『お皿』が割れた
私がまだ就学前の頃、
ある日、近所の幼馴染みの家の納屋で
同じような年の子たち数人と遊んでいた。
納屋は、最近ではあまり見なくなったが
農家にはたいていあるもので、
母屋とは別棟で建てられた
骨組みだけの質素な物置き小屋だ。
天井の太い木の梁もむき出しだった。
そこには農作業用の器具や道具、
収穫された野菜などが収納してある。
その日は、剪定で伐採されて
束になった果樹の枝が
ピラミッド状にうず高く
積み上げられていて
私たちにとっては
格好のジャングルジムと化した。
代わる代わる、
その束をよじ上っては飛び降りて
誰が一番遠くまで跳べるか、競い始めた。
自分の番になって、
私は束ねられた枝をつかみ
思い切っててっぺんまで登りきると
バランスを取りながら立ち、
両手を思いっきり振って飛び上がった。
その瞬間、
ガーーーン !!!!
低く太い、大きな音が納屋中に
響き渡るのと同時に
私の頭のてっぺんに、にぶい衝撃と、
目の前にはたくさんの星が飛び散った。
眼球が飛び出したんじゃないか
と思うくらいの衝撃だった。
飛び上がりすぎて
私の頭は、納屋の中央の
一番大きな梁に当たったのだった。
私は飛び上がった勢いの
倍のエネルギーで真下に突き落とされ
束の小山から転げ落ちた。
転げ落ちる私の後を追うように
束の山もガラガラとなだれを起こし
納屋の中はめちゃくちゃになった。
家の人に怒られる !! 逃げろー !!!
みんな納屋から飛び出し
散り散りになった。
脳天に走る痛みを必死にこらえ
私もよろけながらその後を追って走った。
家に帰ってからも
頭のてっぺんの痛みは
ジンジンと大きさを増していく。
患部がどうなっているか、
確かめたいのだが
付近の髪の毛に指で
ほんの少し触れるだけでも
飛び上がりそうなほど痛くて
触れることもできない。
我慢して我慢して
痛みをこらえながら夕方になって、
少し治まってきたところで
ズキズキとうずくその部分に、
恐々、指を当ててみた。
するとそこには熱を帯びた
こんもりとした大きな膨らみがあった。
人の体がこんなに変形していいものかと
激しく動揺した。
しかし、納屋を荒らしたことが
知られて怒られる、
そのことの方が私にとっては重大で
「たんこぶ、痛い」とは
どうしても大人には言えず、
ひたすらじっと我慢しているしかなかった。
その頃、お風呂はほぼ毎日のように
祖父と入る日課になっていて、
いくらお湯が熱いといっても
水でぬるめてくれないし、
きつくしぼったタオルで
ゴシゴシと力任せに私を洗うので
祖父と入るのはいつも嫌々だった。
絶対、今日だけは一緒に入りたくない!
そう思うものの、
ついに拒む理由が思い浮かばず
せかされ、促されるまま
「まな板の上の魚」状態。
案の定、シャンプーのために
頭からお湯をかけられて大絶叫。
どんな遊び方をして
こんなところにたんこぶが出来るのかと
私のお転婆ぶりや注意力の無さについて
さんざん祖父に小言を言われ、
痛いやら、悲しいやらで
泣きわめきながら入浴を終えた。
お風呂から出て
うずくまる私の患部に
軟膏を塗りつけたガーゼを
貼りつけながら祖父が
「皿が割れたら河童も
海に流れて戻れんようになるんだぞ」
と怪しげなことを言った。
河童?
頭のお皿って、何?
お皿が割れた河童はどうなるの?
戻れなくなっちゃうってどこに?
私の頭にもお皿があったの?
私のお皿、割れちゃったの⁉
泣き疲れて眠ってしまったのか
その疑問を尋ねた記憶がない。
後に、
身体にはチャクラという
エネルギーのポータルがあると知る。
第七チャクラと呼ばれる
その位置を見て
頭のてっぺんの大きなたんこぶを
思いだし、苦笑いした。
当時、子供たちに大人気だった
ドリフターズのいかりや長介じゃないが
「だめだ、こりゃ」
って感じだった。
しかし第7チャクラの悲劇に次いで
更に
第6チャクラの惨劇が待っていることを
まだこの頃の私は知るよしもない。
中身のないお話でスミマセン。
では また…