地小説① 発達少女、海へ
いつも自分にだけは人懐こい、をと芽の爪の根元から三ミリほどのところに横線が表れている。「どうしてたの。しばらく来なかったじゃない。何かあった?」
をと芽は店の常連客である。神戸港を望む高台でネイルサロンを営む大浦茜は、顔に善人と書いてあるが何かしら精神が不安定な様子で仕事をころころ変える若いをと芽のことが心配でならない。年の離れた妹のように接している。自分でも不思議だった。
「えっ、どうしてわかるんですか」手のひらを茜に委ねていたをと芽は驚いた顔になった。
「この爪の横線。ここの爪の付け根を爪母というんだけど、ストレスや不摂生でここに栄養が届かなくなると爪の成長が鈍るの。そして横線が出る。縦の線はだいたい加齢が原因だから、まだあなたには関係ないと思うけど、横線は気をつけなきゃ」
隣の高価な衣装で着飾った高齢の女性が咳払いをした。そちらを向いて軽く会釈した茜を、いたずらっぽい笑いを浮かべてをと芽は見た。ダメ女と思い込んでいる自分に対して「ダメ」とは決して言わずに、心配してくれる茜を、ネイリストとしての技術だけでなく、心から信頼していた。「あ、これ。付け爪にしてたから、気づかなかった。あちゃー」
「ついでに教えておくとね。爪はもともと皮膚の一部なの。ケラチンていう成分でできていて、伸びるのは一日で〇・一ミリていど。だから三カ月から半年で生え変わるのよ」
「知らなかった。茜さん、物知り」
「そりゃあ、ネイルサロンやってるんだから、それくらいは基本よ。知らないと、ツメが甘いって言われちゃう」
をと芽が大声でけたけた笑った。着飾った高齢の女性が二度目の咳払いをした。「本当は笑ってる場合じゃないのに、茜さんと話していると心が軽くなります。実はね…」
「ひと月前でしょ? ごめん。それ、後にしよ。お店が終わって、八時。三宮の倫敦屋で」
残暑きびしい九月の夕方、港町の小高い坂道にまで船の汽笛が聞こえてきた。「こんな都会の海ではないけど、海は海につながっている」と故郷を思い出しつつ、茜はわれながら奇妙な独り言を呟き、「ネイルオアシス魔法の爪」と書かれた外の灯りを消した。
をと芽のことでは、これまでも思い当たるふしがあった。来店回数を重ねるごとに確信に近くなってきていた。しかし、なかなか口に出せずにいた。漢字四文字のうちの下の二文字がひっかかる。発・達・障・害。
二週間に一回のペースで茜の客となるをと芽は、そのたびに仕事を変えていた。まれに一カ月続くと、茜は食事をおごってあげた。その際をと芽は「さらに一カ月続いたらその分お金が貯まるから、お返しさせてください」と言うのだが、実現したためしはなかった。
学歴は大阪の福祉系短大中退。四年前のことだ。職歴はといえば介護職、保育士見習い、スーパーのレジ、レストランのウエイトレス、コールセンター、ツアー添乗員、保険の外交、ホテルのフロント、動物園の飼育係、ガソリンスタンド、フラワーショップ、宅配ピザ店、百貨店の化粧品売り場…などなど、まさに百花繚乱落花狼藉。一番長く続いたのが動物園の四十九日、次がコールセンターの三十三日と聞いて、茜はあることに気がついた。をと芽が経巡ってきたのは、どれもこれもほとんど目の前の多数の人間を相手にする仕事だと。
茜はある日、書店の新書コーナーで『発達障害は障害ではない、生涯の友である』という一冊を手に取った。ぱらぱらめくってみると、〈発達障害者に不向きな職業〉というページがあり、をと芽が齧ってきた職種が概ね該当していた。「ほうりゃ」よほど偶然の合致がうれしかったのか、日頃しまい込んでいるはずの故郷の方言が神戸の繁華街の真ん中でこぼれ出てしまった。人間の心には、不吉で起こってほしくないことが起きた場合でも、それが自分の予想通りだったら誇らしくなるエゴイズムが潜んでいるのかもしれない。
その新書を購入して、をと芽が店に来なかった間のオフの時間に自宅マンションで熟読した。読めば読むほど、をと芽に対するネイリストのにわか診断は動かし難くなるのだったが、なぜかそれは自分にも返ってきた。多かれ少なかれ、誰にでもありそうなことばかりが書いてある。試しに診断テスト表に記入してみると、「他の人が気づかなかった微細な現象などによく気がつく」「特定の種類のものに関わることは幸せだ」「数字や数列に対するこだわりが強い」などは発達障害認定を高める項目らしいが、茜は三つとも当てはまった。それらはネイリストという専門的かつ職人的業務にふさわしい資質ではないか、なんら臆することはないはずだ。不惑を超えて、自分の中の天使も悪魔も飼い慣らしてきた茜にはいつしか、人生の生きにくさを生きやすさに反転させる、ある種のバランス感覚が育っていたのである。
自宅で軽い食事をすませた茜はスマホで故郷の友人にメッセージを送り、くだんの新書をバッグに入れて、部屋を出た。三宮センター街では数人の顧客とすれ違った。茜を認めると手をあげ、茜の作品ともいえるネイルをかざして微笑んでくれる女性もいた。店で「辛い時にも、生きる勇気がネイルに宿っている感じ」と喜ばれたこともある。
をと芽は老舗喫茶「倫敦屋」に四十分遅れてきた。
「ごめんなさい! アパートの鍵をかけたかどうか気になって、何回も何回も階段を昇り降りしてしまいました。走って走って時間を取りもどしたのに、アーケードの途中の猫グッズ店の店先で可愛い猫のランプを見つけて、それから目移りして、ついつい中に入ってしまって、この世は猫グッズでできているみたいな気持ちになって」
「いいの、いいの。何にする?」
「ほんとにごめんなさい。茜さんと同じので」
腰の低い、若い男性スタッフに、茜は中秋の名月をモチーフにしたアイスオンワッフルと特製ブレンドコーヒーを追加注文した。ワッフルをひとくち口に入れたをと芽が、思い切ったように茜の目をまっすぐに見つめた。
「何からお話しすればいいのか、いろいろ重なっちゃって」
「ゆっくり話してごらん」
「えーと。お酒好きの父が肝硬変になって、お医者さんに肝移植をしなければ命はないって言われて、わたしの弟がドナーになるって申し出たんだけど、弟はギャンブル依存症でその後、行方不明になって、ハーッハーッ」
「落ち着いて落ち着いて」
「ハーッ。そんなあれこれを今カレに打ち明けたら別れ話に発展したんです。わたしはダメ女だけど、あいつはもっとダメ男のくせに。ダメンズだけど付き合ってあげてたのに」
「そんな男は除外。それより、大変だったわねぇ。相談してくれればよかったのに。何にもできないけど、人に話せば気がまぎれるってこともあるから」
「何にも言わないか、全部さらけ出すか。それがわたしみたいです。今回は何も言わない方に振り子が振れました。でも今、さらけ出しました。心の中で大雨が降ってます」
「ちゃんと自己分析できてるじゃないの。をと芽ちゃん。あなた自分のことだけでも大変そうなのに、よく頑張ってる方よ」
「わたし、大変なんですか?」
「発達障害って言葉、聞いたことある?」
「ありますけど。遠い世界の話でしょ」
「もしかして今、私の目の前にいる人もかも」
をと芽が茜をにらんだ。
「私はお医者さんじゃないけど、をと芽ちゃんの印象とか、行動とか、仕事遍歴とか見てると何か臭うなと思って、少し調べてみたの。あ、怒った顔しないで。あなたを思うがゆえの老婆心からだから」
「ひどい! 茜さんがわたしを障害者って言った。ひどい! ひどーい!」
をと芽が泣きだした。あたりはばからず、大声で泣きわめいた。「違うのよ」と茜が言うと、火に油を注いだ形になった。ほかの客が注視している。スタッフが歩み寄ってきた。
「どないしはりました? なんでしたら救急車をお呼びしましょか」茜はあわてて制した。
「大丈夫です。ここは私が何とかします」
それから新書やインターネットで仕入れた発達障害に関する知識を総動員して、顔を真っ赤にしたをと芽に懇々と説いた。発達障害は治療可能であることを何度も繰り返した。新書の例の診断テスト表を、をと芽にもやらせてみると案の定、高得点を獲得。発達障害の可能性は極度に高まった。
「はい先生。子供の頃からソワソワしてました。明日、病院へ行きます。発達障害という病名をありがたく頂戴して、ふらふら道路を横切って車に轢かれるか、絶望してポートアイランドから海に飛び込めばいいんですよね」
茜はこれまで誰にも向けたことのない優しい眼差しを、をと芽にそそいだ。
「何言ってるのよ。何回も言ったように治る病気なんだし、適したお仕事に就けば普通の人以上の能力を発揮するといわれているから、何も心配することはないのよ。私だって」
「えっ、茜さんも同じ穴のムジナ?」
「その言い方、微妙。だって悪いことじゃないから。まあいいけど。実は私も京都の美大を出て、最初は広告代理店に就職したの。グラフィックデザイナーの仕事は楽しかったけど、不特定多数のクライアントと接するのは苦手だった。セクハラだってしょっちゅう。つまんない時は部屋でお酒を飲みながら爪に絵を描いて遊んでた。その頃はもうネイリングが広まっていて、ふとした瞬間、そうだ今度は人様の爪をキャンバスにさせていただこう、よし資格を取ろう。そう決心したの」
「日本人て米粒にだって絵を描きますよね」
「面白い返しね。元気出てきた? そうなの。ネイリストなら一定の時間、人と一対一の関係でしょ。それなら私も疲れないかなって。何たって好きなことを仕事にするのが一番よ」
すっかり落ち着いてきたをと芽はワッフルをたいらげ、コーヒーを飲み干した。「好きなことを仕事に?」
「そうよ。私もをと芽ちゃんが車に轢かれたら困るし、あなたが病院に行かなくていい方法が一つだけある」
「何ですか」
「釣りが好きだったよね。釣った魚をお店に持ってきてくれたこともあったっけ。店内が生臭くなってかなわなかったけど、あの時のをと芽ちゃんの得意げな顔が忘れられない」
「調子に乗ってたんですね、きっと」
「ここから先は、騙されたと思って聞いてね」と茜が言ったとたん、茜のオレンジ色のバッグが少し震えた。「ちょっとごめんね」とバッグから出したスマホを耳にあてた。「おりおり」と言う張りのある男の声がもれてきた。聞こえたのは最初だけだ。「忙しかっちゃろ、ごめんばってんさ」と茜は小声で話している。
「祷(いのり)をと芽っていわすと。可愛かよ」「△」「素直かよか人やけん、船に乗せてやってくれん?」「△」「今ん時期は何の取れよると?」「△」「アゴや。ああ、懐かしかぁ。食べたかぁ」「△」「ありがと。漁太君な優しかぁ。昔といっちょん変わらん。そんなら、よろしゅ」
をと芽には聞き慣れない方言の電話が終わった。怪訝そうなをと芽に茜は向き直った。
「おほん。さっきの続きね。あっ今の相手、ふるさとの同級生」
「茜さん、長崎でしたよね」
「覚えててくれたの。うれしい。長崎は長崎でも北の方なの。平戸はわかる?」「知ってます。フランシスコ・ザビエルとか。鹿児島にも来てます」
「ピンポーン」
「で今、何しゃべってらしたんです?」
「あなたに漁師体験してもらおうと思って」
「漁師体験?」
茜は故郷生月島の幼なじみである網元漁太が、水産会社を営む一方で、ともすれば斜陽産業とみられがちな漁業の魅力を発信すべく、素人を対象に「漁師の真髄」と題した体験観光を最近始めたこと。それが特に女性に人気を博していること。平戸の人は情が深く、初対面の相手も大歓迎なことなどを説明した。
「そうそう、取れた魚は船長がすぐに船上でさばいてくれて、そこで朝ごはんのおかずよ」
「すごい! ワイルド! やってみたい!」
「でしょう」
「ひとつ聞いていいですか。さっき、あごが取れるとか言ってませんでした? その船が揺れると、あごがはずれてしまうんだったら恐いです」
「あーはっは。アゴっていうのはトビウオのこと。平戸ではそう呼ぶの」
「なあんだ」
「私も聞いていい? 船酔いとかしない?」
「百パー、大丈夫です。わたしんちもおじいちゃんの代まで奄美大島でしたから。戦後まもなく、アメリカの統治下だった島から本土へ仕事と自由を求めて、命がけで密航したのがおじいちゃんの自慢だったなぁ。もしも密航船が転覆してたら、わたしなんか生まれてなくて、ここで茜さんとも会えなかった」
「運命は不思議。私たち、海のDNAを受け継いでいる人どうしね」
「つながってますね、わたしたち」
「いい言葉。さっそく、網元君に連絡しとくね。日にちが決まったら先に教えて」」
着陸前に見おろした大村湾が、日差しを照り返してまぶしかった。海の上の長崎空港は、一時間前に離陸した神戸空港と親類のようだと思った。をと芽はレンタカーのハンドルを握った。佐世保で、茜にラインで連絡した。〈佐世保バーガーをゲット。超ヤミー〉間髪入れず〈いいね〉マークが返ってきた。
ついに平戸大橋を渡る。茜は言っていた。「まず赤い平戸大橋を渡るの。そこが平戸島。渡りきって二つ目の信号を左折。三十分も走ると、次は青い生月大橋。渡ったところが私の愛するふるさと、生月島なのであります」茜は二つの橋を「心の宝」とまで言った。わかる気がした。この舘浦という漁師町が茜のふるさとだ。親しい人の故郷を訪れると、こんな気持ちになるのか。半分、自分のふるさとのような気持ちに。日の高いうちに、予約していた民宿へ到着することができた。
「よう、おいでましたな。素泊りでよかってしょ。今んうち、島ん西側ばドライブしてきまっせ。風呂ばためときますけん。たまがるごと、夕日のきれかですばい」
温厚そうなオーナーに勧められるまま、車にもどる。神戸で茜から平戸弁の特訓を受けたおかげで、オーナーが何を言っているのか、おおよそ理解できた。「たまがる」は基本語彙だった。島の北端の大バエ鼻で車を止めた。西の空が次第に茜色に、やがて茜が濃くなり、自分の肌を染めていく。これを見るだけでも、来た甲斐があった。茜さん、ありがとう。ラインで写真を送った。今度は号泣マークが届いた。民宿近くで晩ごはんに食べたアゴだしラーメンは絶品だった。
朝六時の集合時間より十五分早く、館浦漁協そばの海岸へ。道具は全部貸してもらえるので、手ぶらでよかった。まだ誰もいない。船の上にいた男性がをと芽に気づいて、下りてきた。潮焼けした筋肉質の中年だ。あの時、茜が電話で話していた人に違いない。
「おはよう。わーがが祷をと芽さんですきゃ? 茜から聞いとった。今日は楽しんでいきないよ。ばって、ずんだれんごつしよれば、がるけんな。そりが漁師ん真髄ぞ。よかね?」
「はい! よろしくお願いします」
あと二人、どちらも二十代とおぼしき女性が加わった。ひととおり作業の説明を終えた網元船長が「今日は三人だけけん、お互いに自己紹介しとったらどがんや」と提案。二人は平戸へ地域おこし協力隊員として赴任したばかりの凪沙と、番組制作のロケハンに来たという長崎のテレビ局の夏香だった。
漁船「ごっとり丸」は六時十分、船長の弟が操船しているもう一隻の「よかしこ丸」と同時に出航した。二隻ひと組でアゴを網に追い込む独特の漁法だ。早朝の大海原に響くエンジン音が頼もしい。船に染みついた油の匂いも悪くない。だが波は荒く、おのずと丹田に力を込めて自分を支える。「まっぽしアゴ風の吹きよる」と呟いた船員に「これがアゴ風なんですね。ところであの島、無人島ですか」と聞くと、「ああ、ありゃ中江ノ島っちゅうて無人島たい。キリシタンの聖地でな。関係なかもんの勝手に上陸したら、罰かぶるとよ」との答えだった。四方八方でアゴが飛んでいる。驚嘆すべき飛行距離。船長が大声で「そろそろ潮目ぞ」と叫んだ。船が停まった。
「ほうりゃ、網ば揚ぐるぞ」「よーし、引け引け」「ほうりゃ、わーがどんも加勢(かせ)せろ。今しかなかぞ」「そう、そがんすると。上等上等」「氷ば入れろ。そりゃはりゃせんか」
もはや誰が叫んでいるかわからないケンカ腰の声を聞きながら、をと芽ら三人は無我夢中で網を引いた。躍り跳ねる銀鱗に目を射抜かれるようだ。アゴ以外に数種類の魚も入っていたが、特に目を引いたのが頭の形が不恰好な魚。大漁に気をよくした船長が「こりゃシイラっちゅて、今売り出し中の魚じゃん。アゴば追うてさろくもんけん、こがんしてかかると。面はめんどかばって、うまかっつぉ」
お待ちかね、船上の朝餉。BGMは船腹をちゃぷちゃぷ打つ波の音だ。アジ、カンパチ、ブリ、メジロダイ、ミズイカなどなど別に用意されていた魚も含む刺身が乗った大皿が、車座のまん中にどんと置かれた。船尾で中江ノ島に向かって手を合わせてきた船長が「みんな、よう気張った。さあ、好(し)いたしこ食いない。ワハハーッ」と豪快に笑った。女三人とも今日の魚が人生で一番おいしいとうなずき合いながら、箸を進めた。凪沙は市役所で最初、中江ノ島の向こうに横たわる度島(たくしま)を「どしま」、的山(あづち)大島を「てきざんおおしま」と読んで笑われた、と言って笑わせた。夏香に「祷さんて珍しい名前ですね」と聞かれたをと芽は、ルーツの奄美には福、栄、祝、壽など縁起を担いだような一文字の苗字が多いことを話すと、全員に感心された。三人はラインのアドレスを交換し合った。下船まぎわ、網元船長に「わーが筋のよかごたるぞ」と褒められたのが、をと芽は何よりうれしかった。
帰路の車中、自分の中の何かが変わったように感じた。いつ以来だろうと考え、全神経を集中して網を引いたあの瞬間からだと思い至った。迷いあふれる半生が水平線の彼方にかき消えていた。目に見えない何かがすとんと腑に落ちたのだった。
神戸に帰ったをと芽は、その足で茜の店へ向かった。顔つきの変わった妹分がそこにいた。
「いい薬が見つかったみたいね」
「わたし決めました。漁師になります。網元船長に弟子入りさせてください!」「そうくると思って、私もいろいろ考えてたの。一人暮らしの父の介護もあるし、しばらくお店を店長に任せて一緒に生月へ帰るわ。漁太君には私からお願いしとく。一人前の漁師になるまで私の実家に下宿したらいい。心配事もあるだろうけど、をと芽ちゃんはをと芽ちゃんの人生を生きなきゃ。その方が、ご両親も安心するんじゃない? お互い諸々の準備をして年末に出ようか」
「茜さん…。わたし、頑張ります!」あの日の涙と違う涙を、をと芽は流している。
「私のここでの仕事はクリスマスくらいまでかな。来年の初夢は生月で見ようね。をと芽ちゃん、私の最後のお客さんになって。門出にふさわしいイラストを描いてあげるから」
をと芽はその夜、生月島で初夢を見ている夢を見た。夢の中の夢には、朝日を浴びながら、十種類の魚たちが描かれた爪で網を引く女が出演した。新しい自分だった。
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