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EA運用という名の「見えない戦士」だった日々

かつて、私はMT4のEA運用に心血を注いでいた。昼夜を問わず、チャートの向こう側に見えない未来を追い求め、数字とアルゴリズムに人生の一部を預けていた時代だ。

EA(エキスパートアドバイザー)。名前だけ聞けば、まるで映画に出てくる高性能AIのようだが、実態はもっと地味で、冷酷だ。淡々とチャートを読み、黙々とエントリーを繰り返す。その間、私は何をしていたか?

……スマホを握りしめ、5分おきに残高を確認していた。

「自動売買だから放っておけばいい」と思っていたのに、ポジションがマイナスに振れるたびに胃がキリキリと締めつけられる。ロボットのはずが、感情を振り回されていたのはこっちだったのだ。

このEA運用、最大の難関は「家族に理解されないこと」だった。

妻に「EAで運用してる」と話した時の反応は今でも忘れられない。
「それって、どういう仕組み?」
「自動でFXの売買をするプログラムで、過去のデータから優位性を見つけて利益を積み重ねるんだよ」
「へぇ…でも、今儲かってるの?」
「いや、その…長期的に見るものだから…」

この“長期的”という言葉がどれほど誤解を生むか、EA運用者なら痛いほどわかるはずだ。

数週間マイナスになると、「大丈夫?」
ドローダウンが続くと、「ねぇ、いつまでこれやるの?」
ようやくプラスになった時、「それってアルバイトした方が早くない?」

こんな言葉に耐えながら、私は「統計的優位性」という名の信念を必死に守っていた。

でも、誤解しないでほしい。EAを引退したのは、稼げなかったからじゃない。むしろ、利益は出ていた。

私がEAをやめた理由は、家族を持ったからだ。

勝ったり負けたりを繰り返しながら、結局のところお金を追いかける日々に疲れてしまったのかもしれない。利益が出た時はもちろん嬉しい。けれど、家族と過ごす時間の中で「もっと確実に、堅牢にお金を増やしていこう」と思うようになったのだ。EA運用は、まるで波打ち際で砂の城を作っているようだった。風が吹けば壊れ、潮が引けば崩れる。それでも、次の波を待つ自分がいる。

ただ、その波は家族を前にすると少々リスキーだ。

そして、忘れてはいけないのが「EA購入費」という名の心理的ハードルだ。

初心者だった頃の私は、「バックテストで驚異の勝率!」という宣伝文句にコロッとやられ、数万円のEAを次々と購入していた。
「このEA、フォワードテストでも安定してるから安心だ!」
「このポートフォリオ組めば、リスク分散完璧だ!」

……結局、そのポートフォリオも、ひとつドローダウンが出始めるとうまくいかないこともある。

それを妻に報告するのがまたツラい。いやしていない。
「また新しいの買ったの?」
「いや、これは過去20年分のデータで完璧なロジックで…」
「で、結局勝ててるの?」
「……まあ、そのうち…」

なんて会話になるのは目に見えている。
“そのうち”という言葉ほど、説得力のないものはない。

EA運用で最後に学んだのは、「メンタルの強さ」だったかもしれない。

数字に心を揺さぶられず、統計的優位性を信じ続ける力。家族の疑問に対して、冷静に説明する力。そして、利益だけでなく“安定”を重視する心の変化を受け入れる力。

私は今、EA運用から退いた。でも、それを後悔してはいない。むしろ、あの経験があったからこそ、今はもっと地に足のついた資産運用を考えられるようになったのだから。

それでも時々、MT4のチャートを見ると、不思議とワクワクする自分がいるのも事実だ。
ロボットに資産を預け、波に乗る感覚。あの緊張と興奮。

……いや、もう戻らない。きっと、もう戻らない。たぶん。おそらく。

—でも、次こそ勝てる気がするんだよなぁ。

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