【聖書通読シリーズ#4】ローマ人への手紙3章21節~4章25節
本文引用及び感想
一つ目(ローマ人への手紙3章21節~22節)
ここで、一つ疑問がわいてきた。聖書において”義”とはどのような意味を持つのだろうか。チェーン式聖書の解説欄によると
1.神の性質としての正しさ
2.キリストを信じる者に与えられる賜物としての義、すなわち神との正しい関係
3.正しい生活のための基準
という三つの意味があるらしい。
二つ目(ローマ人への手紙3章23節~24節)
基本的なことをおさらいしておきたい。まず「贖い」であるが、人手に渡った財産や土地を買い戻すことを意味するギリシャ語、”ἀπολυτρώσεως”(アポリュトローシス)が使われている。次に、「義と認められる」の意味は、チェーン式聖書によると法的用語で、無罪と認められるとか、正しいと認められるという意味である(申命記2章51節参照)。ここで気になるのは、最後に使われている「から」だろう。どの文章の理由を示しているのだろうか?これは21章の「律法とは関わりなく、…神の義がしめされました。」のところだと考えられる。つまり文脈から意味を考えると、すべての人は罪を犯したため、律法を守ることを通して神の栄光を受けることができなかったが、神の恵みによって、キリスト・イエスによる贖いを通して、栄光を受けることができる。と読むことができる。(キリスト・イエスによる贖いを通す=イエス・キリストを信じる)
余談だが、神の恵みという言葉の意味(神の憐れみではだめなのか等)も気になるが、これ以上調べると寝る時間が無くなるので、この箇所はここまでにしたい。
三つ目(ローマ人への手紙4章3節)
旧約聖書のアブラハムは特にユダヤ人にとって重要な人物である。ここから、アブラハムがなぜ、義と認められたのかという話が続いていくが、結論は信仰によって義と認められたである。ここで面白いのは、アブラハム自身は割礼を受けていなかったのになぜ神との約束が与えられたのかというところで、当時のユダヤ人の考え方が完全に論破されている点だ。
四つ目(ローマ人への手紙4章7節,24節~25節)
7節の途中から見てほしい。文章の区切り方は、彼は((死者を生かし)and(無いものを有るものとして召される))神を信じ…であることに注意する。彼というのはアブラハムのことである。死者を生かしというのは、へブル人への手紙11章19節を読むと分かりやすいと思う。アブラハムはイサクを生贄としてささげるように神から命令されそれを実行することができた。なぜなら、神は正しい方で、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えたからだ。アブラハムには、神は死者を生かすという信仰があったというわけだ。次の、ない者をあるものとして召されるとは、妻のサラが閉経していたにもかかわらず、神はアブラハムに子供ができる前に子孫が星の数ほど増えると言われたこと指している。
全体として何が言いたいのだろうか?それは、アブラハムが「死者を生かす」神を信じて義と認められたように、私たちもイエスを死者の中からよみがえらせた方を信じることで義と認められるということだ。
キリストの復活は、十字架の贖いの死が神に受け入れられたことを確証し、信仰による義認を成立させる。
全体を通しての感想
今回は信仰による義について考えることができた。「信じる者は救われる」というフレーズはよく耳にするが、キリスト教におけるそれは、ロジカルにかつ明快に聖書の中で証明されている。(神が示されたことが正しいという前提を受け入れるのであればの話だが。)正直、結論のみを知っていて、それを信じていたので、アブラハムの文脈に沿ってここまできちんと沿って考えたことがなかった。改めて、深堀して読むことができて面白かったし、勉強になった。新約聖書を読んでいると、アブラハムとダビデがよく出てくる気がするので、旧約聖書のどの部分で出て来たのか復習していきたいと思った。