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翼(はいらないんで、つける薬)を下さい。

20代の頃、通勤にJRを利用していた。

その日も、いつものように
仕事を終えて駅に向かっていた。


特に急いでいるわけでもなく、
考え事をしているわけでもなく

むしろ、何も考えず、
まっすぐ改札に向かって歩いていた。

ほぼ無心、、だったと思う。



私は歩く速度が一般的な女性の
それより早い方だと思う。

速足というわけではないが、スタスタと大股気味に
割と勢いある感じで歩く。


当時通っていたスポーツジムで
測定したときは
平均時速5.5㌔はあったと思う。


この速度で私はある障害物にぶつかった。

実験用人体模型の乗った車が壁に衝突する、
自動車の耐久テストみたいに
私は見事に真正面から突っ込んだ。

「ある」と思っていないから
まったく躊躇もない。


私がぶつかった「障害物」は
駅構内、改札前にある太く丸い巨大な石柱。

駅が建設された当初からある。

というか、
それがないと建物自体が成り立たない支柱だ。

直径2メートルくらいある。

毎日目にしているはずのもの。


その日に限って
どうしてそれが目に入らなかったのか。
自分でも不思議でならない。


スタスタ突進し、衝突のその反動で
後ろに軽く飛ばされて尻もちをついた。


一瞬目の前が真っ暗になった。

私には何が起こったのか
把握できなかった。


ああ、柱にぶつかったんだ。
柱、、あったんだ・・・


事実を認識するのに少し時間を要したのは
脳が「クライシス」を感知し、
電気信号を一時、遮断したのだと思われる。





5歳の体験で過去に実証済みなのだが
漫画やアニメなどの衝突シーンで
目の廻りに星が飛ぶのが描写されるように

「やっぱり星が飛ぶんだな~」

と、クラクラする頭で
小さいあの時と同じように
ぼんやりそう思った。

そう思いながらしばらく放心。

それから我に返り、辺りを見まわす。



夕刻の帰宅ラッシュの駅は
たくさんの人が改札へ吸い込まれて行く。


私に気を止める人も
立ち止まる人もいなかった。

みんな、早足に通り過ぎて行く。


見て見ぬふりかもしれない。
優しさなのかもしれない。



そう思わないと切ない…





目の前のチラチラ飛び散る星が
薄れるのを待って私は立ち上がり、

おでこに走る痛みに耐えながら
何事もなかったかのように、
平気なふりして改札へ向かった。



翌朝、懸念は的中し
夕べの忌まわしい思い出が
私の額中央にしっかり刻まれていた。


人の身体ってこんな色にもなるの?
ってくらい、
そこは高貴な赤紫色に染まっていた。



それをファンデーションと
前髪で目一杯、隠蔽を図り出勤するも、


「おはよう! 
あれっ⁉ たんこぶ!どうした⁉」


私と目を合わせる職場の同僚たちは
額の高貴な刻印を次々に発見していく。


きかれるままに私はしぶしぶ状況を説明する。


「なぜ、鼻へ被害が及ばなかったのか」について
余計な見解を述べてくれる上司もいた。

私は職場の人たちの反応に
ただ、へらへらと力なく微笑み返しした。

「人は目の前にいつも存在するものさえ、
時に見ていないってことですよねー?」

「あっ、人は~じゃなくて、私、ですねー
ははっ、すいません」


呆れられている空気に耐えられずとはいえ
痛い思いをした自分が
周りになぜ謝っているのかわからなかった。

それにしても。

巷での認知度も高くなった「守護霊」とか
「指導霊」と呼ばれる存在、
そんな存在が私にもいて、

これが彼らからのメッセージだとすれば


「しっかり目の前にあるものを見ろ」

そういうことだったのかもしれない。
実にわかりやすい。



けれど、
だとしても、
ちょっとサディスティックではあるまいか。

出来れば、
ぶつける前に知らせてもらえないものか。


・・・いや、もしかしたら
「何度も教えてんのにお前が気づかないから~!」と
アタマを抱えていたのかもしれない。


あ、それで頭をぶつけた?


私は5歳の頃にも
脳天に大きなたんこぶを作った忌まわしい思い出がある。


チャクラと言われる、
人のエネルギーが集結し、出入りをしている場所がある。

身体には何か所もこのチャクラと呼ばれる場所があるのだが、
その中でも主要なものが7つあるとされる。

※身体の一番てっぺんにあるのが第7チャクラ
 5才ですでに損傷済み。

そして眉間には第6チャクラがある。

別名「サードアイ」とも呼ばれ、
お釈迦様のように悟りの境地に至ることを
「開眼」
つまりこのサードアイが開いた状態にあるといわれる。

物事をじっくりと観察し、その本質を理解することを司る
といわれるこの第6チャクラ。

この位置を私は粗末にも
壁に思い切りぶつけて損傷した。

私は5才にして第7チャクラを潰し、

今度はサードアイを思い切りぶつけて
知らされたにも関わらず

そんなメッセージ台無しな生き方は
それからも変わらなかった。


バチ当たりとは私のことである。

なら私は一生、悟らんでええしと
開き直る始末なのだった。

 


また中身のないうっすい話を投稿して
すいませんでした。


では また。














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