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次男について
なんだか内容や時系列がバラバラにってしまっているが、今日は次男の話。
コロナ禍で入学式だけを終え、しばらく学校は休校だった年代の、現在小2。
保育園の年少の年齢の頃から、集団生活ができていなさそうな感じをかもしだしていた。
年長時は立派にできたが、年中までは運動会は全滅(ずっと泣くかやる気なくダンス中に座ったりだとか)。
私は毎年担任の先生に聞いてきた。
うちの子は、先生から見たら発達障害の気がありますか?個性の範疇ですか?と。
スイッチさえ入ればやれる子なので、(ものすごく気分屋である)個性の範疇な気がしますと毎年言われてきた。
1年生の時の先生は、クラスの子1人1人の個性を把握し、クラス全体を良い方向、楽しく過ごす事に向けてとても努力しておられることが伝わってきた先生だった。
休校中、当時の新1年生は大量のプリントの冊子を渡され、各家庭で学習する事になっていた。
初めての緊急事態宣言下、校内の学童も特定の職種以外の人は子供は預けることができなかった。
幸か不幸か私は職場が病院なので、預けることができる方だった。(医師やナースではないですが)
「なんでこんなものをしなきゃなんないんだ!」と、学習に対し納得できない次男に、学童の先生方が本当にたくさんの声掛けや励ましをしてくださってきた。
まぁ授業すら受けたことがないのでわからなくもないが、宿題で苦戦していた年子の兄を君はずっと隣で見てきていただろ…と思いつつ。
休校明けには間に合わなかったが、ひらがなの練習はある程度出来た。ひらがなカタカナは保育園年長時で読みは確実にできていた。
カタカナの読みはポケモンのおかげである。ありがとうポケモン。
そして1年生が始まり、やはり授業に気が乗らない様子だったが、担任は「次男君は、出来る子です!気分のスイッチの切り替えがちょっと大変なだけで、出来る子です!特に頭の回転は早いです、算数得意ですね!」と言い切って下さった。
二学期からは、なんと何度か手を挙げ発表もしたと、先生がとても嬉しそうに報告してくれ、通知表にも書かれていた。
先生は気分屋で学校に気が向かない所を、1年生の時の先生は次男に「居場所」を作ってくれたからだと、私は思う。
「次男君はクラスのムードメーカーです!」と言ってくれていた。
休むと連絡プリントにはよくお世話や相手をしてくれる女の子達複数人からのメッセージが書いてあったりした(笑)
1度クラス内の男児と揉め事があったが、担任の先生は上手に話をまとめてくれたようで、すっきりと和解できたようだった。
とても良い1年生を過ごさせてもらった。
が、しかし
問題は現在。
次男は4月下旬、学校に行きたくないとランドセルを背負ったまま動かなかったのだ。
私もこの時既に色々な症状が体に出ていて不調であり、この日は次男を送り届け仕事は確か遅刻して行った気がする。
すぐゴールデンウィークが来て、ゴールデンウィーク明け、やはり「学校行きたくない」。
私はこの時フルタイム休職の寸前。
頭も回っていなかった。
毎日連絡帳と宿題のチェックくらいしかしていなかった。
ふと授業のノートを見てみる。
国語のノート、真っ白である。
4月半ば頃に個人懇談があったが、(あまり記憶にないが)そんな事聞いていなかった。
学習に取り組むのがなかなか難しい様子だけは聞いていたが、まさか1文字も書いていないなんて思ってもなかった。
どうすれば良いのか悩み、学校へ電話してみた。するととある先生が家まで飛んできてくれた。
そして、次男を納得し、一緒に学校に向かった。
2年になってから授業も教室から抜け出したりしているという事も、かなりたってから聞いた。
今までの長男の3年間、次男の1年時の先生方は、何かあるとすぐ連絡をくださってたので本当にびっくりした。
担任への不信感はこの頃からだんだん積み重なっていく事となった。
市の教育機関での医療相談の話が出ても、それについての説明もない。
学校内で決まった曜日、時間に授業とは別の「学習についての訓練」のような事をできるクラスがある、それはその市の教育機関を通さずとも学校内の会議で許可がおりると受けれるというのも9月に入り初めて知った。
その9月の電話も、報連相がなさすぎて担任に不信感しかないと、学童の先生と電話したそのすぐ後、担任の方から電話がかかってきて、(そういうとこやぞ)こちらから色々聞き出してようやく分かった内容である。
そしていつも強気な言い方をしてくるのでずっと様子をうかがっていたが、9月に入り、ずっとこれだけはやってきていたのに…算数のプリントがずっと真っ白になっていた。これについて何かこの電話で言ってくれるかな、と思っていたが一切触れてこなかった。
次男の、唯一得意な算数のプリントが真っ白。
ひらがなカタカナは「どうやって書くんだったっけ?」と宿題を見ている時に言われる。
出来ていたことがだんだんとできなくなっているのに、とにかく連絡がない。
9月下旬、授業見に来ますか?と担任から言ってもらえたので、あえて苦手な国語の授業を選び見に行った。
散々だった。
次男はずっと1人で工作をしていた。
近くの席の人と課題について話し、各自プリントにまとめ、発表という授業だったが、半数近くは席を離れ、ほぼ自由時間状態である。
クラスで飼ってる虫を観察しに来る子、関係ない学級文庫(絵本)を触りに来る子、カーテンで遊ぶ子、授業終わり前に折り紙する子…私は見える範囲で全て数えた。
担任はというと、真面目にプリントに書き込んでいる子への声掛けがほぼである。
ただ遊んでいるように見える子へ、授業に興味を持ってもらおうとする姿は見られなかった。
ちなみに次男には授業終了10分前に声がかかったが、もうそんな時間に声をかけても聞く耳持たずである。
ちなみに補佐のような方、実習生であろう大学生1名が入ってもそんな状態である。
1人黙々と工作をする次男。
こりゃ居場所ないよな、と私は思った。
そして放課後、今まで大人しくしていた(つもり)の私は大爆発したのである。
「今日の授業、胸張って保護者の方に見せれるって自信あります?」と1番に聞いてみた。
そして答えが「授業参観では、あのような形式の授業はしないので。」
…もう第1歩からすでに会話が成り立たない。
そうじゃないそうじゃない。
結局事細かに授業やクラスの雰囲気への指摘を具体的な数も出し伝えていくと、いつも強気な担任が初めてすみませんと言った。
他に2名、学校内の「学習の為の訓練」を行うクラスの先生方2名も同席しており、結局市の教育機関についてや今後の事はそちらの先生方からきちんとした説明があった。
資料も作ってきてくださった。
もうこの日は週末だったので、土日ショックや怒りのあまり私は寝込んだ。
そして今日。もうすぐしたら待ちに待った市の教育機関の医療相談である。
小児科医が話を聞き、学習についてのアドバイスをくれるとの事。
担任、今日までに準備しといた方がいいもの等連絡くるのかな、と思ったが、やはりこなかった。笑
自分なりに準備したが、最近引越しをした所で去年との差を比べれる物を少し処分してしまった。
でもとりあえず比較できそうな物は準備し、ふせんを貼ったりした。
ここには書ききれない事はたくさんあるので、きっと後々記していこうかなと思っている。
行ってきます。