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『自分の使命がわかる方法』ですって⁉

キンキンに冷えたグラスに注いだ黄金の液体。
ひと口目が喉を滑り落ちた瞬間に「yes!」と思えたら、今日の自分の使命を果たせたということだ。

自分にcongratulation!

なんつって。






仏教の法話に『三尺三寸箸』というのがある。

テーブルの上にはご馳走がたくさん並んでいるのに、みんなやせほそった険しい顔つきの人々が座っています。誰もそのたくさんの食べ物が一口も食べらないからです。なぜなら用意されている箸があまりにも長いので、その箸が隣の人に当たってしまって口論になったり、何とかつまみ上げてもうまく口へ運ぶことが出来ないからです。
いつまでたっても飢えが癒されることはなく、いつまでも争いごとが絶えない世界。

一方、同じ状況にあるのに、みんな満ち足りて穏やかな表情で食事をしている人々がいます。
誰もがその長い箸を使って、「どうぞ」と、自分以外の人へ食べ物を運び合っています。
そこは飢えに苦しむ人も、争う人もいない世界。


私欲と利他について説かれたもので、『地獄と天国』を説明するのに使われたりもする。

『長い箸』は誰でも持っているもので、人の役に立ったり、誰かを救ったり、逆に傷つけたり貶めたりするかは使い方次第だと私は思う。
それがポジティブな事象になるものを『才能』とか『長所』と言えるのかもしれない。
そして、使命のヒントもくれているように思う。



私は自分の使い方がよくわからない。
どんな才能があって、どんなところが長所で、何をどう活かせばいいのかピンと来ないまま、右往左往した半生だった。

だから、自分の長所や特技を活かして、社会の役に立てている人をいつも羨ましく思っていた。
『自分に出来ることなんて何もない』というコンプレックスを抱えていた。

しかも『長所』なんていうから、人より優れているところだと思い込んでいて、『才能』なんて言葉で表現するから、大谷翔平や藤井聡太みたいなスターをイメージして上ばかり見上げてしまう。

ところが、『どんなことに気が向くか』『何をしていると楽しいと思えるか』に言い換えてみると、日常の中にけっこう落ちていることだったりする。
なんだ、自分の目線が自然と向いた手元や足元を見ればよかったのか、みたいなこと。

自分がそれについて苦にならないこと。
苦にならないというか、自然に出来てしまっていること。それが楽しい・面白いと感じることならもう絶対それでいい。それなのだ。

好きな事や楽しいことはまあまあわかる。苦手なことやイヤなことも。
でも私の問題は『自分の使い方』だった。
人さまのために自分が役に立つなんて、具体的にどうすればいいのかというやり方がわからない。

人のお世話をすることが好きだからといって、介護や子守りが向いているとは限らないし、自動車が好きだからといって整備士に向くとは限らない。

私の『楽しい』『面白い』をどこで使えばいいか全然わからなかった。いくら考えてもわからないから、同じことをとりとめなく考えては日が暮れて、朝が来て一年経って10年経って、20年経って。

でも振り返ってみると、けっこう私は人の役に立っていたとわかる。仕事や与えられた役割ばかりではなく、日々の何気ない行動や会話の一つだったりホントに記憶の隅にも残っていないような些細なこと。
どれも全部自分が意図していないことばかり。

使命って、『風が吹いたら桶屋が儲かる』みたいなことなのだと思う。自分ではあまり認識できない。
バタフライエフェクト』ともいうようなこと。

自分の知らないところで、自分のやった『ちょっとした何か』が、波及して誰かの役に立っている。

自分には何の才能も使命もないなんて卑下することはない。
自分の使命は自分にはわからなくていい。
だって、本人からは見えないところで意味を成しているのだから。

だから、『気が向いたから』『なんか面白そう、楽しそうと思ったから』でいい。

あえていうならルールは一つ。
自分を価値がないとか無能とか、自分で決めてはいけない。
自分が自分をジャッジしないことが肝心。

自分の味方はぜったいに自分じゃないと使命は発揮できない。


自分が『楽しそうだな』『やってみたい!』と思っても、誰かにとって迷惑なんじゃないかとか考えて気おくれしたり、躊躇してやめてしまうことは少なくない。

謙虚さという大義名分で、いつもそういうことを気にしてやりたいことの半分も行動していない気がする。

『こんなこと、何の役にも立たないや~』と言い訳してやめてしまう。
でも、それが自分の言い出したことじゃなくて他の誰かだと乗っかってやれたりする。

誰かが動いてくれるまで自分がやらない。
『自分なんて、どうせ』が理由で。

そうして使わないまま『自分には何もない』って嘆いている。

それで『結婚しようって言ったのはあなたの方よね⁉』みたいな、自分の逃げを用意しておきたいとか、『ほーらやっぱりね』と自分が傷つかないようにしたいとか、ないだろうか?

だとしたら、自分はなんて厄介なお荷物を、いつまで背負って歩くつもりだろう?

三尺三寸の自分の箸を使わないままで、使命なんて見つからないに決まっている。







脈絡なく、うだうだ書いてしまったけど、語らずとも理解してもらえる仲間がnoteには多く集まっていると思う。

その中でも際立つ優しさを持つ彼女が今年二回目のコロナ罹患で療養中なのに『昼寝したら夜ぐっすり漏れ安心で眠れないでしょ』とスタエフに引っ張り出して喋らせるという、下手するとご批判浴びかねないことやってみた。

だって、たまたま私も時間あったんですもの。
注)「偶然」は「必然」

来世、この人の子供に産まれたい。
シャチの親子でもいい。何なら卵で産んでくれてもいい🐓


今、私の周りではデトックス状態にある人が多い。
だから、伝えたかった。


自分は何も出来てないし、何も持ってないと思えて辛かったりするかもしれないけど、あんた、めっちゃ誰かの役に立ってるで!

少なくとも私にはね!!!




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