によって『空間(分析)』ばかりを鍛えられ『時間(直感)』が衰えてしまっている為、科学を盲信して「AIは人間を超えるか」といった『空間』だけで物事を考えるようになってしまっている」
という話をであり、さらに一言でまとめるなら
『宇宙(自然) 〉 科学』
という話です👨🏻🏫
今回の話を踏まえた上で「デジタルとアナログ」について考えると、今の社会がどういう社会なのかがより鮮明になっていきます👀
ここでいう『デジタル』とは
・「0」か「1」のどちらかの正しさを追い続ける『二次元』
を指します。
「科学的」「論理的」な分析による『正しさ』によって合理的判断を出すことに長けています。
一方『アナログ』とは
・「0も1もそれ以外も」という価値を見出せる『多次元』
を言います。
自分の身体感覚が自分の中にあり、直感的に『正しさ』を感じ取ることに長けています。
このデジタルとアナログの違いが見えてくると、コロナ禍で『空間』だけを切り取った科学的・論理的判断で行われた対策がうまく機能しなかったのもうなずけます😶
目の前で刻一刻と変化する自然現象に対して「フラスコの世界」を持ち出したところで、いつまでも事態に追いつけません。
それは「最新の変異株に対応しないワクチン」を見るだけでも明らかで、『時間』に辿り着けない科学に偏って感染症対策を執り行った結果が『今の日本』なのです😔
それよりも身体感覚が直感的に指し示す「息苦しさ」や「窮屈さ」に目を向ければ、生き方としての不自然さを感じ取り、感染症対策の根本にある
『他責思考』(感染するのは誰かのせい)
こそが社会をおかしな方向へ導いていることに、もっと多くの方が気付いて行動できたのではないでしょうか。
【あらためて、君たちはどう生きるか】
ここで、改めて【映画のネタバレはせず、「君たちはどう生きるか」について考えてみる】を読むと、そこで伝えたメッセージがより染み渡ることでしょう。
そして2023年が「明るみになり、飛び立てるかを問われる年」である理由がよくわかるかと思います。
私たちはなぜ学ぶのか。
それは自由を得るため。
ではその自由は「いつ」「どこで」実現できるのか?
直感と分析を用いれば「いま」「日本で」と見えてくるはずです。
だからこそ『日本の現状』を理解しないことには自由はなく、自由のない中でお金を稼いだとしても使い道がないのです😓
今回お話ししたことは、今後の人生でじわりじわりと効いてくる話になるでしょう。
『自然』から切り離された人々が頼るべきものを見失い、『科学』を盲信するようになって生まれたのが「コロナ禍」なのは、ここまでお話しした通りです。
コロナ禍が終わった後でも『科学を盲信する人々の姿勢』に変わりがないままですから、「似たようなこと」があればまた科学を信じて、その科学の裏にいる『人間』に利用されるのです😰
「AIが人間を超えるか」という問いは、「人間は人間に騙され続けるか」というのと同じことで。
それならば、2020年のテストを経て「大部分は騙される」ことは証明済みです😱
テストが済んだ2023年から準備期間を経て、今後本格的な『導入』が始まるのは自然な流れでしょう。
故に「社会はデジタル的に加速」して、「後戻りはできなくなる」訳ですから、自分の生き方を見つめ直すのは2023年の『今』しかないのです👨🏻🏫
幸い、コロナ禍の一件を経て「どうも怪しいぞ🤔」と感じる人も増えてきました。
ここでの学びが皆さんの豊かさにつながることを願います☺️
今回もここまで読んでもらい、ありがとうございます😊
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今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️
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