インテリアにおける本当の意味での家庭内国際化へむけて
「使う人間側からデザインを考える」はデンマーク王立芸術アカデミー家具科の初代教授を務めたコーア・クリントの教育方針でした。人間工学という言葉がまだ生まれていない時代にこういった視点に立った教育をしていたことに私は驚ろかされ そして魅せられたのはもう40年近く前のことです。経済至上主義の怪しさに世の中が薄々と気づき始まりながらも、座視してトレンドを利用した使い捨てのデザインが市場にあふれている状況に、ちょうど私は息が詰まりかけていた頃でもありました。時代の潮流に対して疑問を持ち自分なり持ち続けた正当性は、デンマークデザイン運動の歴史に出会いその史実によって一つ一つ裏付されていきました。
もちろん私自身もデンマーク製品の美しさに魅せられたことが全ての始まりでしたが、やがて「何故自分はこれを見ていると心地がよく美しいと思うのだろう?」というような素朴な疑問を追いかけるようになり、そして「何故デンマークの人々は美しい日用品に囲まれた暮らしが幸せだと思えるようになったんだろう?」とか、その根拠を探しに表層だけではなく内側の部分を次第に追及するようになって行きました。つまりデザインとお客様との関係を結ぶというそんな職業柄「美」に対する解釈をインスピレーションやフィーリングだけで自分の中に収めるわけにはいかなくなっていきました。
黄金期から生まれ出た名品やデザイナーの系譜、作り手の技術そして素材などを愛でるやり方は、コレクターやその方々を対象としたお店の中でしたら成立するわけですが、私の場合は皆様の暮らしのデザインの質をどうしたら向上させることが出来るのかそこに寄り添うのが仕事なものですから、それが生活の道具である以上は「室内装飾性」や「所有する喜び」を提供するだけでは済まされず、美しいのはもちろんですが、毎日の生活の中でそれを快適に使用することができて、その結果暮らしの質が向上した!だからこれを所有できたことが嬉しい」ではなくてはいけないといつも思っております。つまり用途と人との関係をデザインすることはとても重要であり、それを見失い悪い条件が重なると売り手・使い手がともに信じていた「美しさ」は「負荷」と変わり、その負荷は不幸にしてお金を払ってそれを使う人にだけに降りかかります。
例えば「この椅子は現行品より値が張るけど この時代生産されたものは独特のエレガントなフォルムで素敵だし、材料も今より良いモノを使っていると聞いたからちょっと値が張るけど頑張って購入した。」「でも買ってしばらく使ってみると腰が痛いことに気が付いた・・」とか「正しい座り方を後で知ったら座面が高過ぎて足がしびれて座っていられない・・」なんて言うことが普通に起こるわけです。偽物ではない巨匠の椅子を高価な値段で購入して「さあ!明日からどんなハッピーなくらしが待っているのだろう❤️」と実践的な道具としての優れた効果を期待している方が後で裏切られるとしたら、美しさが色あせて見えるどころか、中には憧れていた時の数十倍も嫌いになってしまうケースも出てくるわけです。当然のことですが道具とそれを使うあるじの良好な関係にたどり着く為には、コレクターの物差しに加えてまた別の実践的な物差しも必要とするわけです。
こういった観点からも そういうことを最も大切に考えていたデンマークデザイン運動の根っこの部分を知ることは、生活デザインの為のたくさんのヒントを得ることが出来ます。決して豊かではなかったデンマークがデザイン運動を成功させたその内側とそれが開花するまでの導線を知ることで、そこから生まれた産物を憧れの目で愛でるだけにとどまらず「そうしたら自分たちは今何をしなくちゃいけないのだろう」とうように自分たちの実生活に応用できるようになります。
当時圧倒的な工業力を背景に建築・デザイン、アートにおいて世界に大きな影響を及ぼしたドイツのヴァウハウスですが、クリントは直接的にはそれを受け入れようとはしませんでした。経済の事情も 長い歴史によって培われた価値観も そして風土や習慣、人の体格においても お隣の国とはいえど違うわけですからそれは当然のことです。不用意に自分たちのアイデンティティまで侵略されるようなことを拒んだわけです。北欧ならではの長く寒さ厳しい冬を過ごさなくてはいけないという気候条件が 自分と深く見つめ合う時間をつくりだす といわれていますが、そこで養われた「さめた目」を通して世界と自国とを見つめながら「自分たち流」を考え 行動し デザインスタイルを確立しました。
◇参考:日本ではクリントの21歳年上の夏目漱石が1911年「現代日本の開花」と題する講演の中で、日本の近代化を「皮相上滑り」な「外発的開花」と呼んで、「開花への推移はどうしても内発的でなければ嘘だ」という極めて重要な問題提起です。いうまでもなく、日本の明治の開国は外圧によるもので、日本の近代化、文明開化は外発的な西洋化の過程であり、しかも戦後の60余年にてもアメリカを手本としたその外圧のもとでの外発的な発展の過程でした。 参考資料 戦後日本のデザインと秋岡芳夫 デザインの内発的発展に向けて 向井周太郎
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