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お墓参りと自業自得のトラウマ

今年もお盆がやって来た。

お盆と言えばお墓参りだが
いつも起こるある事象と
過去の記憶を
もう耐えきれないので吐き出してしまう。


父のお墓に行くと必ず
カエルが墓石に止まっている。

緑色の、小さなアマガエル。

どんなに強い日差しの下だろうが、
熱く焼けている墓石に
ちょこんとカレはいる。

墓石周りの草をむしっている間も、
墓石をたわしでこすっているときも
カレはじっとして動かない。

まるで意思を持って
「わしゃ、動かんぞ」といったふうに。

春のお彼岸にも必ず出会う。


私はカエルが苦手だ。

見た瞬間に震えが来てフリーズしてしまう。
動悸も上がり、息も止まりそうになる。
(※なので画像は一切使わない。)


4~5才の頃、
保育園から徒歩で帰る途中
田んぼから聞こえるアマガエルの鳴き声が
どうしても気になって
田んぼのあぜ道に下りて
夢中になって彼らを追い回した。

そこら中、緑色の彼らはわんさといた。

追い回すだけにしておけばいいのに、
全部取ってやる勢いで拉致した彼らを
肩から下げた黄色い通園バッグに
どんどん入れていった。

数匹どころではない。
弁当箱や連絡帳が詰まった上に
押し込むだけ押し込んで
さらに
サイドポケットにまで詰め込んだ。

そうするうちに気が済んで
家路についた。

子供なので、家に着く頃には
すっかり彼らのことを忘れて
外に遊びに行った。

夕方、通園バッグの中に入れたままの
空のお弁当箱を取り出そうとして
サイドポケットからちらりとのぞく
緑色の足に気づく。

ポケットの端をつまんで
そっとそこをのぞいて見た光景に
ようやくおのれの稚拙すぎる罪を知る。

子供は無邪気で残酷だ。

むき出しの好奇心だけで生きている。

私は見てはいけないものを見たという怯えで
バッグをそのまま放置して
その場を離れた。

その後、バッグを開けた大人たちの騒ぎは
想像に易い。

【アマガエル 拉致監禁 大量殺害 遺棄事件】

犯人は祖父に伴って風呂へ逃亡。


以来、カエルは苦手だ。


自分の罪を棚にあげて更にいうが、
私はカエルが恐ろしい。


なのに、

墓参りに行くと
必ず「彼」はいる。

正視できない。

あの記憶がまざまざと浮かんで
平常心ではいられないが
私以外、もう誰も
あの半世紀以上前の惨事を覚えていない。

なので私も素知らぬ顔で
「彼」を無視することにしている。

じっと動かない緑色の「彼」は
今年もいた。
やっぱり、いた。

「やあ、来たね」
私にはそんなふうに聞こえる。


蝉の喧騒、
じりじりと焼け付くような日差しの下

乾燥しきった熱い墓石に
「彼」はいつものように貼りついていた。

胃が裏っかえりそうな自分をだましだまし、
私は草をむしり始める。

「あら~、今日も待っててくれたんかあ ♪」

墓石に張り付いている「彼」に
母が嬉しそうに声をあげる。

「近くに水場もないのに、
どうやってここまで来るんでしょうね?」

義妹も不思議そうに答える。

「いっつもおるよなあ!」
甥っ子もアマガエルに水をかけて遊ぶ。

「ひからびたりせんのかなあ」

弟も能天気にカエル話を引っ張る。
どうでもいい知識を語ろうとしている。
(続けるな、止まれ。)

「知っとる?アマガエルってよ~・・・」
(引っ張ってんじゃないよ!)

アマガエルのトリビアは要らない。


「・・・」

私だけがひたすら沈黙を守る。

みんなとは違う視線のまま、
だらだらとしたたり落ちる汗もぬぐわず
草をむしる。


そんな私たちをよそに「彼」はじっとしている。


私の無心を装う草むしりを
気配で見ている。


「君の’一件’については代々、聞いているよ」

まさかそんなことを語りかけて来るのではないかと
私は怯えながら草をむしる。


アマガエルについて補足
カエルはスピリチュアルな解釈では
「幸運・金運の象徴」であったり、
特に、アマガエルがお墓にいるのは
「墓守」と言われたり
「先祖のメッセンジャー」とも。

むごいことした「彼」すごく良い存在なのよね。。


ご遺族(緑色の彼らしかり)の皆様へ
合掌。


今日はこの辺で。







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