
生成AI以後の戦史研究の変化
戦史を私的に研究する人たちをミリオタと呼んだ。彼らは誰にも頼まれていないのに戦史を読み研究を重ねた。
色々と思いつく内容をテストしてみたが、あっさりと答えてくる…
これはやばいな。
①Google以前
史料を多く持っている事が美徳とされた。なおかつ、各兵器のスペック(兵装、性能などの数値情報)を暗記している事が求められた。何かを語るにはまずその史料を保持している必要があった。その為に、私みたいに無駄だと思われるほどに史料を買い込んだものである。(最盛期の1/10くらいに減らしたけど)
②Google以後
検索が当たり前になってくるとスペックを覚えている必要は無くなった。
「ティーガーI型の口径は88mm砲」
「UボートVII型の乗組員の人数」
なんて検索すれば出てくるのである。覚える必要は無い。
すると、ミリオタたちはやりがいを求めて写真の解析や戦地の地図情報など検索ではフォローできない範囲にシフトしていく事になる。
(どうもそうでない人たちも多く確認されたが)
③生成AI以後
問題はここからだ。生成AIが登場してくると、今までは数年かけてやらねば不可能だった解析作業が一瞬で出来てしまう。
例えば、
第二次世界大戦時、ドイツのUボートがどこで何隻活動していたのか、エリア別に隻数の推移を表にしてください。
これは私がやりたくてしょうがなかったテーマの一例だ。
それが…
瞬殺なのだよ。

第二次世界大戦中のUボートの展開状況を表にまとめます。
# ドイツ海軍Uボート展開状況(1939-1945)
| 年 | 北大西洋 | 地中海 | カリブ海/米東海岸 | 北極海 | インド洋 | 合計稼働数 |
|------|------------|---------|------------------|---------|------------|------------|
| 1939 | 25-30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25-30 |
| 1940 | 40-50 | 5-10 | 0 | 3-5 | 0 | 48-65 |
| 1941 | 70-80 | 15-20 | 0-5 | 5-8 | 0 | 90-113 |
| 1942 | 85-100 | 20-25 | 75-85 | 8-12 | 5-10 | 193-232 |
| 1943 | 100-120 | 25-30 | 40-50 | 10-15 | 15-20 | 190-235 |
| 1944 | 80-90 | 15-20 | 20-25 | 5-8 | 8-12 | 128-155 |
| 1945 | 40-50 | 5-10 | 5-10 | 2-3 | 3-5 | 55-78 |
注記:
- 数値は各年の平均的な稼働隻数を示す概算値
- 同一艦が年内で海域を移動する場合があるため、合計値には重複を含む
- 修理・整備中の艦艇は含まない
- 1944年以降は連合国の対潜作戦の強化により急速に減少
この表から以下のような特徴が見て取れます:
1. 戦争初期は北大西洋に集中して展開
2. 1942年が最も展開数が多く、特に米東海岸での活動が顕著
3. 1943年以降は連合国の対潜作戦の強化により徐々に減少
4. インド洋への展開は比較的限定的で、1942年以降に開始
より詳しい情報や、特定の年や海域についての詳細をお知りになりたい場合は、お申し付けください。
ここには人生を掛けて史料を買い込んで分析してきた対価の全てなど、微塵も無い。
How(どうやって答えを出したのか)なんて全く不要で、
What(求めたい情報)をただ訊けば良いのだ。
試しに、日本船団… はい瞬殺。

中身の検証は必要とはいえ、もう困ってしまうレベルだ。
他には?
戦時の人々の食糧事情など生活レベルを調べています。 例えばドイツは他国から収奪していたので裕福。 ポーランドは悲惨。 分かる範囲で国ごとの状況を表にして教えてください。
このテーマも瞬殺か…

私達ミリオタはもっと前に進んで良いんだよ。
ドイツ機甲師団がソ連に侵攻した速度を、時間と緯度経度を使ってどの様に推移したのかグラフに。


夏休みの自由研究なんて1秒で終わっちまうレベルではないか
第二次世界大戦で地中海に派遣されたUボートのInとOutと撃沈推移をグラフで表してください。
はい、地中海でのUボートの活動状況を時系列でグラフ化します。
地中海Uボート活動状況 1941-1944
Click to open component
このグラフから読み取れる主要なポイント:活動規模の推移
1941年秋:初期展開(6隻)で活動開始
1942年夏:最大規模(約29隻)に到達
1943年以降:徐々に減少
1944年後半:活動規模が大幅に縮小(6-8隻程度)
新規配備(entering)のパターン
1941-1942年:積極的な新規配備(毎期4-8隻)
1943年前半:配備ペース低下(毎期2-4隻)
1943年後半以降:新規配備がほぼ停止
損失状況
1942年後半:最も損失が多い時期(毎期4-5隻)
1943年:継続的な損失(毎期3隻程度)
1944年:損失率は低下するも、新規配備も減少
特徴的な時期
拡大期(1941年9月-1942年6月):急速な戦力増強
転換期(1942年後半):損失増加による純減開始
縮小期(1943年-1944年):徐々に活動規模縮小
この活動状況の変化には以下の要因が影響しています:連合国の対潜水艦作戦の強化
北アフリカ戦線の推移
イタリアの降伏(1943年9月)
地中海での制海権の変化
より詳細な情報や特定の作戦についての分析が必要な場合は、お申し付けください。

更に深く
この結果を、北アフリカ軍団の活動と連合軍の北アフリカとシシリー島への上陸と合わせて考察してください。
# 地中海作戦における軍事活動の相関分析
## 第1期:拡大期(1941年9月-1942年6月)
### Uボート展開状況
- 展開数:6隻→29隻(最大時)
- 月平均新規配備:5-6隻
- 損失率:低(月平均1-2隻)
### 北アフリカ軍団の状況
- ロンメル軍の東進(第1次攻勢)
- トブルク包囲戦
- ガザラ線突破
- トブルク陥落(1942年6月)
### 補給路の状況
- マルタ島空襲による補給路確保
- イタリア商船団の比較的安定的な運航
- 英軍の補給路妨害は限定的
## 第2期:転換期(1942年7月-12月)
### Uボート展開状況
- 展開数:29隻→23隻に減少
- 損失増加(月平均4-5隻)
- 補充ペースの鈍化
### 作戦環境の変化
- トーチ作戦(連合軍北アフリカ上陸)
- 第2次エル・アラメインの戦い
- 北アフリカ軍団の後退開始
### 補給状況の悪化
- マルタ島からの攻撃再開
- 連合軍の制空権確立
- 補給船団の大規模損失
## 第3期:縮小期(1943年前半)
### Uボート展開状況
- 展開数:20隻程度に減少
- 新規配備の激減
- 継続的な損失(月平均3隻)
### 戦況の推移
- チュニジアでの戦闘
- 北アフリカ軍団の降伏(1943年5月)
- シシリー上陸作戦準備
### 補給路の崩壊
- 北アフリカ沿岸航路の喪失
- イタリア本土への補給路の脆弱化
- 連合軍の海上優勢確立
## 第4期:終息期(1943年後半-1944年)
### Uボート展開状況
- 展開数:12隻→6隻に減少
- 新規配備停止
- 残存艦の撤退開始
### 戦局の展開
- シシリー島上陸(1943年7月)
- イタリア降伏(1943年9月)
- イタリア本土での戦闘
### 作戦環境の完全な変化
- 地中海の制海権喪失
- 基地機能の大幅縮小
- 作戦継続の困難化
## 主要な相関関係
1. 補給路との関係
- Uボート展開数と補給成功率に強い正の相関
- 連合軍の制海権確立とUボート損失率に正の相関
- 基地機能の喪失とUボート作戦能力に直接的な影響
2. 地上戦との連動
- 北アフリカ軍団の進撃/後退とUボート展開の規模が連動
- 連合軍上陸作戦の成功とUボート活動領域の縮小が対応
- 戦略的重要性の変化と投入資源の相関
3. 戦略的転換点
- エル・アラメインの敗北(1942年10-11月)
- トーチ作戦の成功(1942年11月)
- チュニジアの陥落(1943年5月)
- シシリー上陸(1943年7月)
4. 作戦効率の変化要因
- 連合軍の対潜技術向上
- 航空優勢の確立
- 補給基地の喪失
- 情報戦での劣勢
## 結論的考察
1. 戦略的意義
- Uボート作戦は北アフリカ軍団の進退と密接に関連
- 補給路防衛の成否が作戦全体の帰趨を決定
- 地中海での制海権喪失が戦略的敗北の決定的要因
2. 作戦上の教訓
- 海上補給路の重要性
- 統合作戦の必要性
- 基地機能維持の重要性
- 柔軟な戦力運用の必要性
3. 長期的影響
- 地中海戦域での教訓が後の大西洋戦に影響
- 連合軍の対潜作戦発展の契機
- 軍需物資輸送の重要性の再認識
この分析から、Uボート作戦と北アフリカ戦線の推移には密接な相関関係があり、特に以下の点が重要だったことが分かります:
1. 補給路の確保が最重要
2. 基地機能の維持が作戦継続の鍵
3. 制海権・制空権の確保が決定的要因
4. 統合作戦の成否が全体の勝敗を左右
より詳細な時期や特定の作戦についての分析が必要な場合は、お申し付けください。
いや、むしろ。もっと感心したのはこれだ。
勿論、そうやってプログラムされているんだろうけど。
ドイツのアインザッツグルッペンの活動状況を、エリア別に表にして。
これは表を貼るのは辞める。自分で調べてもらえばいいことだから。
この話題の扱いには特に慎重を期す必要があります。
歴史的事実として、以下にデータを整理します。
(カット)
この資料は、以下の主要な特徴を示しています:
1. 組織構造
- 4つの主要グループに分かれて活動
- 各グループは軍集団の後方地域に対応
2. 活動パターン
- 初期は軍の進撃に追随
- その後、占領地での定着的活動へ移行
- 1943年以降は撤退と証拠隠滅
3. 地域的特徴
- バルト地域での早期活動開始
- ウクライナでの広範な活動
- 都市部と地方での活動パターンの違い
4. 記録の制限
- 多くの記録が意図的に破棄
- 地域により記録の精度に大きな差
- 1943年以降の記録は特に不完全
これらの事実は、戦後の裁判記録や歴史研究により確認されています。この暗い歴史の記録は、将来への重要な教訓として保存されています。