中島飛行機ミッション [04]
日本における自動車メーカーの雄、株式会社SUBARU。
その発祥の地であるわがまち・群馬県太田市には、
かつてSUBARUの前身であった中島飛行機株式会社が存在していました。
創業者・中島知久平と彼が擁した技術者たちは、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍へ、その技術力を注ぎ込んだ名機・一式戦闘機「隼」や「九五式水上偵察機」等を次々と送り出していったのです。
2022/06/01
マジカルソーン
No.5
中島飛行機ミッション【二式戦闘機】鍾馗
鍾馗といえば中国の神の一柱として有名ですが、本邦においても古くは平安期から鍾馗信仰ともいえるものが存在しました。
本ミッションのメダルに採用されている二式単座戦闘機の愛称が、その鍾馗なのです。
本ミッションでは、中島飛行機 太田製作所があった現・SUBARUの社屋を横に見つつ、中島飛行機 呑龍工場がかつて存在していた方面へと歩を進めてみましょう。
楽天にも出店している(2022年5月現在)アメカジブランドのセレクトショップ KLAMPさんの横を通過し、日光例幣使街道太田宿の本陣があった場所へ。ここは太田金山にあった山城・金山城のふもとの町場でもありました。
いまは本陣の跡地であったことを示す石碑が置かれているばかりですが、
太田宿については、太田市公式サイトに次のように紹介ページが準備されています。
このかつての日光例幣使街道があった場所の並びには、太田市のポータルとして紹介したことがある 分部順治「塊」がWayspotとして存在しています。
以前は栄えていた町並みも空き店舗が散見されるのは、太田に限らず全国的なものでしょう。いまや郊外型の大型ショッピングモールに多くの人が買い物に出かけているようです。
すこし裏通りに入りましょう。
ほら、見えてきました。
中島知久平よりもやや先に太田で活躍していた実業家である葉住利蔵が
建設した私立の図書館が見えてきます。
大正11年(1922年)のものがこうして街中に現存しており、今は太田市の管理となっています。「旧金山図書館」として市重要文化財指定。
敷地の一角には、葉住松堂翁像として利蔵の像が建立されています。
製作は現市長の父君であった彫塑家 清水孝一の銘あり。
葉住利蔵は利根発電社長などを歴任。
太田に初めて電灯を灯し、太田発展の礎を築いた当日の実力者のうちの一人です。
葉住利蔵
太田市公式 時代の先駆者 葉住利蔵
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/manga-16.html
Wikipedia 葉住利蔵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E4%BD%8F%E5%88%A9%E8%94%B5
石井里枝 氏論文
戦前日本における地方企業の経営と企業統治
-―利根発電を事例として―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/44/2/44_2_2_30/_pdf
そして、なぜかはわかりませんが
翁像を囲む石のサークルには巨大な庚申塔が流用されて半ばまで
土に埋められています……。
さらに道を西へ進みましょう!
小学校の近くに大きな煙突を持つ建物が。
ここが新田パン。
太田市内の小学校でよく給食パンとして提供されていたということで、ある世代の方々には思いで深いベーカリーだそうです。
新田パン 公式
https://www.nitta-pan.co.jp/
NHKで2020年1月19日に放映された
「ものづくり百年の翼〜群馬県 太田市〜」
https://www.nhk.jp/p/kotabi/ts/JPN326654N/episode/te/1JWRRNQG52/
こちらは30分で3本立ての番組でしたが、そのなかで新田パンもとりあげられていました。とくに、こちらの『栄養パン』
栄養パン
こちらについての解説が好評だったようで、直後は店頭で売り切れであったようですよ。
前掲の「ものづくり百年の翼〜群馬県 太田市〜」では、
中島飛行機の幻の超大型爆撃機「富嶽」について、そのラジコン飛行機を飛ばす「富嶽を飛ばそう会」の皆さんの映像も流れたのが印象的でした。
富嶽を飛ばそう会
https://gritz.web.fc2.com/fugaku/
新田パンまで歩を進めれば本ミッションはコンプリート。
おつかれさまです。
No.6
中島飛行機ミッション【四式戦闘機】疾風
太田市の金山。
古く平安時代のタタラ製鉄が行われていた窯跡が発見され、「モノ作り」の風土が連綿と息づいていることを感じさせる土地ですが、その南西に現在は
東山球場として整備されている場所があります。
太田市公式 東山球場
https://www.city.ota.gunma.jp/020sisetu/02sports/higashiyama.html
実はこちらも中島飛行機と縁が深い場所なのです。
昭和9年(1934年)の中島飛行機 太田製作所建設時、埋め立て用土砂採取のために金山丘陵が一部切り崩されました。
この球場はその採取跡に造られたもの。
戦後米軍による接収を経て、現在は市営球場となっています。
こちらの東山球場を目指して歩を進めてみましょう。
ミッションメダルに採用されたのは名機の誉れ高い愛称「疾風」。
四式戦闘機です。
新田パンのすぐそばに春日神社があります。
この境内にある春日神社と大鳥神社をハックしてください。
こちらの狛犬は、一風変わっているように感じられませんか。
大陸風の容貌。
それには理由があるのです。
うえに引用したツイート内容にも記していますが、台湾市長であった
故・高玉樹氏により奉納されたものです。
中島飛行機株式会社で勤労学生をしていた氏を、太田市民はシナ人め、と馬鹿にせずに温かく遇したことから後年感謝してこの狛犬を寄贈したのだとい
うことです。
氏は2005年に91歳で亡くなられたそうです。
さて、北上して高山神社へ登ってみましょう。
「寛政の三奇人」(すぐれた人の意)として数えられる高山彦九郎先生を祭神として祀る神社が高山神社です。
かつては立派な社殿がありましたが近年放火にあい焼失しています。
が、隈研吾氏による設計により再建が検討されているようです。
再建を祈る幟も多数立ち並び、以前は鬱蒼と茂っていた参道脇の樹木が
有る程度伐採されてすっきりとしていました。
高山神社のなかほどはトレイルコースとなっています。
朝方は近所に住む方たちが日課の散歩をされているのを目にします。
そんな中腹にあるトレイルコースを歩いて進みましょう。
こちらは2022年5月29日の早朝6時前に現地で撮影してきたムービーです。
高山神社の北東に位置する受楽寺へ。
この受楽寺が太田駅北口から昭和33年にこの地へ移転してきたのです。
日本各地にある七福神巡りですが、ここ太田市においても
上州太田七福神めぐりが存在します。
ここ受楽寺には大黒天が。
もし、ingressミッションを楽しむために太田市に何日か滞在されるのでしたら、中島飛行機ミッション以外にも、七福神を巡るミッションがあります。
この受楽寺の見どころは、この地に移転してくる前までは
B-29などによる爆撃で破壊された中島飛行機 太田製作所にほど近い場所に位置していたにも関わらず焼失・破壊をまぬがれた古い山門です。
受楽寺の周囲は起伏がある土地ですから、坂道をくだり、そしてのぼり、
北へ向かいましょう。
この坂道をのぼれば、ほら球場が見えてきます!
高山神社が座する小高い山にのぼり、周囲をぐるりと巡り、おつかれさまでした。
ここまで辿りつけば本ミッションはコンプリートです。
No.7
中島飛行機ミッション【一〇〇式重爆撃機】呑龍
「呑龍」と書いて、「どんりゅう」と読みます。
もとは中島飛行機 呑龍工場より道路を隔てた西にある古刹・大光院の開基である呑龍上人に因んでの命名です。
太田市 公式
大光院と呑龍上人
朱色が鮮やかなためか、いまや本堂よりも有名になった感のある開山堂。
そしてこちらが本堂です。
そして本堂前にある二基の石灯篭が、戦災に遭った増上寺から全国の寺院などに散らばってしまった石灯籠のうちの二基です。
徳川家の菩提寺であった芝増上寺。
先の大戦で戦禍にあった増上寺を西武創始者の堤氏が購入し、霊廟に並んでいたこれらの石灯籠はやがて全国の寺社などに引き取られていくことになりました。
大光院には、最樹院(徳川治済)の石灯籠が二基本堂の前に据えられています。どのような経緯でこちらに置かれたのかを示すものはありません。
が、徳川家康が源氏に連なるものとしてみずからの祖が新田義重であるとしてこの大光院を追善供養のため菩提寺として建立した経緯を思えば、
ここに徳川の石灯籠があるのも不思議な縁を感じずにはいられません。
Wikipedia 最樹院
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%B2%BB%E6%B8%88
本堂の奥、階段をのぼりさらに奥まった場所は緑の色濃い開けた場所になっていますが、そちらに開基呑龍上人の御廟や代々の住職の廟、
そして新田義重公の墓などがあります。
静かな場所ですよ。
(呑龍上人の尽力により信州小諸に逃れたはずの「孝子源次兵衛の墓」があるのが不思議ですが……。)
この一角にある「甘露水」まで辿りつけば本ミッションはコンプリートです。おつかれさまでした。