私とアクセシビリティ
この記事はfreee DEI Advent Calendar 2024の20日目の記事です。
こんにちは、伊原力也 / magiです。freeeではデザイナーをやりつつ、Webアクセシビリティの推進に取り組んできました。また社外でも、いくつかの会社のアクセシビリティ改善に取り組んだり、アクセシビリティ向上サービスの開発のお手伝いをしていたりします。最近はモバイルアプリアクセシビリティ入門という書籍を共著で出しました。
そこそこ長いあいだアクセシビリティ向上に関わってきたわけですが、イベントの懇親会などでよくいただく質問として「なぜアクセシビリティを推進しようと思ったのですか?」というものがあります。今回のテーマが「私とDEI (Diversity, Equity & Inclusion)」なので、自分自身の動機について考えてみます。
ネットワークとの出会い
一番最初のきっかけはなにかと考えると、それは中学生のころにパソコン通信をやりはじめたことでした。
当時の私は典型的なやる気のない学生で、閉塞感や無力感を抱えながら学校をサボってゲームセンターに行っているような状態でした(バーチャロンをやりこんでました)。そんななか、家族がパソコンを衝動買いしたことをきっかけに、ゲームの攻略情報を得られるかなと思ってパソコン通信を始めます。これが私にとっては大きな出来事でした。
テキストのみでのコミュニケーションですが、テキストだけなのに相互理解ができたように感じるのが新鮮であり、またその制約によって創意工夫を促されるような感覚もありました。自分よりも年上のゲーム友達ができたり、学校以外にも同年代の知人・友人ができたりしたことで、閉じこもっていた自分の認識が広がり、世界は思ったよりずっと広いということを知るきっかけになったのです。
Webとの出会い
パソコン通信をはじめてしばらく経ったころ、インターネットが普及しはじめました。
Bekkoameというプロバイダと契約し、Webブラウザ(Internet Explorer 3)を起動してみると、これまでとは違った、レイアウトやビジュアル表現を伴った画面が現れたことに驚きました。そうした表現やコンテンツが、特定のまとまった単位、つまり「Webサイト」として提供されていることにも興味を持ちました。見やすいサイトもあれば、見にくいが何だか惹かれるサイトもあり、いろんな形があっていいという自由さに好感を持ちました。
Yahoo! JAPANやリンク集などからサイトを探し出し、そのサイトの見た目や演出を楽しみながら、なかのコンテンツを読み漁り、掲示板やチャットに少し書き込んでみる。それが私の生活の大部分を占めるようになりました。
当時のプロバイダにはWebサイトを公開できるスペースがついていました。ということは私もサイトを作って公開できるわけです。いままで訪問してきたサイトのソースや、作り方を説明してるサイトなどを参考に、見様見真似でページを作ってみました。GIFアニメでちょっとかっこいいロゴなんかも作ってみました(いま思い出すと、チラチラして邪魔でした)。
内容は自己紹介と日記と掲示板ぐらいしかありませんでしたが、自身の居場所が作れたようで満足感がありました。アクセスログで訪問者がいることがわかり、知人が掲示板にコメントを残してくれたりもして、なんだか喫茶店の店主にでもなったような気持ちでした。
HTMLとの出会い
サイトを成り立たせるためにコンテンツが必要だったので、読んでいた小説の文体を模写した日記を書いていたのですが、それにはなんとなく違和感がありました。自分はどうやら中身を書くことよりも、Webサイトという構造や表現のほうに興味があるようだと気づき、その点での情報集めに主軸が移っていきました。この知識を獲得する行為自体がゲームを攻略するような感覚であり、楽しくネットサーフィンしていた記憶があります。日記の中身もだんだん技術ブログみたいになっていきました。
そして、サイトの作り方を調べていくうちに、やがて「HTMLには仕様があり、正しいHTMLの書き方がある」という情報にたどりつきます。HTML鳩丸倶楽部や娘娘飯店しるきぃうぇぶ、そしてHTML4仕様書邦訳計画を見ながら、HTMLが目指している「情報構造と表現の分離」という概念を知ることになりました。同じころにスタイルシートWebデザインを読んでCSSを知ったことも、その理解の後押しになりました。アクセシビリティという言葉を知ったのもこの頃です。
これは私にとって大きな発見でした。Webを成り立たせている標準があり、その標準が見定めている対象者は果てしなく広い。私はHTML4.01の仕様書から、あらゆる人が参加できるしくみにするというWebの強い意思を感じました。
こうした理解をもとにしたWebサイトを作ってみたいと考えた私は、友人の紹介により、Web制作をはじめとしてデジタル絡みなら何でもやる会社にアルバイトとして参加します。仕事でのWebサイト制作がはじまりました。
制作会社との出会い
当時は、まだブラウザのレンダリングエンジンが不安定であり、またブラウザ間での表示差異が大きかった時代です。まともなHTMLやCSSでサイトを作ろうとしても、表示崩れが起きやすく、成立させることに難儀しました。ブラウザをハックする技術がなければ、表示を安定させられなかったのです。加えて、HTMLやCSSの知識も知る人ぞ知るという状況であり、メンテナンスできる人材も少ない状況でした。
そのため、Webの持つ本来の力を活かしたいという人が集い、のちに「Web標準の推進」と呼ばれる活動に日夜取り組むという、ある種のコミュニティ運動みたいな状況がありました。私は作ったサイトのURLを2ちゃんねるのスタイルシートスレッドに貼り、そこで同じ志を持つであろう人々と品評し合うことを明日への糧としていました。
そんななか、2ちゃんねるでのkotarokという知人から、会社ぐるみでWeb標準をベースとした制作に取り組んでいる会社が日本に存在すると教わりました。それがビジネス・アーキテクツ(bA)でした。bAでは定期開催されるパーティがあるということで、私とkotarokはその場に訪れます。そこには、森田雄さん、太田良典さんをはじめとした、自身がサイト制作をするうえで参考にしていた先輩が多数おり、緊張と興奮で頭が白くなっていた気がします。
紹介してくれたkotarokは一足先に入社し、私も2年ほど後に入社します。bAで最初に関わった案件では、HTML鳩丸倶楽部の太田さんと一緒に実装することになりました。また、同じ年には娘娘飯店しるきぃうぇぶのありみかさんもbAに入社しています。
改めて、この会社ではWeb標準で作ることが当然であり、それが日本のWebのフラグシップを作ることであり、品質のベンチマーク対象となることを自ら引き受けているのだと理解しました。身震いする思いでしたが、同時に自分の興味に対して制限なしに取り組んで良い環境でもあり、晴れやかな気持ちだったことを覚えています。
ユーザーとの出会い
これまでも、Webサイト制作の中でアクセシビリティは気にしていました。仕様に沿ってHTMLを書き、CSSやJavaScriptを適切に使うことで情報構造と表現が分離でき、その表現を変えることで選択肢が広げられる……ということは頭では理解しています。しかしそれが何をもたらすのかは、あくまで理論上での理解に留まっていました。そのほうが良さそうだからやる、ぐらいの浅い認識だった気がします。
そうしたあいまいさを打ち払うできごとが、bAに入社した2004年に起こります。bAでは外部の専門家を呼んで話してもらう社内勉強会がたまに行われており、そのひとつとして全盲エンジニアの中根雅文さんによるスクリーンリーダーの実演会がありました。HTMLを直接のインターフェースとしてWebページのコンテンツや状態を読み取り、音声だけで内容を理解してナビゲートしていく様子に、当時の私は大いに驚きました。
このできごとによって、Web標準が目指すところと、その結実した結果をはじめて体感として理解できたのです。それが使えるものになるか、あるいはまったく使い物にならないものになるかが、自分がどう作るかによって変わってしまうのだ、ということを。これは大変な衝撃であり、アクセシビリティの概念が私の中に完全に根付きました。誰もが利用の選択肢を得られる設計・実装を目指すこと。それがWebの意思を体現することであり、自身がやりたいことでもあると、強く思うようになったのです。
なお、このときにスクリーンリーダーのデモをしてくれた中根さんは、紆余曲折あってfreeeでの同僚になり、いまも同じチームで働いています。
書籍出版との出会い
bAでの仕事を続けていく中で、私は情報アーキテクトとして働くようになっていました。高い品質のWebサイトやWebアプリを作ろうとすると、それを前提とした要件定義を行い、情報設計時点で適切な構造を描けている必要があると感じたからです。運用時の品質維持の観点でも適切な情報構造とガイドラインが必要であり、それは情報アーキテクトの仕事でした(このあたりはいまのデザインシステムの議論と一緒ですね)。
そんな折、同僚の太田さんから、書籍の共著のお誘いをもらいました。首相官邸サイトリニューアル、しかしすぐに再リニューアルが必要という記事が出版社の編集担当(ボーンデジタルの岡本さん)の目に止まり、「Webアクセシビリティの誤った認識を払拭する、実務で使える入門書」を作ろうとなったのです。アクセシブルなサイト作りには適切な要件定義や情報設計が欠かせないので、そのフェーズに携わっている私に声を掛けたとのことでした。
そこから3年ほどの月日が流れ、なんとか『デザイニングWebアクセシビリティ』の出版にこぎつけます。2015年の夏のことでした。さらに1年掛けて電子書籍版も作成しています。ことの経緯はかなり長くなるので、スライドをご覧ください。
また、『デザイニングWebアクセシビリティ』を補完する目的で、マークアップやWAI-ARIAの解説書である『コーディングWebアクセシビリティ』の監訳も並行して進め、こちらも試行錯誤しつつ、同時期の出版に至りました。
私が「アクセシビリティの人」として認知されるようになったのは、おそらくこのあたりからです。実は、私の自己認識はいまだに情報アーキテクトなのです。そのうえで、今もあまり知られていないWebアクセシビリティという分野を一般化することは、今後の情報環境を作るうえで欠かせないと考えており、活動を続けて今日に至ります。
出会いのアクセシビリティ
「なぜアクセシビリティを推進しようと思ったのですか?」に対する回答としては、このあたりまでで十分に理由になりそうな気もします。しかし私は、これらのできごとはきっかけにすぎないと感じています。
ここまで書いた通り、私の人生は偶然の出会いとWebの存在によって成り立っています。では、この出会いは、求めれば誰のもとにも公平に訪れるのでしょうか?
パソコン通信をはじめるにも、ネットサーフィンをするにも機材が必要であり、それらを操作できる必要があります。使い方を学ぶには説明書や雑誌や参考サイトが閲覧できる必要があります。
Webサイトを作るにしても、HTML・CSS・JavaScriptを学ぶための教材にアクセスできたうえで、エディタが操作できて、公開サーバーにファイルを転送できる必要があります。思った通りの表示になっているかをチェックしたり、エラーの確認と解決したりといった対応も必要でしょう。
Web制作会社に就職するには、履歴書や職務経歴書を書き、ポートフォリオを作る必要があります。面接でリアルタイムに受け答えをする必要もあります。就職後は、会社が定めている業務ツールを使ってチーム内やクライアントとのやりとりを行う必要があります。書類でのやりとりがあれば、その中身を見たり編集したりする必要もあります。
ユーザーに会うイベントがあったとして、そこに参加するためには、物理的な移動手段を講じたり、参加時にコミュニケーションが取れる手段を考える必要があります。イベントでの投影内容や発話内容を受け取るにも、その情報にアクセスできる手段が必要です。
書籍を出版しようとしたら、出版社と企画を考えたり、執筆した原稿をやりとりしたり、イラストのラフ案を考えて発注したりといった作業が必要です。それらは就労時と同じく、執筆チーム内で定めたツールによって共同編集していくことになります。
私自身は、これまでは大きな問題なく上記のことを実施できたので、いまこの文章を書くことができています。しかしそれは間違いなく特権だったと言い切れます。
ハードウェアやソフトウェアの問題であったり、言語や教育や環境の問題によって、上に挙げたことがそもそもまったく不可能である状況が存在します。辛うじて実施できるとしても、著しい努力が必要だったり、常に誰かの補助が必要になったりするケースもたくさんあります。
そこには数限りないアクセシビリティの問題が、いまも確実に残り続けているのです。
私とアクセシビリティ
私の人生は偶然の出会いとWebの存在によって成り立っています。Webで学び、Webで何かを作って発信する。それで自分が変わり、周りも変わっていきました。物理的にはほとんどデスクに向かい続けているだけなのに、その活動の繰り返しで、私の前に広がる景色は変わっていったのです。それはとても楽しく面白いことです。Webがなかった人生はまったく想像できません。
だからこそ、できるだけ多くの人に、同じ機会が訪れるようにしたいのです。誰もが機会に出会い、自らを発信できる可能性を作る。Webならそれができるはずだし、それがWeb自身を作っていくことになる。私はそのように考えています。
私がfreeeでアクセシビリティ推進を続けているのも同じ理由です。スモールビジネスを営む人が、独力で業務を行えるようになることで、自身の考えをビジネスを通して発信していく土台が作れる。それを個人事業主であり視覚障害当事者である中根さんや伊敷さんという存在が体現していたことが、7年前にfreeeに入社を決めた背景です。
そして、これは明日の私のためでもあります。気がつけば人生も後半のページ。自分自身ができるだけ長く働きながらWebと関わり続けたいのならば、いまこの時点からアクセシビリティを当然のものにしておかなければならないと感じるのです。
今回、「私とDEI (Diversity, Equity & Inclusion)」というテーマで、「なぜアクセシビリティを推進しようと思ったのですか?」に回答してみました。私は、みなさんの「なぜアクセシビリティを推進しようと思ったのか」も、ぜひ聞いてみたいと考えています。機会があればお聞かせいただければうれしく思います。