忘れじの理容室
もう5年か6年も前になるだろうか。
実家から車で一時間ほど離れた場所にある山形県内のとある町で、その最寄り駅ちかくに、昔通っていた理容室が移転しているのを思い出した。
山あいの農村部。そのはずれから4歳の幼稚園児がひとりバスに乗り、遠く町中にある理容室前のバス停まで出かけていたのだ。
もちろん、(バスには乗れぬ祖母が)山形交通の車掌さんに
「どこそこのバス停でこの子をおろしてくれ」
としっかりと依頼してくれていたおかげもあるのだが。
今では考えられない、おおらかな時代であった。
バスの床板は細長い板が互い違いに組み合わされていた。
ニスを塗られたり表面が加工されていたわけではなかったから、掃除をしても汚れは落ちなかったのだろう。乗客が踏みつける靴の汚れのためか、掃除を欠かしてはいないはずの床なのに、いつも黒く汚れていたのを覚えている。
床板は互い違いにそれぞれほんの少しずつ高さが違い、
けして現在我々がよく見かけるようなフラットな床を持ってはいなかったと思われる。細長い床板はそれぞれ四隅を鋲で打たれていたようにも思う。
ただ、鋲の部分は記憶が違っているかもしれない。
わたくしの祖母から依頼されたバスの車掌は、幼かったわたくしをきちんと件のバス停でおろすと、いってらっしゃいと元気よく挨拶してくれた。
山形交通のローカル線で揺られ揺られてバスに乗り、降りた先がその理容室だった。
農村部にはない、町の香りのようなものを感じることができて、幼かったわたくしは理容室がある二階への階段をあがるのが非常に楽しみであった。
入り口のドアを開いて挨拶し、
「よく来たね」
と迎えられるのが、好きだった。
わたくしが好きな、その理容室だが、雪下ろしに関するご近所トラブルに巻き込まれたということで、わたくしが中学生のころであったか、前述の町へ転出してしまっていたのだ。
店名もそのままに営業されていることは風の便りに知っていたし、インターネットが身近になった昨今、一度や二度はその付近をストリートビューで眺めてみることもした覚えがある。
その町を訪れることも、そう度々あることではないだろうから思い出したのも何かの縁、訪ねてみようということになった。
急な思いつきだったから手土産の準備もなく、ただお店の様子を見て声をかけられたらよいなと思って伺ってみたのだが、あいにくその日は盆も近かったせいかお店は定休日の札が掲げられていた。
が、店舗と住居が一体となっている建物であったため、こちらの訪問に気づいて顔をだしてくれた。
双方大いに驚いたのだが、こちらが理容室ご一家のことを覚えていたように、あちらでもこちらのことを覚えていてくださったのが嬉しかった。
このとき、すでに齢八十も近かったはずだが、現役で接客されているという。いまも壮健であるだろうか。さすがに現役は退かれただろうか。
そのときに伺ったお話だが、店主が非常に若かった二十歳前後の修行時代を過ごしたという東京へ、その少し前に夫婦そろって日帰りででかけたのだという。
山形から東京、そこから日帰りとはまた急な旅だと思いながら話を伺ったのだが、修行時代を過ごしたという東京の、それではどこを訪ねたのか、なにか美味しいものを出すお店にでも行かれたのか、観光もされたのかと座して拝聴すると、
じっと、某駅から某駅までずっと山手線に揺られていたのだという。
外の景色を見ていただけという。他にはどこへも行かず、修行時代を過ごした東京を思い出しながら今の東京の姿を、車窓からじっと眺めていたということだった。
それだけで満足であったという。奥様も、窓の外をただずっと見ている店主のそばで黙って寄り添っていたという。
オチも何もないけれど、その話を聴いたとき、
「いいな」
と思った。
わたくしは、その理容室店主ご夫妻の、その日の姿をまざまざと思い浮かべることができた。
それ、いいなァ、と思えたのですよ。
突然、その日の記憶と気持ちを思い出したのは、Amazonで陶器のシェービングカップを目にしたせい。
その理容室には親子二代で通ったのだが、父は何かの折にその店主から
記念にとお店で使っているのと同型のシェービングカップを譲り受けたという。
けして値がはるものではないはずだが、使っていないなら僕にくれよと父に言ったときに頑なに拒否されたのを見ると、若かりし頃の父の、
何らかの思い出がそこにはあるのだろう。
マジカルソーン