7月7日の「いつも応援してくださる皆様へ」
2009年7月5日、まだまだ陽が高い西武ドームはやはり蒸し風呂だった。
西武線の乱れにより試合開始時刻は15分遅れの16時15分。9回裏2死満塁、背番号「7」のクローザーが登場。突如現れたサブマリンがバッターを三振に切って取ったところで、軽やかなイントロが流れ始める。
はじめてのライブはまるでテーマパークだった。
水が噴き出す。炎が上がる。ゆうに50mはある花道を縦横無尽に駆け回る。アンコールでリリーフカーが飛び出してきたときはパレードを見るような気分にもなった。
それでも一番印象に残っているのは、常に中心で底抜けに明るい笑顔を振りまき、夢だとか希望だとかを歌う女性だった。半ば強引にぼくを連れ出した従姉に聞くと、つい半年前に武道館3DAYSを完走したスゴイ人らしい。「武道館を3日間埋める」ということがどれほどスゴイことか、当時のぼくにはちっともわからなかったが、気恥ずかしいほど真っ直ぐなメッセージを全力で歌って、全力で踊るこの人は全力で人を幸せにしようとしているのだと思った。
これが水樹奈々との初邂逅の記憶であり、その半年後の紅白歌合戦を見てぼくはやっとこさ「スゴイ人だ…」と実感することになる。
あれから11年。ぼくは今「人」を好きになるコンテンツを追っかけている。この類のコンテンツは厄介で、主体も客体も変わっていくために一定のスタンスを取り辛い。そこが劇的なハマりを生み出すこともあるけれど、反対にふとした拍子に遠のいてしまうこともある。
嫌なことがある日に聞く真っ直ぐな奈々ソンは正直耳が痛いし、ぼくをこの沼に誘った従姉は結婚を境にライブに行くこともなくなってしまった。
こう振り返ると推し続けることの難しさ、みたいなものを感じてしまうが、水樹奈々について言えば自分のスタンスが変わることは殆どなかったように思う。熱狂的と言えるほどでもなく、無関心というわけでもない。
どんなに忙しくても年1回はライブに行くし、出演するアニメも基本的にはチェックするなどして、干支が約1周した。
それもこれも、結局ははじめてライブに足を運んだときのイメージが大きく外れていなかったことに起因しているのだと思う。
彼女は最高のパフォーマンスをするために努力を惜しまない。
図々しくも断言できるほどに伝わるものがある。
夢を歌い、希望を語る。
自ら率先して新しい夢に挑戦し続ける水樹奈々、変わらない水樹奈々だったからこそ、ここまで応援できたと思っている。
今日の吉報はただただ嬉しいばかりだったが、これも「変化」である。
せっかく11年も続けて来たぼくのスタンスも、今後何かが変わっていくのかもしれない。ツアー千秋楽の挨拶回りもやめて、いつかは年1回のライブすら行かなくなってしまうかもしれない。
ただどう変わっても、ぼくの10代から20代の間に水樹奈々が大きく横たわっていることは事実だ。疎遠になってしまったオタクたちとの楽しい思い出もたくさんあるし、従姉とは今も新曲の話をしたりする。
これらは全て、全力で夢を投げかけてくれた水樹奈々が与えてくれたものだ。今度は「側にある心穏やかな日常」も大切にしていく水樹奈々を死ぬ気で応援したい。
この人は世界で最も幸せにならなければならない人なので。
そも、こんなことで挑戦を終わらせる人でないことは百も承知。
20年間走り続けた「もう片方の日常」はこれを機に失速どころか、より一層パワフルになることをメッセージでも予言している。
振り落とされないよう、どう並走するかで今から頭がいっぱいだが、これからどう距離を変えようと、「変わらず」応援していけることは間違いないと思えた。
水樹奈々さん、ご結婚おめでとうございます。