『ほぼイナイチ』で立ち寄った食事処での話|福島, 猪苗代湖南
夏に猪苗代湖を自転車で回った。
その時に立ち寄った食事処での話は、記憶に残る良い思い出になったので書き残しておこうと思う。
*『綺世界探訪』と『荒野のポロローグ』との関係についてはこちらを参照
湖南に着いた頃には水がほとんど無く、店か自販機を探していた。
そんな時に見えたのが『元祖名物 赤はら天ぷら』の文字。食事処なら当然水も飲めるだろうし、ふと、お腹が空いていることにも気がついた。
通り過ぎた道を戻ってみると、その店はサイクルステーションでもあるようだった。
遅めの昼食
早速、『赤はら天ぷら丼』を注文して、水をごくごく飲む。
昼時は随分と過ぎていて、一組だけ居た先客も程なくして席を立ったので、静かな店内でのんびりできた。
程なくして、蓋付きどんぶりが乗った盆が到着する。
蓋を開ける前から目に楽しい。
当然ながら、どんぶりの中身にも期待が高まる。
開けてみると、どんぶりサイズのお魚天ぷらがドーンと乗っていて、添えられた野菜天と福神漬けのカラーリングの鮮やかさが更なる食欲を唆る。
早速食べてみると、サクリとした天ぷらの食感がとても心地よい。
魚の臭みはなく、淡白ながら旨い。福神漬けのアクセントもイイ。
何よりこうして地域特有の食文化に触れられたことが嬉しい。
最近は物流の発達やお取り寄せの文化などによって、どこへも行かずとも各地の味覚に触れることができるけれど、私はその土地のものを、その土地の風を感じながら食べるのが好きだ。
追加注文
お腹も膨らんだし、そろそろ行かないと遅くなるかなあと思いつつも、チラチラと目に入っていたメニューに後ろ髪を引かれて、もう少し居座ることにした。
だって、静かな店内が実に居心地が良いのだ。
翌日登るつもりの磐梯山が窓の向こうに見える。それをボーッと眺めていると、何とも色鮮やかなグラスが目の前にコトリと置かれた。
赤紫蘇ジュースを補給したことによりサッパリして、それはもう身体に蓄積していた乳酸が完全に抹消されたかのように思えた。
ガラスのグラス
ここで特筆すべきは、このガラスのグラスについてだ。
手に馴染むグラスの凹凸が作り出す柄模様が、鮮やかなピンク色に陰影を付けている。
こんな素敵なグラスに入った飲み物なら、何でも美味しく感じるだろう。
何しろ、私はガラスが好きだ。
そしてパターンが好きだ。
だから『型板ガラス』が嵌め込まれた窓や、いわゆる『大正ガラス』と呼ばれるガラス製の食器などを見かけると、何度見でもしてしまう。
お店のお母さんと娘さんとの会話
ところで、私は知らない人に話しかけられたり、始まった会話が膨らみやすい方かもしれない。
連れ合いがいても話しかけられるし、ソロ旅ではその機会が一層増える。
それがお店の人がゆったりしている時は尚更だ。
食事時を外れた時間帯で、他の客が居ないこの時もそうだった。
いよいよ席を立って会計を済ませ、それは始まった。
きっかけは覚えていないけれど、たぶん一言、二言で「では、さようなら」となる程度の感覚で話した細やかな事だったと思う。
私の話し方はコテコテの関西弁ではないと思うけれど、イントネーションでおおよそ出身が分かったらしく、「あ、関西の人やね」とお会計をしてくれたお母さんが反応した、というような。
私の格好について
イナイチ(猪苗代湖一周サイクリング)をしているならステッカーを貰えるということで、何色かある中から選ばせてくれた。
初めは私が「スポーツバイクを漕ぐ人の格好」ではないから、サイクリングの途中だとは思わなかったらしい。白いTシャツに黄色のショートパンツといった出立ちの私は、山登りか何かだろうと思ったそうだ。
*この日の私の装備品は、冒頭の記事 "思いつきで『ほぼイナイチ』" に掲載
確かに磐梯山を登るつもりで猪苗代にやってきたので間違ってはいない。
けれどサイクリングといっても、私の場合は*ポタリングのノリで自転車に乗っているので、格好に関してはどちらも同じようなものだ。
強いていうなら、サイクリングの時は、膝が開放的な方が快適である。
風景印について
実はこの時、猪苗代湖を一周しがてら、湖の周囲に点在する郵便局も巡って風景印を収集していた。
『風景印』というと知っている人は知っている。知らない人にとっては「ナニそれ、オイシイの?」といった具合だが、例えばこういうものだ。
風景印にはその名の通り、その土地の風物が描かれている。
その役割は郵便物の消印と同じなため、駅のスタンプのように設置されてはおらず、郵便窓口で「風景印ありますか?」と尋ねると対応してくれる。
簡易郵便局のような小さな局でなければ保有していることが多い。
普通郵便の額面の切手を購入または持参して、それに消印として押してもらうのだ。
(この時はまだ普通郵便料金の改定前だった)
自分たちが暮らす土地について
少なくともこの時は、お母さんと娘さんの二人でこのお店を切り盛りしていたようだ。
お母さんが何やら風景印に興味を持ってくれて、奥で片付けか何かをしている娘さんにも声をかけて呼び寄せて、2人して私がそれまでに蒐集した風景印を眺めて、「こんなのあったんだ」と目を丸くしていた。
その感嘆は風景印の存在に対してなのだろうけれど、風景印について対面した人に話して、これほど興味を示してもらえたのは初めてだ。
明らかに「店と客の関係」はどこかへ行ってしまっていて、一人一人の人間同士の交流だった、と考えるのは思い出を美化したがる脳のせいだろうか。
思うに、この時の話題は風景印の話でありつつも、猪苗代湖周辺の風物についての話でもあった。どこか異国の、つまり自分たちの暮らしにはカンケーの無いものではなく、「自分たちが暮らす土地の再発見」として魅力を感じたのかもしれない。
その地に生きる彼らと、其処に辿り着いた私の、共通の話題だったのだ。
イナイチの目的について
そもそも猪苗代湖の周りを自転車で走っていたのは、湖南エリアの住民の方たちが保全活動をしているという『清水川の梅花藻』を見に行くための移動手段だった。
『清水川の梅花藻』については、こちらで書いた。
それが風景印の蒐集という私の趣味と結びついたのだ。
「そういうわけで、ちょっと走ろうかなと思って」と言うと、お母さんから「いや、ちょっとじゃないから」というキレの良いツッコミを頂戴した。
無論、私にボケたつもりはない。
確かに猪苗代湖は日本で4番目に大きな湖で、周囲はおよそ58 kmある。
途中で立ち寄った郵便局でも、「地元の人間だけど、イナイチはまだやったことがない」「結構な距離だよね」といった風に、それなりにハードルが高いと感じるものらしい。
けれどルート上にはほとんどアップダウンがなく、その距離を忘れるほどだった。湖北エリア以外は車も少なくて安全だし、特に湖南エリアと湖東エリアは湖が近くて走ると爽快である。
本格的なサイクリストでなくとも、イナイチを好きになるに違いない。
『清水川の梅花藻』はこの近くだろうか、というようなことを聞くと親子とも「あ、聞いたことある! ……けど、どこだったかな」と言って、娘さんに至っては調べ始めてくれた。
一応Google Mapには表示されるけれど、土地勘がないので私には距離感や周辺の環境がわからないのだ。
目的地の『清水川の梅花藻』は同じ湖南エリアではあるものの、店からは少し離れていて「蕎麦屋があるあたりだったかな」とか「看板があったはず」とか、お母さんと娘さんが色々と記憶にある情報をくれた。
「行ったことがあったらもっとちゃんと教えてあげられたのに」と無念そうにされていたけれど、他所からやって来た人間とこんな風にコミュニケーションをとってくれること自体が嬉しい。
緩やかに店と客という関係に戻り、この地に残る者と発つ者に分かれたことを感じる。
帰りの分の水を確保したくて、最後に自販機かお店は近くにあるだろうかと尋ねると、「それなら確か……」と教えていただいて、店を後にした。
再訪の予感
実は猪苗代湖周辺には、まだやり残したことがあって、そう遠くない未来の再訪を目論んでいる。どうやらこちらは食堂兼旅館だったらしく、それならば猪苗代湖南の探訪拠点としてはうってつけだ。
後で知ったことだが、猪苗代湖周辺でアカハラ漁をする方も高齢化しつつあることに加え、漁獲量は年々減っているらしい。
個体数そのものも減っているという情報もあって、これは猪苗代湖の弱酸性の水質が中性化しつつあることも原因の一つかもしれない。
この周辺で「赤はら天ぷら」を提供するのも、こちらのお店くらいになってしまったようだ。
けれど「赤はら天ぷら」が有っても無くても、このお店は愛されている。
そう感じさせる、心地よい風に満たされた空間だった。