国公立医学部と私立医学部の対比から見えるエリート社会の構図
国公立医学部と私立医学部。度々比較される2群である。
受験界の偏差値においては、個別には例外はあるが、大まかな傾向としては国公立医学部>私立医学部である。今回は単なる受験難易度の話ではなく、2群を別の観点から比較し、考察してみたい。
エリート層には2つのタイプがある。
メリトクラシーエリートとブルジョアエリートである。
前者は能力に基づいて選抜された集団であり、競争に勝つことが人生の重要課題だ。受験では偏差値が最も大切な指標になる。後者は生まれながらの金持ちであり、育ちの良さや苦労を知らないこと、ゆとりを持って自己実現をすることを重視する。「生まれながら」という点が重要で、起業などで大成功を収め巨万の富を得た者は前者に入る。
メリトクラシーエリート校といえば、中高なら筑駒、開成、灘、桜蔭が有名であり、大学は東大、京大が筆頭だ。他にも、一橋や東工大、旧帝大といった国立大名門はすべてこのカテゴリーだ。中学受験は課金ゲーという認識を持っている人がいるが、これは誤りだ。確かに塾通いのため一定の入金力は必要だが、最終的には子どもの持つ能力が明暗を分ける。大学入試と違い、難関校は筆記試験一本であるから、総合型選抜などを駆使して立ち回ることもできない。いわば「キャラスペックゲー」である。
話が逸れた。一方のブルジョアエリート校の代表格は、私立の名門小学校だ。慶応幼稚舎や青山学院初等部、暁星、雙葉、学習院などからエスカレーター式に進学していく。
早稲田や慶応は両エリート混合型の学校と思われるが、内部生が力を持つのでブルジョアエリートの性質がやや強いかもしれない。
ここで医学部の話に戻る。
国公立医学部がメリトクラシーエリートであるのは言うまでもない。東大京大と並んで大学入試では最難関に位置している。学費は医学部だから特別に高額ということはなく、他学部と同じだ。
私立の医学部はどうか。私立御三家などはかなりの学力が求められるが、それ以上にすべての大学に一貫して共通するのは学費の高さだ。最安の国際医療福祉大学でも18,570,000円、最高クラスになると、東京女子医大の46,214,000円、川崎医大の47,250,000円にも登る。学費を支払うことも含めて入試難易度であると解釈するなら、女子医大や川崎医大の難易度は東大理三や京大医学部にも匹敵するかもしれない。したがって彼らは典型的なブルジョアエリートである。
私は地方国立大の出身であるが、就職は私立の大学病院であったから、両方の世界観と対立構造を目の当たりにした。
国公立大医学部出身者の中には私大出身者を「金で医者になった馬鹿」と蔑視している者がいる。これは想像しやすい。この類は特に地方国立大出身者に多い。偏差値が足りず地方に出ざるをなかったコンプレックスを、(偏差値の上では)より下位の集団にぶつけて溜飲を下げているのだ。
しかし、私立医大出身のブルジョアエリートたちもまた、国公立医学部出身者を別の視点から見下している。
以下は個人的な体験談だ。
研修医の時。大学病院の給料は激安であるが、それ以上に私は一社会人としてその給料でやりくりし、自立できることが喜ばしくあった。帳面をつけ、自炊をして節約本を読み漁り、家計管理をした。
ある日、研修医同期で飲み会をしようということになった。ところが、提案された店は当時の私の金銭感覚からは明らかに予算オーバーであった。そのことを皆に伝え、よりリーズナブルな店を提案した。一同は目を丸くした。予算を気にして安い店に格下げするという行動に強いカルチャーショックを受けたようだった。私は、新社会人で同じ職場で同じ給料なら経済状況は同じなのでは、と疑問をぶつけたが、そもそも大学の給料でやりくりしていること自体が驚きだったようで、本気で日々の暮らしは大丈夫なのかと心配された。その眼差しには明らかに哀れみが含まれていた。
まだ続く。苦難の研修医を終え、入局。アルバイトができるようになり、大学自体の給料は激安でも全体の収入は時間が許す限り増やせる。当時はコロナワクチンアルバイト最盛期であり、私はここぞとばかりにアルバイトを入れまくった。医師になりたくさん稼げるということを嬉しく誇りに感じ、その気持ちを同期や先輩医師に話した。国公立医学部出身者は共感してくれたが、私大出身者はまたも不思議な表情を浮かべ、「なんでそんなにお金が要るの?」と問うた。どうやら金持ちにとっては、私のバイト生活は涙ぐましい努力であり、それを語ることは誇るべきことでなく恥を自らさらすようなものに思えたようだ。その後私大出身の同期からめでたく、「あんまりバイトばかりしていることは周りに言わないほうがいいよ」とアドバイスを受けた。
メリトクラシーエリートとブルジョアエリート。この2つのカテゴリーは、単純な序列があるわけではなく、複雑な対立構造を見せている。
両者はお互いに対立の念を抱いている。「金で何でも解決する連中」、「金がないせいで頭をひねったり時間を溶かさないといけない連中」といった具合だ。
ところが同時に、両者はお互いにコンプレックスをも持っているのだ。これが面白い。
メリトクラシーエリートは金持ちへの羨望がある。私のバイト生活はそれをまさしく体現している。自由診療で怪しげな医療を提供するクリニックは意外にも難関国公立医学部出身者が少なくない。「本当の金持ちは質素な格好をするが、小金持ちはブランドものを身につけたがる」といった説も、メリトクラシーエリートが拝金主義に陥る傾向を表しているだろう。
これとは逆に、金持ちが偏差値や能力主義の虜になるケースもある。
最たる例が秋篠宮家だ。一般市民とは異世界の住人である将来の天皇を高学歴にする実利はなく、批判や争論になるのがわかりきっているのにあえて学習院ではなく、筑波大付属や東大、筑波大といった国立エリート校に入学させたがるのは根底に並々ならぬ能力主義へのコンプレックスがあるからなのだろう。
歌舞伎の名家に生まれ、華やかなレールは決まりきっていたのに猛烈な受験勉強を行い東大に入った香川照之もその類だ。
今回挙げた2つのグループの対立構造を描いた世界的有名作品がある。ハリー・ポッターだ。環境面で劣後するグリフィンドールのハリー・ポッターやハーマイオニー・グレンジャーが出自と経済力を鼻にかけるスリザリンのドラコ・マルフォイを知恵と工夫、努力で出し抜き活躍する姿が印象的だ。
これだけ見ればハリーはマルフォイより格上の存在にみえる。主人公なのだから当然だ。
しかし名作はここで終わらない。「呪いの子」というハリーたちが親になった後日談を描く続編がある。日本では舞台がロングランで上演中だ。父となったハリーは息子にうまく接することができず何度も息子と衝突する。それを見たドラコは一括する。「父親としてその態度はどうなんだ」と。ハリーは「俺は本当の親を知らないからお前と違ってどうすればいいかわからないんだ」と言い返す。環境面で恵まれた者に対するハリーの劣等感が反映された一言だ。ハリーと同様に孤児であったヴォルデモート卿も、恵まれた者への多大なコンプレックスがあり、悪に手を染めたのかもしれない。先に述べた「闇自由診療堕ち国立出身医師」と通ずるものがある。
一方、この作品ではマルフォイは立派な父になっており、堂々とした威厳ある振る舞いをみせ、かつての子供じみた幼稚で意地の悪い姿は想像もつかないキャラクターに昇華されている。ハリーとマルフォイは、完全に本編と立場が逆転している。
「呪いの子」は単なる荒唐無稽な話ではなく、この他にも現実にありそうな要素をいくつも描いており、深みのある仕上がりになっている。観ていない方は一見の価値ありだ。
実は私の通った幼稚園はかなりのブルジョアエリート社会だったらしい。我が家は経済面で周りと太刀打ちできなかったようだ。駐車場に外車が並ぶ中、唯一我が家だけ国産車で送迎していたとのことで、肩身が狭かったと思う。その後はある意味で「挫折」し、小学校は公立に進んだ。それからは勉強に打ち込み、中高は私立の進学校、国立医学部に進み、医師免許を得た。卒後は私立大学病院就職であるから、ある意味ではメリトクラシー社会に揉まれた後、またブルジョアエリート社会に戻っていったというわけである。自画自賛にはなるが、私は約20年間の修練でブルジョアエリートと戦うだけの力をつけたとも言える。
今回は社会のエリート層を2つにわけて論じてみたが、実はそれでは説明しきれない第三のエリート集団がいる。
それについては、長くなるので今後別記事にしてみたいと思う。