Mrs. GREEN APPLE「青と夏」 - 映画じゃない、僕らの夏――儚さと情熱が交差する季節のうた

カシノコトバ、第1回はMrs. GREEN APPLE 7th Single「青と夏」を扱います。


Mrs. GREEN APPLE 大森元貴氏は2018年8月リリース時に下記のように述べています。

夏の輝きや憂いを思いっきり詰め込みました。

青夏の世界にインスピレーションを受けて自分なりに夏と向き合い、夏が好きだと再確認させてもらいました。

1人1人に向けた楽曲で、全て【あなた】のことを歌っています。個人的にも凄く大好きな曲を生み出すことが出来ました。二度と戻らない今、夏を全力で楽しんでほしいなと思います。僕も楽しみまくるつもりです!!心が潤うきっかけを与えてくださった青夏に感謝です。

https://www.universal-music.co.jp/mrsgreenapple/ao-to-natsu/

はじめに

夏がやってくると、どこかで「新しい物語が始まる予感」に胸が高鳴るのはなぜでしょう。子どものころの長い夏休みを思い出すと、いつも初日から興奮して眠れなかったり、新しい出会いにドキドキしたり――そんな記憶が、私たちの中にずっと残っているのかもしれません。

今回取り上げる歌詞は、そんな夏の始まりを合図にして、恋や友情、はたまた“運命”と呼べるようなものまでをひとまとめに歌い上げています。何度も登場する「映画じゃない」というフレーズは「現実はそう甘くない」というシビアさを孕んでいながらも、むしろそこにこそ「自分が主役」という誇りや希望が宿っているように感じられます。

この記事では、この歌詞に散りばめられたメッセージを、より詳しく・深く読み解いてみましょう。


1. 夏の始まりがもたらす高揚感と不安

涼しい風吹く 青空の匂い
今日はダラッと過ごしてみようか
風鈴がチリン ひまわりの黄色
私には関係ないと思っていたんだ

歌詞冒頭のこの部分は、まさに「夏が来た!」という空気感を端的に示しています。「涼しい風」や「青空の匂い」、「風鈴」や「ひまわり」といった夏の象徴が、五感に訴えかけるほど鮮やか。
しかし一方で、「私には関係ないと思っていた」というフレーズが控えめに添えられており、浮ついた気持ちだけではない“冷めた視線”も感じられます。誰にでも、興味があるようでないような、夏が始まる高揚感と、ちょっとした不安や面倒くささが同居している瞬間があるのではないでしょうか。

夏の「入り口」で立ち止まること

大人になるにつれ、夏休みは短くなり、日常が続くなかでただ気温だけが上がっていく。子ども時代のような“無条件”の解放感が少なくなるからこそ、「今年はどんな夏になるだろう」と期待しても、どこかで「そんなに変わらないかも」と思ってしまう。
それでも、ちょっと力を抜いて「今日はダラッと過ごそう」とするあたりが、この歌詞の登場人物の“素直さ”を表しているように思えます。あえて立ち止まり、夏をひと呼吸で味わうという姿勢が、ここから始まる物語の序章と言えるでしょう。


2. 「映画じゃない」からこそ、痛みも受け入れる

夏が始まった合図がした
"傷つき疲れる"けどもいいんだ
次の恋の行方はどこだ

「夏が始まった合図」に対し、次の瞬間には「傷つき疲れる」ことさえ受け入れる覚悟が語られています。心地よい季節感と同時に、恋や人間関係における痛みが訪れるのも夏のリアルな側面。
ここで登場する「映画じゃない」という言葉は、“ストーリーのように都合よく進まない”現実の厳しさを表すと同時に、「だからこそ自分たちが自由に物語を作り上げられる」というポジティブな意味合いも持ちます。

自分の人生の主役は自分

映画では与えられた脚本通りにキャラクターが動きますが、現実の私たちは常に「選択と決断」を迫られています。誰かが勝手にハッピーエンドを保証してくれるわけでもなく、辛いことが起きる可能性もゼロではない。むしろそちらのほうが多いかもしれません。
それでも「自分が主役で、自分の物語を紡いでいける」からこそ、痛みさえも物語の一部として受け入れることができる。そんな強さとあたたかさが、このフレーズには宿っています。


3. 変化する心――「関係ない」から「関係あるかも」へ

風鈴がチリン スイカの種飛ばし
私にも関係あるかもね

少し前まで「私には関係ない」と思っていた夏のアイコンが、「関係あるかも」と変化していく様子は、わたしたちが日々の些細なきっかけで、物の見方を変えていく過程と重なります。
最初は興味がなかったのに、誰かとの会話や、ふとした瞬間の空気感がきっかけで、「あれ、意外と悪くないかも」「むしろ好きかも」と思う瞬間がある。この“価値観の転換”こそ、青春や恋愛が起こす奇跡の一端かもしれません。

些細な風景が「思い出」へと変わる魔法

夏ならではの風物詩――風鈴の音や、スイカの種飛ばし。ささいな出来事に思えても、これらは後から振り返ったときに、深く胸を打つ思い出として残ることがあります。
「この夏は何もなく過ぎていく」と思っていたのに、ひとつのきっかけで一気に彩りを増す――そういう予感が、この歌詞からは漂ってくるのです。


4. 友情や嘘、愛の複雑さ――“それでも信じたい”気持ち

友達の嘘も 転がされる愛も
何から信じていいんでしょうね

大人になっても、人間関係は一筋縄ではいきません。仲の良い友達のちょっとした嘘に傷ついたり、恋人との関係で「愛してる」と言われても、“本当なの?”と疑ってしまったり。誰を・何を信じればいいのか、途方に暮れることはよくあります。
でも続くフレーズでは「宝物は褪せないよ」「大丈夫だから 今はさ 青に飛び込んで居よう」と歌われ、迷いを抱えながらも“前に進む大切さ”が強調されます。

「信じる」ことの強さと脆さ

傷ついても、裏切られても、それでもまた“信じてみたい”と思えるのが人間の本質かもしれません。その姿勢を「人の素晴らしさを信じてる」という一文で端的に表し、肯定しているのが印象的。
疑い続けるよりも、一度飛び込んでみることでしか見えない景色がある。そうして振り返ったときに、「あのとき勇気を出してよかった」と思える瞬間が、いつかやってくるのではないでしょうか。


5. 恋が始まるとき――「本気になるほど辛い」ジレンマ

夏が始まった 恋に落ちた
もう待ち疲れたんだけど、どうですか?
本気になればなるほど辛い

恋愛の喜びと痛みは、ふたつでひとつ。「好き」の度合いが深まるほどに、報われなかったときの辛さも増してしまいます。
夏は開放的な季節だからこそ、告白や恋が急速に進む場面も多いでしょう。しかし、その分「本気になればなるほど」傷が大きくなるというリスクも同時に抱えています。それでも人は、そんな痛みも含めて恋を選ぶのかもしれません。

恋が生む「平和じゃない」熱量

平和じゃない 私の恋だ

恋愛はときに、心をかき乱す大きな波として描かれることがあります。楽しいだけではなく、不安や嫉妬、孤独、イライラも混在するのが恋のリアル。しかしその“平和じゃない”状態こそが、青春のエネルギーでもあるのです。
「どう転ぶかわからない」不確かさを前にしても「やらずにはいられない」――それが、恋が持つ魔力とも言えるでしょう。


6. 結ばれる運命と「主役は貴方だ」の真意

寂しいな やっぱ寂しいな
いつか忘れられてしまうんだろうか
それでもね「繋がり」求める
人の素晴らしさを信じてる
運命が突き動かされてゆく
赤い糸が音を立てる
主役は貴方だ

「寂しい」という感情は、恋に限らず人間の根源的な思いのひとつ。いつか忘れられることを恐れ、離れていくことを想像してしまうのは、誰でも同じです。
それでも、“繋がり”を求めたいし、誰かと分かち合いたい。だから運命の赤い糸を信じるし、結びつく瞬間を待ち望む。「主役は貴方だ」という言葉は、「誰かに引っ張られて生きるのではなく、自分で自分の運命を見定めてほしい」というメッセージのようにも受け取れます。

信じる先にある可能性

赤い糸という運命論的なイメージと、「主役は貴方だ」という主体性のイメージ。相反するようでいて、「運命を感じつつも、それを掴むか否かは自分次第」という考え方で繋がります。
運命という大きな力に導かれるような感覚はあっても、それを手繰り寄せて、自分の物語に取り込むのは自分しかいない。そう思えば、私たちの一歩一歩はとても尊く意味深いものになります。


7. 「まだまだ終われない夏」と、私たちが描く未来

まだまだ終われないこの夏は
映画じゃない 君らの番だ
映画じゃない 僕らの青だ
映画じゃない 僕らの夏だ

夏はカレンダー上では必ず終わるときが来ますが、この歌詞では「終われない」という強い意志が示されます。
それはもしかすると、実際の季節そのものが終わるかどうかではなく、「自分たちが描く物語の完結」を外部に委ねないという宣言なのかもしれません。カレンダーが8月末を指し示しても、私たちが夏のエネルギーを心に燃やし続けるなら、その夏はずっと続いていく。

「映画じゃない」から面白い

人生において、誰かが確約した大団円はやってきません。予想外のハプニングばかりが起こり、痛みを伴うことのほうがむしろ多い。
だけど、だからこそ面白い。その未完成で予測不可能なストーリーを、主役である私たち自身が彩っていく――まさに、映画ではなく“リアル”の魅力が詰まったメッセージと言えるでしょう。


おわりに

今回の歌詞は、「夏」という季節が持つ独特の解放感や切なさを背景に、恋や友情、そして運命への憧れを描きながら、同時に「映画じゃない」というキーワードを通して“現実”を浮き彫りにしています。
しかし、この“現実”は決して暗いものではなく、むしろ“一人ひとりが主役である物語”が動き出す予感に満ちています。恋によって傷つくかもしれないし、嘘や裏切りもあるかもしれない。それでもなお、人の素晴らしさを信じ、繋がり合うことを求めるのが私たちの強さ。
夏はあっという間に過ぎてしまう季節かもしれませんが、その刹那に味わう喜怒哀楽こそが人生の宝物になる。どうかあなたも、この歌詞が示すように「映画じゃない、でも素晴らしい」夏を全力で駆け抜けてみてください。

「映画じゃない」からこそ、私たちの物語は自由に変幻自在に動いていく。主役として、その一瞬一瞬を存分に味わっていきましょう。

注意書き

歌詞の解釈に正解はないです。作詞家も正解を提示しないで、リスナーに判断を委ねている場合もあります。一解釈として理解いただけますと助かります。また、本ページに記載されている歌詞の著作権は、すべて該当する作詞家および権利所有者に帰属します。


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