Endless Knot 航海前夜|Project ARKs
海の無い街で生まれた。
今、窓から見えるのは、犇めく家と、向こう側の丘陵、そして私が生まれた山に風穴を開けて作られた高速道路だ。
裏の林を抜けると、常に大小の車両の走行音がする。
その暮らしの中で、私は心の内に『アルケーの方舟』というアトリエを設け、自らが臨む未来の光景を描こうとしている。
想像の世界に制限はなく、自由に羽ばたくことができるからだ。
序章 Wondering Tale of Pluriverse
私が視ている現実世界では、誰しも個の色を持っていて、それが2人3人と混ざり合って、組み合わせや配分によって様々な色が生まれ、世界に彩りをもたらしている。
これを表現する手法を模索した結果、物語の執筆に行き着いた。
私が描こうとしている『綺世界』はファンタジーやフィクションではなく、紛れもなくこの世界である。それをイメージして多くはSFとして記述してきたものの、長らく「並行世界」や「世界線」といった既出の概念に邪魔されてきた。
けれど2024年2月に人類学者アルトゥーロ・エスコバルが著した『Designs for the Pluriverse』の日本語翻訳本として『多元世界に向けたデザイン ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』(BNN社)が出版された。以来『Pluriverse』という言葉が、其処此処で話題になりつつあるように思う。
『綺世界』の本質を表現する言葉としても『Pluriverse』は殆ど同義で、私の主眼を含む個性を内包するか、汎用的な言葉かの違いでしかない。
時は満ちた、気がした。
第1章 お金が必要ない世界を描く
まず、お金にまつわる言葉は、都合よく利用されてはいないだろうか。
私はこのアインシュタインの言葉を、探究心や研究によって積み重ねられる知見を指す寓意として解釈している。
それは彼が根っからの科学者だからに他ならない。
ここで語られるものの本質が「お金」であってもいいのだけど、いずれにせよ、発明したものを如何に使うかが肝心だ。
故郷について書く前に、世の中の認識について、長年疑問に感じてきたことを挙げておこうと思う。
✴︎歪な社会構造を因数分解する
ばら撒かれたお金は、今、必要としているところには届いていないと聞く。それは私利私欲に消費されたり、貯金に回されたりして、今、必要ではない所へ流れているからだ、と思わせる情報を目にすることがある。
日本各地を歩いて見聞する中で、大体どこも同じことで困っているように感じてきた。一方で、そこにある資源はその土地の気候風土に因んだものだ。ならいっそ人手を国内で共有し、物は交換すれば良いのではないか。
そもそも、お金を稼ぐのは衣食住のためである。
そのような考えが過ぎる中、浮上し始めた注目の動向も挙げておこう。
既にあるものは活かせばいい。
それらを吟味し、応援すべきものは応援して私もその一員としてネットワークを広げることに助力したいと思っている。如何なるものにも多様性と多面性があり、その関わり方も様々に開拓できるはずだ。
✴︎✴︎ファンタジーを現実に変換する
人手を提供し、生きるために必要なものをもらう。
そんな〈お金を介さないリアルストーリー〉を私は実践を交えて紡ぎたい。
このアイデアにおいて最も重要なのは、代金のやり取りを発生させないということだ。お金は脇役ですらない。お金が必要ない世界を描くのだから。
その真意はお金でなければ解決できない事象を浮き彫りにすることにある。
今の時代、物々交換や等価交換で済むことまでお金の存在が遠回りをさせ、その過程で不要なもの付与されることが多く、非常に不可解である。
そして生きることに必要な物事以外に、どんどんお金を使わせようとする。
生きることに必要でないことばかりを仕事にしようとする。
どうも大人という生き物は現実に目を背けがちだ。リアリティが伴うおはなしほど、多くの大人は危機感を感じ、陰謀論だなんだと御札を貼り付け蓋をしてしまう。
現実の面倒事は解決できずとも仕方がなくて、お金で解決できることだけで成り立つファンタジーの世界に居たがっている。そして無謀で馬鹿げた夢は子供じみていると一蹴され、現実を見ろとお金の壁を突きつける。
そのような世界で、どのように足掻けば良いか、ずっと悩んできた。
悩む、とは勿論、ひたすらの試行錯誤の時間を経てきたという意味である。
これが今を生きる大人が描き築いてきたファンタジーの世界だ。
私は大人に現実を突きつける童話を書こうとしている。
儲けようとするから苦しいのではないか、と。
その物語を描くための実践や普及活動には、少なからず費用が必要となるだろう。『お金が必要ない世界を創るためにお金が必要である』というパラドクスを解消するために、投資をしようという手は果たして挙がるだろうか。
乗り継ぎの旅に特化したもう一つのnoteアカウント『荒野のポロローグ|TRANSIT JOURNEY』でも、
同じ筋で、趣旨の異なる「かなえたい夢」を記述しています
✴︎✴︎✴︎未来へと遡上する時の舟
noteではエッセイや見聞録、旅行記を書いており、小説執筆は以前よりWeb小説投稿サイトのカクヨムにて取り組んできた。
その中で以前、過去ではなく未来へ向かう時の舟について描いたことがある。時間の流れを川の流れに見立て、上流を未来とした。
『二十四逝記』と題した短編で、二十四節気になぞらえて一年を区切り、メタファーをふんだんに盛り込んだ。ともすれば見え隠れする現実世界がそこにあったが、現在は改稿のため非公開である。
ここでは協力者に呼びかけ出航する合図の象徴として法螺貝が存在した。
本作はカクヨムWeb小説短編賞2021への参加作で、温かい読者の皆様のおかげで最終選考に残ることができた。勿論その先は狭き門ではあったけれど。
そして最後はこのように締めくくり、後に私は休筆宣言をすることになる。
それはコロナ禍から復活し羽ばたこうとする世の中の動向を改めて見つめ直し、私が描かんとする世界像を設計から見直すためだった。
そして暫くの休筆期間を経て、2025年1月にペンネームを589と改名し、復活を遂げることになる。既出作を一旦全て非公開とし、これまでに様々にいただいたコメントを参考にしながら、あらためて再構築を図る予定だ。
物語を綴ることは手段であって目的ではない。
だから私自身には、商業作家として食っていく将来像は見えていない。
ただ『ストーリーで伝える』という手法が、ここ数年あらためて注目され始めたこともあり、私の先見性について、自分一人くらいは賞賛を送ってもバチは当たらないだろうとは思っている。
今は奈良を舞台にPay Fowardの世界への入り口を描いた『朱鳥の鳴くころ』を鋭意改稿中である。
(本作はカクヨムWeb小説短編賞2023への参加作で……以下同文)
つまるところ、私の故郷とは奈良である。
ただし奈良公園の界隈ではなく、辺境の街に生まれ、暮らしている。
第2章 新たな物語の萌芽
先にも挙げた通り、noteではエッセイや見聞録、旅行記を書いている。
もちろん観光地〈奈良〉についても取り上げるし、今年はよりローカルへも掘り下げていこうと思っている。
マガジンベースで展開しているので、簡単に紹介しておこう。
✴︎Deep in Nara|時を忘るる処
✴︎✴︎物言わぬ彼ら|Co-existence
✴︎✴︎✴︎生駒にMichiを創る|BLUE PRINTS
この中で本記事に特に関連深いのは、3つ目の『生駒にMichiを創る|BLUE PRINTS』である。
第3章 変容する街 -Metamorphose Ikoma-
未来への展望とイマジネーションを展開する前に、少し昔話をさせて欲しい。いわゆる自分語りに相当するだろう。
けれどこれをすっ飛ばしてしまうと、恐らく事の背景が空洞化してしまう。私とて、今まで誰にも打ち明けたことのない、幼少の頃から抱え続けているジレンマを晒すことに、少なからず恐怖している。
かつて秘境と呼ばれたこの街が変わりゆく様は『発展』と表現されているが、果たして本当にそうだろうか。
そのことについて、少し書かせて欲しいのだ。
✴︎セピアの記憶
子供の頃にサワガニにやタニシを探した小川はコンクリートに埋もれ、そこに降りるルートだった石垣はどこかへ行ってしまった。
次々に切り開かれた周囲の山はたちまち住宅地となり、立ち退きを要求された同級生の元の家があった場所には、大きな道路が貼り付けられた。
小学校の頃、阪神淡路大震災によって被災した家族が移り住んできて、同級生が増えた。迅速に受け入れることができた町だということは誇りに思う。
けれど金を持っている者たちが続々とやってくる。山の中に増えた店を目指す者もあるのだろう。通学路でもある狭い道に、見かけない顔が大きな車で乗り込んでくるようにもなった。
大阪のベッドタウンとして土地を金に変換してゆくことに疑問を持つ人は少なからず居るだろうが、年々、商売の気配がいっそう色濃くなってゆく。
変わりゆく故郷を前に正体の知れない焦燥に駆られながら、『何か』になることを期待され、それをどう受けて留めて良いのか分からなかった。
✴︎✴︎出立と放浪のブルース
2000年代初頭、私は旅に出た。もとい地方の大学に入学し、生駒を離れた。
関西圏の大学へ行く者が多い中、気候帯さえも違う南国・高知へと渡ったことに対する周囲の反応は、異質なものを見る目と微かな好奇心を綯い交ぜに孕んでいたように思う。
工学部とはいえ、『物質・環境システム工学』という解るようでわかりにくいコースに入ったことも、何がしたいのだろうと不可解だったかも知れない。
当時はただ「世の中の眺め方を学ぶ必要がある」とだけ感じていて、偶々これだ!と直観を覚える人を見つけた。高校2年生の時だった。
その教授の研究室に入るためだけに大学を選んだ。
両親をどのように説得したかは、もはや覚えていない。
私が人生において確信していることは、ただ一つ。
直観に基づいて決断したことは、絶対に私を裏切らない。
一度だけ迷いが伴う選択をして酷い目に遭ったことも、それを強調した。
ただ私にとっての旅とは、還ってくることを前提とした出立と放浪である。在学と仕事の7年間を経て、私は故郷に帰ってきた。
生駒の街は変わり続けることを、変わらず続けていた。
それから随分経って、私は自分が思い描くことを表現するのに、少なくとも10年、あるいは20年ほどかかるということを悟った。その時代に存在しない概念や言葉を、どう言い表せばいいのか分からなかった。
それが後に、「物語として書く」という手段に行き着いたのだと思う。
きっかけは別として、『進学辞退願』なるものを書き認めて提出し、自ら博士後期課程への進学を辞したことも間違いではなかった。
違和感を感じながら進んでいれば、自分の考えを表現できず、あるいは『研究業界』の主旨に沿うことが出来ず、発狂していたかもしれない。
命あればこそだ。
私がとるべき手段は科学論文ではなく、物語を編むことだった。
上手くやれるかは別の話だが、そのために自身で各地を見聞することに、時間も塵ほどの資産も投資してきたつもりだ。
出立と放浪は今後も繰り返されるだろう。
けれど一旦、腰を据えて書こうという気になっているところだ。
✴︎✴︎✴︎狸と狐の神隠し
10年ほど前、最寄駅のほど近く、夜の線路に沿ってキツネが歩くのを見た。
知人から畑の近くでも見たと聞いたから、見間違いではないと思う。
狸も時々、道端や側溝を駆けていた。
近所に暮らしているらしかった狸には特に愛着があった。
身近にそういった野生動物がいることを誇らしく思っていたけれど、この10年で全くと言っていいほど見かけなくなった。
今、生駒の山と宅地の緩衝地帯を山歩してみると、取り残された山は陽の光が入らないほど鬱蒼としている。雑食の狸といえど、食糧となるドングリや昆虫など、どれほど取れるだろうか。
思えばあの時見かけた彼らは、向こう側の宅地開発が盛んな頃にこちらの山へ逃げてきていたのだ。うちの近所は最後のフロンティアだったのだろう。今はもう、神隠しにでも遭ったのかもしれない。
ホンドタヌキは日本固有の在来種で、本州、四国、九州の平地から亜高山帯に生息しているものの、人間の土地開発などにより生存できる地域が減少しており絶滅の危機に瀕している。
スタジオジブリが制作し、1994年に公開されたアニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』は、多摩ニュータウンの宅地開発による森林破壊に狸たちが異を唱える話だった。作中の狸たちは日本各地の化け狸にも助力を乞い、伝統変化術・化学による抵抗を様々に試みていた。
結局、多くの狸が命を落とし、一部は人間に化けてストレスを感じながら生き、化けることが出来ない狸は緑が残る地へと逃げた。
それと同じようなことがこの街でも起こっていた。
念の為ことわっておくが、私は狸ではない。
けれどこの街に居て、感じてきたことは作中の狸と同じだと思う。
違うのは、気付いていながら何も出来なかったことだ。
狐や狸もずっと昔から、奈良の鹿と同じくこの地で暮らしてきたはずだ。
なのに私は、ただ大きな変化の波に飲まれ呆然とするか、目を背けていることしかできなかった。それを申し訳なく思っている。
第4章 Project ARKs
『平成狸合戦ぽんぽこ』の公開からおよそ10年、2005年に愛知で開催された日本国際博覧会(愛・地球博)のテーマは、『自然の叡智 Nature's Wisdom』だった。『循環型社会』もその夢の一つだろう。
自然の仕組みと調和した新しい文明を構築することが目標に据えられたが、その背景に開発と環境破壊の歴史があったことは明らかである。
✴︎思てたんと違う……期待と幻滅の波
『物質・環境システム工学』の研究科に身を置いていた私は、人生で初めて万博を訪れ、来る時代を大いに期待した。けれど突きつけられた現実は、目下のお金にならないことには誰も見向きもしないということだった。
あまつさえ、分別回収など、面倒事と遇らう風潮さえあった。
勿論、当時から根強く資源循環にまつわる研究と開発が続けられているけれど、私は当時の世の中の声や認識にがっかりしたのだ。
科学研究よりも、確固たる社会認識を和らげ傾けることについて考えた方が良さそうだと悟った。それもまた進学を辞した理由の一端である。
特に公的資金に紐づく研究には、海底に眠る金塊を引き上げるための底引網のような存在意義がチラつくことも、私にとっては心地良くなかった。
つくづく損なタチなのだ。この世界のルールを基準にすれば。
以来、都会には見目麗しい人工的な自然環境が整備されていった。丁寧に植栽された木々や水路、遊歩道が随分と増えた。
その一方で地方の里山はより一層荒廃が進み、薄暗くなってゆく。可能な限り日本の各地を歩き回って見聞しているけれど、どこも同じようなものだ。
地域柄、農業や林業などが盛んな土地は、まだ対処の仕方を心得ている心強い人たちが居る。けれど宅地開発された郊外に住み、都会へ仕事に出ることを基本とする地では、寺や神社、里山の手入れにまで意識が向くことはあまりないのだろう。町内会で実施する近所の公園の草抜きくらいのものだ。
それすらも参加せず、自宅の庭さえも荒れ果てている家もある所には有る。林の持ち主にも徐々に高齢化の波が押し寄せている。
私の親も庭木を切るのがしんどくなってきたと言う。
山が消費される一方で、それを手入れする者の気配はひっそりとしている。あるいは殆ど絶えているのかも知れない。野生動物のように。
まだ畑をする人は居るが、ゲンゲの咲く稲田は一体どのくらい残るだろう。
✴︎✴︎生駒の里山を見守るイコマタヌキ、ここに現わる
少なくとも、そういった実情を垣間見てくれたらという意図もあって、山歩きやその他アクティビティに使用している地図アプリYAMAPで、一風変わった活動を始めることにした。
自作小説のスピンオフという位置付けで、登場するキャラクターが活動日記を書くという体裁のアカウントに仕立てたのだ。それも様々な世界(つまりPluriverse)のそれぞれの主人公4者が、各々のジャンルで活動し記録を綴るカルテット・ストーリー(群像劇風)とした。
代表の『イコマタヌキ』はその名の通り、生駒を中心に歩き、見たものや思うことを書き綴る。その中に少しずつメッセージを埋め込んでいるのだ。
元々、山を歩く方達は、山道や環境にも少なからず興味があるだろう。
生駒の里山だけでなく、各々の身近な環境に目を向けてくれたら、との想いから始めたが、実際問題、登山道やその周辺を整備だって継承していかねばならない。
そういった担い手を「やってやろう!」という気概を持つ者たちと、ネットワークを築きたいと思っている。
✴︎✴︎✴︎幾つもの可変的な結び目を編む
そして現代のように多様化する社会においては、何かに取り組んで万事解決とはならない。それこそ機械仕掛けの時計のように大小様々なパーツが関係しあって、ある宇宙を駆動させているのだ。
だからと言って、有望な人材をガッチリと抱え込むようなやり方では、この先の世界はまともに機能しなくなるだろう。
そういった空想から生まれた構想が、Project ARKsだ。
可変的な結び目ARK; Adaptable Researchers Knotが其処此処で結ばれ、ゆるく繋がりながら、関係人財が必要に応じて流動する。
そんなイメージが湧いてきた。
それで、noteの中で「ああ、世の中にはこんな凄い人がいるのか」「こんな取り組みがあったのか」「この人は自分の考えをしっかり持って、オリジナリティを滲ませている」と、そんな風に感じたものをマガジン『アルケーの方舟|Re-Creation Research』に蒐集している。
無論、物語を編むためだが、その物語とは創作でも現実でも構わないのだ。
例えば、クリエイターの創作意欲を掻き立てるシーンを撮るだけでなく、演出にもこだわりを見せるKazoo / カズーさんの写真を是非見てほしい。
Xで拝見して、instagramでアカウントを探すも在らず、noteで見つけることができた。私自身、SNSには消極的な方で記事も常に追えているわけではないけれど、拝見する度にワクワクしてしまう。
このような演出家兼写真家の方に、後述する『冒険者たち』や『不死鳥の文士団』が集まるアトリエ『アルケーの方舟』のイメージポスターやHPの写真、出版する書籍の表紙や挿絵を撮ってもらえたら、どんなに素晴らしいだろう、と想像するだけで楽しくなってくる。
Project ARKsの方針に従い、2024年に出版100周年を迎えた宮沢賢治先生の『注文の多い料理店』風に、「どうかお撮りください。決してご遠慮はありません」のようにしか言えないのだけど……
夢ならば、控えめにならず存分に見るのがいい。
ちなみに自分の本の挿絵として、素朴な線画も良いなあと夢見ているので、そういった視点でも好みのアーティストを探している。
第5章 冒険者ギルドを創ろう(真面目)
私の心の内にあるアトリエ『アルケーの方舟』は、いくつもの可変的な結び目で編まれた帆ARKsによって如何なる風をも味方にする。
いつか出港する時が来るだろうか。
今、ふんわりとイメージしている現実の形は、以下のとおりだ。
宿泊料は取らない。
そもそも旅館ではなく、ゲストハウスでもなく、イメージは登山道にある避難小屋に近い。最低限の設備だけがあり、必要な期間、滞在すればいい。
何せ観光客ではないのだ。
報酬は街からの衣食住(※衣は洗濯機)の提供で賄うのが理想だろう。
あるいは冒険者が自分の土地から持ち寄ったものを交換してもいい。
冒険者たちは消費者ではなく、街に貢献するために来てくれるのだから、たとえば街の飲食店が冒険者ランチとか報労者ドリンクとか提供してくれれば、それは社会貢献となる。
これが私の描く『お金が必要ない世界』の一形態である。
願わくば、この『アルケーの方舟』が各地の困りごとについての情報交換の場とならんことを。
✴︎Endless Knot - 名もなき者の集い、あるいは潮流
さて、これで言わんとすることを少しは感じ取ってもらえただろうか。
ここで言う『冒険者』とは、不確かな時代において、未来から押し寄せる荒波に立ち向かう者たちを指す。
「あーね、ラノベ的な? 冒険者ギルドって(笑)」
みたいな方は、まだまだ居られるだろう。
カクヨムで小説を書いていること自体、そう結びつけられやすそうだ。
こちらとしても、漠然としたイメージにある程度の形を与えるために、『冒険者』『ギルド』というワードを利用させてもらっているのだから仕方がない。
けれど実際のところ、カクヨムには文学作家が多く居るように感じるし、
本当はプロじゃないだろうかと見まごう骨太の作家も紛れている
だがはじめに、私は「ファンタジーを現実に変える」と提示した。
そしていつまでも金で解決する世界に浸っている大人に向けて、現実を突きつける童話を描くと。
『アルケーの方舟』は未来へと時間の川を遡上する。
いくつもの可変的な結び目で編まれたARKsと言う名の帆が時代の風を受けて走る。
ARKは“Adaptable Researchers Knot”の略記だが、このKnotには2つの意味がある。
一つは「結び目」、もう一つは「船舶の航行速度の単位」だ。
『アルケーの方舟』は非常にゆっくり動く。
ともすれば本当に進んでいるのか、疑ってしまうほどかもしれない。
そのイメージは紛れもなく、フランス・パリ市の紋章に記されたラテン語の標語「Fluctuat nec mergitur」のマインドから学んだものだ。
このエッセイ『犬とオオカミの間』は『たゆたえども、沈まず』というタイトルの話題から始まる。著者の柊圭介さんは、私が「実はプロ作家では?」と疑ってやまない骨太の書き手の一人である。
noteでも取り上げている方を見つけたので、少し引用させていただく。
「非力で何物でもない個人が生き残っていくための重要な態度」とは正に。
『アルケーの方舟』に、そして冒険者ギルドEndless Knotに望むものだ。
苦難を乗り切ると断言しづらいからこその寄り合いであり、本当の船でないからこそ、乗りかかった船だと気負う必要もない。
Endless Knotは結び目を用いた吉祥紋で、連続する無限を意味している。
そして知恵と思いやり、教義と実務、アイデアと方法、空と縁起、祖先と我々など、あらゆる結び目によって世界が成り立ち、そして始まりも終わりもないことを表す象徴的なシンボルとして知られている。
つまり管理者や責任者など居なくても、永遠の連続性を兼ね備えた活動として、冒険者ギルドEndless Knotは存在する。
これは組織の名称ではなく、取り組みそのものを言い表したものだ。
だからこれに関わる者は皆、未来へと漕ぎ出す『冒険者』たちである。
ところで、生駒を流れるのはセーヌ川ではなく竜田川だが、実は古くからその名が知れている。
からくれなゐに染まるあたりから上流へと竜田川を遡上すると、実は近未来都市を目指していた生駒市に辿り着くわけだ。
そんな生駒市の南地区にあるコミュニティセンター『せせらぎ』の展示スペースに、幾つものボトルシップが並んでいるのを見かけたことがある。
ボトルシップとは瓶の中に造られた船のことだ。
なんでも『生駒ボトルシップ同好会』という活動があるらしく、船はもちろんのこと、使われている洋酒瓶も様々で見ていて楽しかった。
浮き沈みを繰り返しながら、揺蕩っても決して沈まない。そんなボトルシップが川を遡上しながら、未来にメッセージを運ぶ姿を想像した。
冒険者ギルドEndless Knotは生駒を震源とするムーブメントだが、例えばアクセスの難しい奥大和方面へも、グループを組んで乗り合わせで向かうような構想も含まれている。
個々に向かうより駐車スペースや排気ガス量、燃料費も軽減できるからだ。
国内外のオーバーツーリズムについて語られる昨今、決まって訪日外国人旅行が取り沙汰されるが、私は日本人の国内旅行もその一助だと思っている。とはいえ、
そのムーブメントを生駒から作るのだ。冒険者ギルドによって。
そして生駒を、奈良を中心とした『エンドレス・ノット』の取り組みは全国各地へと繋がってゆく。
✴︎✴︎不死鳥の文士団
さて、此処でもう一度、私のアトリエ『アルケーの方舟』について、おさらいしておこう。
なぜ表向き、私設図書館、兼、書店を装うのか。
これもまた、永遠の連続性を兼ねた活動だからだ。
『アルケーの方舟』は私のイマジネーションに他ならない。
けれど、そこから派生した現実の物語は、いずれ私の元を飛び立つだろう。
その体験あるいは啓蒙や懸念点の洗い出し、企画的物語など、主観・客観問わずストーリーになる。『エンドレス・ノット』には、その書き手として参加することもできる。
そしてその物語は『エンドレス・ノット』を広く伝えるだけでなく、逗留する冒険者たちの娯楽にもなる。
何しろアトリエ『アルケーの方舟』にはTVもWifiもない。聞こえるのは川のせせらぎと鳥の声、そして鐘の音もするだろうか。
『冒険者の日記』を書籍化して置いても面白いに違いない。
つまり私設図書館兼書店には、自費出版したアマチュアの作品を置いてもらうのだ。それは彼らにとって、作品とクリエイター活動の宣伝の場になる。
そして本は一人で創らなくともいい。アンソロジー本という方法もある。
かく言う私もTwitter企画#おかしなアンソロに寄稿したことがあって、『おかし』をテーマにした文章系アンソロジー『おかしなはなし、あつめました』が手元に届いた時は感動した。(現在ペンネームは変更しております)
(以下のリンク先は『架空ストア』さんの商品ページです。悪しからず)
またWebで書いている方であれば、そのアカウントへのリンクバーコードを置いてくれてもいい。私がWebやZINEフェスなどで交流して得たクリエイターの情報を掲示しても良いし、クリエイター自身が時々アトリエ『アルケーの方舟』に遊びに来て、掃除を手伝うフリをしてショップカードのようなものを置いていけば良いのだ。
そして「どうやら『アルケーの方舟』には(どこか未来の)文豪が出入りしているらしい」という噂話を作ってくれればいい。
そんな活動をしていれば、おそらく「この文章は朗読すれば面白そうだ」と目をつけられることもあるだろう。そうなれば琵琶法師めかした〈モノガタリ〉なる語り手がどこからともなく現れ、noteで〈音声〉の配信をはじめるかもしれない。著作権については当事者同士でどうぞ。
トイレ掃除をしてくれるなら、『アルケーの方舟』で打ち合わせらしきことをしてくれても構わない。もちろんお菓子や珈琲の持ち込みは自由である。
そして気になっていた方が居るかどうかは不明だが、こうした目に見えない繋がりを構築する文筆集団を『不死鳥の文士団』と呼ぶ。
この命名は『二十四逝記』に登場した『放浪の物語職人』に由来するとともに、以下のような私的背景がある。
これは炎の画家ゴッホの言葉であり、私の文筆活動の原点でもある。ゴッホの命が絶えた時の年齢となった私の琴線に、書き残された言葉が触れた。
「残りの人生を書き残すことに使おう」
小説の体裁でWEBに載せ始めたのはコロナ禍に陥った2020年だったが、『形あるものとして遺す』取り組みは、それ以前から水面下で始まっていた。
描いたもの、記されたもの、形作られたものは、全て未来への切符である。
未来を形作る手法としてのSFプロトタイピングが、今の時代にあらためて注目されているのは、想像が現実の構築よりも遥か先をゆくからだ。
その現代に、時々で良いから『アルケーの方舟』というアイデアに共に乗って欲しいと願うのは、自分が生きていられる時間よりもずっと先を見据えて〈流れ〉を作ろうと夢見る者たちだ。目先の利益や利権のために、〈なんだか良さそうなこと〉を掲げる資本主義ではない。
この趣旨について、書いてくれる人を増やしたい。
それはこのタイムマシン『アルケーの方舟』の動力、あるいは潤滑油となろう。そして『不死鳥の文士団』のメンバーは意伝使として伝承を担うのだ。遺伝子の継承ではなく。
ジャンルはフィクションでもノンフィクションでも、ミニチュア制作でも水墨画でも料理でも、なんでも構わない。
存在感が高まれば、都市伝説でさえも、実在となり得るものだ。
『不死鳥の文士団』の概念を広めるにあたり、具体的な試みとしてWeb小説投稿サイト『カクヨム』での自主企画の立ち上げを検討している。
『カクヨム』の自主企画はユーザーが自由に主催でき、私も過去に一度、魅力的な食事シーン・料理シーンが登場する『物語』という自主企画を運用したことがある。
これに類する形で全国の書き手から物語を募集し、レビュー記事を書いてはどうだろうか、という空想企画の実現に向け、私自身のエネルギーを充電中である。
何せ滝を浴びるように読むと、それなりにお腹が空くからだ。
書いたレビューはマガジンにまとめようと、『魔法の法螺貝|Speculative Future』という容れ物だけ作ってある。
✴︎✴︎✴︎イコマタヌキケーキ連合『コマヌケ』
そして特筆すべきは、ここ数年の生駒市における市民活動は非常に活発であることだ。住民が増え、マンパワーが充実し始めたこともあるのだろう。
其処にどうか、狸も加えてはもらえないだろうか。
2024年、十和田湖の近くのゲストハウスで、日本全国タヌ活ーリングに勤しむバイカーと知り合った。
恥ずかしながら『たぬきケーキ』なるものを初めて知り、生駒にもあるだろうかと調べたところ、生駒どころか奈良には生息していなかった。
すでに絶滅したのか、元々なかったのかは不明である。(以下の記事を参照)
noteでもたぬきケー記事を発見したので、引用させていただく。
なるほど。全盛期は私が生まれるより少し前だった。
やはり生駒の狸は絶滅してしまったのだろうか、と悲しみに打ちひしがれるも、すぐに「無いなら創れば?」と考えるのが工学部の人間の発想である。
どうか生駒の菓子店やパン屋、居酒屋やカフェやレストラン、珈琲店などで『たぬきケーキ』なるものを作ってはくれまいか。
伝統的な『たぬきケーキ』を踏襲せずとも、むしろオリジナリティに溢れ、生駒でしかお目にかかれない『イコマタヌキケーキ』を生み出せばいい。
ゼロから創るのだ。
イコマタヌキケーキというフレーズから、私的なイマジネーション〈ちょっとマヌケな子狸〉というフィルターで抽出した『コマヌケ』と名付けよう。
『不死鳥の文士団』の連中は、生駒に生息しかない独特のたぬきケーキ『コマヌケ』についても、面白がって書くだろう。それがオモシロ名物となり、架空の存在であった『イコマタヌキ』は現実のものとなる。
それに『コマヌケ』はケーキである必要はない。
たぬき(の焼印)パンケーキやあんぱんでもいいし、タヌッキー(たぬき型クッキー)でもいい。タヌキッズプレートもメニューに載るかもしれない。
そうなると、白いお饅頭狸も生まれるだろう。
それらが『冒険者たち』を癒すのだ。
こんなことは馬鹿げた空想かもしれない。
けれど記述された空想は、いつか現実になる。
勇気ある者は、未来を言葉を話す魔物に委ねはしないだろう。
終章 山麓鉄道アリッサータ号に暮らす
ここまでに登場した『冒険者たち』や『不死鳥の文士団』が集うアトリエ『アルケーの方舟』構想は、生駒市が推進する『いこま空き家流通促進プラットフォーム』『恋文不動産』といった取り組みからも着想を得た。
もし、この物語の実現のために物件をご提供くださる家主様や、実現にご助力くださる方と巡り会えたら、敬意を込めてその方々のことを『アルケーの方舟』と呼びたい。それは物語の出航を意味する言葉だ。
それとは別に、ごく個人レベルの取り組みについても人知れず描いている。
✴︎物語職人の山小屋
繰り返しになるが、この『二十四逝記』を書いたのは2021年のことだ。
そして2024年、生駒市内にイメージ通りの物件を見つけた。
だが、それは一般の不動産会社が扱っている物件であり、『いこま空き家流通促進プラットフォーム』や『恋文不動産』を通して関わることはできない。
その不動産会社が綴る物件の謳い文句として、「自然に囲まれた物件で鳥の声が聞こえる」「窓から緑が感じられる」とあるが、実際のその界隈では、鳥の声は高速道路から響く走行音にかき消され、窓から見えるのは鬱蒼とした竹林を主体とする雑木林だ。隣家との間は広いが、その空き地にも竹が迫る。近所には刈った草や切った枝木が放置されている。
駐車スペースは無いというか、そもそも森の小道の奥にある物件なので、車両は物件の前まで侵入できない。「最寄りのバス停から徒歩3分」とあるが、そのバスは平日しか運行していない。加えて、市街化調整区域のため再建築は不可、風致地区、自然景観区域などの制約付きだ。
おそらくここに住んでいた方が亡くなったか施設に入ったかで退居となり、後継の親類は市外か県外に居られるのではないだろうかと想像する。掲載されている写真も、住人が居なくなった時のままではないか、と感じさせる。
現在の持ち主にしろ不動産会社にしろ、片付ける気も貰い手を探す気もあるのかも知れないが、残念ながら私の目にはこの物件に対する愛情を感じられなかった。倒壊の時を待っているようにしか見えない。
木造建築だから、シロアリに喰われて空洞化するのが先かも知れない。
あるいはその不動産会社が中古物件を専門としていることから、リフォームによる劇的ビフォーアフターのプロデュースを夢見て、わざとそのような状態にしているのかも知れない、といやに勘繰ってしまう。
そんな心理を呼び覚まし、ネガティブな未来像を想像してしまう物件が身近にある。そのことが心底悲しい。
見失った、かつての生駒に居たあの狸を思い出させるのだ。
「引き取りたい」
その物件情報を目にし、こっそり外から見に行って尚更そう思った。
ただ、小型の自動車ほどの代金すら、今の私には工面できない。
これが生活費を除いた分の私費を独立研究に注いできた末路なのだ。
一体、何のための研究なのだろう。
何のために、休日と体力を削って各地を見聞してきたのだろう。
✴︎✴︎Fossil Roo - 忘れられた廃線
有難いことに、私は物語を描くことで、ひと時でも現実を忘れてしまう術を持っている。
そういった物件が存在するというだけで、いくらでも想像の世界を描くことができる。大抵の場合、実際に記述する手の方が追いつかないくらいだ。
だから私はその山小屋を『冒険者たち』や『不死鳥の文士団』が集うアトリエ『アルケーの方舟』に見立て、外に広がる庭に鉄道を敷くことにした。
その海原はどこまでも広がっている。
生駒の辺境にある山里アリッサータには、かつて山麓鉄道アリッサータ号が走っていた。その地には行基菩薩の墓があり、代々その墓守を務めるアリッサータの狸の一族が棲むと言う。
行基菩薩から直接指導を受け、後に右腕となって尽力したアリッサータの狸の先祖から末裔へ、代々その土木技術も継承されていたらしい。人里に鉄道が走るようになると、狸たちは人間の仕業を見よう見真似して、一族が安らぐ場所に線路を敷いて遊んだ。そして使い古され、廃棄されることになったアリッサータ号の噂を聞きつけて、夜な夜な自分たちの線路に運び込んだと言う。
一夜にして忽然と姿を消したアリッサータ号については、当時は様々な都市伝説が飛び交ったが、それもやがて歴史という渦潮の藻屑となっていった。
時代の波に飲まれながらも、アリッサータの狸たちは人間の仕業を見よう見真似で取り入れていった。いつしか車体を改造し、内装を整え、心地よい空間づくりをするようになった。
そして本や図鑑を置き、窓のない壁には絵や写真を飾った。
床材やシートを彩るファブリックに興味のある狸もいるようだ。
彼らはいつしか人の姿までも見よう見真似して、近所の竹林を整備する人間に特製コーヒーや狸を象ったケーキを振る舞うようになった。そしてどうやら、ふかふかのシートで読み耽っていた人にその本をあげた代わりに、古くなったスピーカーと音楽プレーヤーを貰ったらしい。
狸たちは川のせせらぎや鳥の囀りといったネイチャーサウンドを録音し、大きな道路から聞こえてくる煩い走行音をかき消して、大層喜んだ。
狸たちにとって人間は脅威であると共に先達でもある。
その人間さえも、大いなる大地の鳴動には抗うことが出来ない。
文明の軌跡とも言える線路は、どこまでも埋もれていった。
さて、このような暮らしを実現するために、果たして狸たちはどのようにして小金を得ていたのか。それはどうやら、誰が読むとも知れないような物語をWebで書き、細々と本にして代金を得ていたらしい。
しかしアリッサータに棲まうものは、誰でも自由に読むことができた。その本がアリッサータ号だけでなく、里のあちこちに置いてあったからだ。
奥大和の狸から教わったらしいその取り組みは、アリッサータ・ライブラリーと呼ばれていた。
……といった物語を描き「これが現実になればいいのに」と空想することで、現実を目の当たりにした時、より切なくなるのである。
実現する手立ては無いものだろうか。
ちなみに『リトル・フリー・ライブラリー』については、こちらの記事に詳しく書かれている。
そして実現できないだろうかという想いから、『冒険者たち』や『不死鳥の文士団』が集う『アルケーの方舟』の仮の姿を私設図書館兼書店としたのだ。
つまるところ、エンドレスノットは陰ながら『リトル・フリー・ライブラリー』を運営する謎の集団でもある。
そして、もう一つのnoteアカウント『荒野のポロローグ|TRANSIT JOURNEY』で提示した『鉄道チップス』にまつわる駅と列車の『リトル・フリー・ライブラリー』は、生駒を南北に流れる竜田川に沿って走る近鉄生駒線をイメージして描いたものだ。
✴︎✴︎✴︎アリッサータの狸の末裔に継ぐ
最後に、もしこのような物語に実践的に取り組むことが実現したならば、私は後継者の育成にも尽力するだろう。この活動を含め、未来社会で必要なことを思案し率先して実行する、そんな人財だ。老若男女は関係ない。
8年ほど街の学習塾で、ホワイトボードの前に立って偉そうに話した経験も、少しは役に立つだろうか。
私は博士課程を辞し学位取得への道を放棄したが、実はそれと同等の資格と謳われる技術士の一次試験に通過している。それはもう随分と昔のことだが、環境部門を選択して道が繋がればという想いは、まだ絶えてはいない。
何より、卒業後に初めて就いた仕事の上司であり恩師でもある方から薬学系の論文博士の道も提示していただいたが、頑固な私は工学に拘って倣えず、期待に応えられそうにない自分をどうして良いか分からず、「技術士を目指す」といって、その仕事そのものを辞した過去がある。
だから手放しに諦めるわけにはいかないのだ。
しかし二次試験を受けるには実務経験とそのプロジェクトを主導した実績が必要だ。これまでに携わってきた仕事では、ここに書いたような取り組みに関わることはなかった。だからこそ自ら描いている、とも言える。
これは生駒の未来を思って描いた、公私混同の青写真なのだ。
アトリエ『アルケーの方舟』が贈る物語企画書『エンドレス・ノット航海前夜』は
熟成下書きと言うよりは、二十数年の年月をかけて練り固め焼成した結晶原石である、と思いたい
謝辞
2000年代に重要なインスピレーションを与えてくれた楽曲
『深い森』『科学の夜』『空想旅団』『冒険者たち』『ヨアケハチカイ』『生まれゆくものたちへ』
これらを生み出し伝えてくれた日本のロックバンドDo As Infinityに深く御礼申し上げます
この物語はフィクションですが、現実になると面白いし嬉しいし、きっと美味しい