
ポンコツ旅行記9 開けてくれ!
(ポンコツ旅行記8のあらすじ)
永遠で煩悩のないお釈迦様の浄土からその名を取った常寂光寺だが、紅葉真っ盛りとあってひたすら写真を撮りまくる外国人観光客に占拠され、煩悩にまみれたお姿となっていた。確かに傾斜地に植えられた種々の紅葉は見事で、多宝塔のあたりまで上れば人混みもかなり解消されたが、痛む右膝が許す限りの急ぎ足でこの寺を後にした。
次に向かったのは宝筐院。この寺は室町幕府二代将軍足利義詮の菩提寺であるがそもそもはその宿敵の楠木正行の墓所であり、その横にあとから義詮が墓を建てたというややこしい構図になっている。きっと調べたら面白い関係性が見えてくるのかもしれないが、『太平記』ミリしらの人間には全く分からないのであった。
ちょうど昼時となったので手打ちそばと創作料理で有名らしい「嵐山よしむら」へと移動する。人気店だが予約は承っていないそうなので直接店に行ってみると、タイミングが良かったのかそのまま席に通され、おいしいそばを堪能することができたのであったが、そこから見渡せる渡月橋あたりの人混みを見てオーバーツーリズムの恐怖を改めて感じるのであった。
おいしいお蕎麦と天丼で気力と体力をかなり回復した。ファストフードではこうはいかない。前半戦、予想以上に観光客が多いのと右膝の不安で押し気味の進行であったが、「よしむら」での実質待ち時間ゼロだったおかげでスケジュールの遅れを回復、素通りすることも考えていた天龍寺にも足を延ばすこととする。「日本初の特別名勝」に選ばれた世界遺産である、せっかくなら見ておきたい。とは言ってもさほど時間に余裕があるわけではないので本堂には上がらず、お庭をぐるっと回るコースを選択する。
実は天龍寺も高校のときの見学旅行で一度来てはいるのだが、全体研修で強制的に連れられてきておりその時は池にでかい鯉がいるなあと思った程度であまり印象に残っていなかった。しかし今回改めて回ってみると、さすが夢窓疎石作庭の庭、素人目にも見事なのがわかる。時間があればじっくりと観覧するところだろうが、時間もないし観光客も多いので、さっさと順路に従って回遊する。紅葉以外の植物にはベストの季節とは言い難かったが、いろいろな木や花が植えられていて飽きることがない。ただ惜しむらくは道路から天龍寺までの距離が長いので足を痛めている身にはちょっとしんどい。順番は逆だが、これで足利将軍初代、二代ゆかりの寺を回ったことになった。金閣にも行く予定なので尊氏-義詮-義満と直系三代まで制覇リーチだ。全く胸熱ではないが。
さてその慈照寺金閣だが、どうせ行くなら西日に輝くシャイニング金閣が見たい。せっかくの晴天でもあるし、これならいい塩梅であろう。ということで時刻的にもまだ2時ごろであるしこれまで庭ばかり見てきて京都にいながら文化財的な仏像を拝んでいないということから、嵐山から嵐電で移動できる太秦の広隆寺を目指す。有名な国宝弥勒菩薩半跏思惟像をはじめ、東寺には負けるが国宝級の仏像を多数拝観できる名所である。
嵐電、正式名称は京福電鉄嵐山線、だが、要するに京都市内を走る路面電車である。ところがこの嵐山駅は巨大な建物で、しかも軽食スタンドやお土産屋などが軒を連ねておりとんでもない人の数である。夫婦ともどもトイレを借りようとしたのだが、こういう駅の男子トイレであそこまで行列ができているのは初めて見た。そうなると当然女子トイレは地獄絵図なわけで、妻は1階のあまりの行列に業を煮やし、2階まで移動して用を足したそうな。オーバーツーリズムの恐怖ここにも、であった。

こんな立派な駅舎があるのだし切符売り場でもあるのだろうかと奥に進んでいくと、電車が止まっているホームがあるだけであり運賃精算は現金のみ。名称こそ「嵐電嵐山駅」だが、ショッピングモールの奥に電車のりばがあるというのが正しい。さすがにそれなりに混んではいたが席に座ることができて、今回の旅で電車に座れないということは一度もなかった。
太秦広隆寺電停で降りれば目の前が広隆寺である。迷いようがないのは良いことだ。
門をくぐって本堂でご本尊の聖徳太子様を拝みつつ、主目的である霊宝殿へ。価値のある仏像が多いせいか、美術館のように専用の建物を建てて陳列してくれているのだ。これを親切心というべきか商魂たくましいというべきか。実はここもまた自分が高校時代に自主研修で訪れているのだが、その時はまだ旧霊宝殿だったので新しい方に入るのは初めて。記憶がもはや不明瞭ではあるが、前より広く見やすくなったような気がする。ただ、仏像保護のため照明は非常に暗い。
素晴らしい仏像が多数並んでいるが、やはり切手にもなった弥勒菩薩像が白眉であろう。京大生が思わず指を折ってしまったというのもうなずけなくはない(本人はなぜ折ったか自分でもわからないと供述したらしいが)。ただ、高校生のときにはこんなはかなげで美しい仏像があるのかと思った記憶があるが、後に「法隆寺展」で中宮寺の弥勒菩薩像に見惚れてしまったので、自分の中の弥勒菩薩像美しさランキングでは第2位に格下げになってしまった。もっとも中宮寺の方は実は弥勒菩薩像ではないという説も聞いたことがあるけれど。
こんな素晴らしい広隆寺だが、嵐山での喧騒が嘘のように静かである。霊宝殿の拝観者は自分たち以外に2~3人、見張り役の坊さんはいるものの圧倒的に仏像の数の方が多い。写真撮影厳禁なので「映え」目当ての客が来ないのと、仏教美術に興味がない者には縁がない場所であるからであろうか。オーバーツーリズム対策のヒントが見えた思いがする。帰り道の参道でふと右手を見ると駐車場側の出口の先に大きな「天下一品」の看板が見えて大いに興をそがれたが、まあそういう街中にあるお寺なのだから仕方ない。
さあ、あとは金閣に行けば拝観先は終了となる。
ガイドブックでも乗換案内でも金閣への交通手段は普通はバス一択である。ただ今回は、自分が高校のときに北野天満宮へお参りに行った足でそのまま金閣へ行ったこと、観光地行きのバスは混雑が予想されること、バスで行ったところでバス停から金閣までそれなりに歩くこと、などを理由に嵐電+徒歩を選択することにした。
嵐電で最も金閣に近い終点の北野白梅町まで行きたいが、北野線は広隆寺の一つ前の帷子ノ辻で乗換である。電車で一駅戻ることも考えられたがさすがに料金がもったいない。路面電車なのだから線路に沿って歩いていけば着けるであろうと歩いて一駅戻ることにする。ところが、途中で線路が道路から離れて見えないところを通っていく。それでも、電車通りとは思えない狭い道の端っこを車に気をつけながら歩くこと10~15分、帷子ノ辻駅への案内看板が見えた。だがその看板は地下のショッピング街のものと一緒になっているせいで、なんとなく駅までが地下にあるように錯覚してしまった。だって阪急だって京阪だって今は市内では地下じゃないですか。そのせいでそのまま右に入れば駅だったのにふらふらと地下への階段を痛む右膝で3、4段降りたところで妻に呼び止められて初めて誤りに気付いた。そこから右足を引きづるように階段を上って駅に入ったらもう北野線の電車が入線している。足を引きづりつつ急いで電車までたどり着いたがかたくなにドアが開かない。え、乗せてよ乗りたいよと念を送るが非情にも電車はそのまま出発したのであった。ドア閉めた後でも出発前に客がドア前に立ったら開けてくれたっていいじゃないの(これは田舎だけで通用するルールか)。

しばし呆然とした後で振り返るともう片側にも電車が止まっている。客は誰もいない。乗務員らしき人物が降りてきて「どこ行きたいの?」と訊くので「北野白梅町まで」と答えると「さっきの電車に乗ればよかったのに」と言ってけつかる。乗せてもらえなかったのだと言ったらじゃあこの電車に乗りなと言って立ち去って行った。言われなくても乗るよ。それしかないんだから。
10分ぐらい待つ間にそれなりに客が乗り込んできてついに発車となる。きょうの日没はおそらく午後4時過ぎだろうから3時過ぎには金閣に行きたいが、さてここでのロスタイムがどう影響するか。そしてしだいに疲労の度を強める右膝の運命は?急げヤマトよイスカンダルへ。京都の日没まであと120分しかないのだ。