居づらい年末年始が終わってほっ
明日も仕事だというのに、韓国料理をいただきながらチャミスルで遅くまで飲んだ夜。
年末年始の連休が始まる前。ある同士と交わした言葉があります。
「お互い耐えような」
諸事情あって私は自宅から離れ、一人で暮らしています。
もう、10年は経つかな。
子供とは仲良くしてますけどね、きっといろいろ気を遣ってくれているのだろうなと思うと、ついついあまくなってしまう。
それはそれとして…
長く独身同然の生活をしているので、もはや家族と暮らすことの方が不自由してしまいそうな感じさえするわけで。
でも、それが「お互いに耐えような」という言葉に繋がっているわけではない。
その言葉を交わした同士(同志?)も、諸事情あるわけですが、残念ながら別居までは出来ていない。
その代わり、夫婦が同じ屋根の下にいないような時間の勤務を選んでしのいでいる。
ところがさすがに正月は家族一緒にいるべきだろ。と、お互い意思確認をしたわけでもなく思いは一致していて、それが年末の「お互いに耐えような」という相互激励につながったわけです。
なんだかなぁ…
正月の連休が終わり、日常に戻った瞬間こそ寂しさはあったものの、そこから仕事が始まり、仲間との交流も再開するとあっという間にそれは薄れた。
結局、一人がいい。
それに慣れているというのはあるけど、何より気を遣わない生活ほど楽なプライベートはない。
そういえば、年末に「お互いに耐えような」と言葉を交わした同士は、無難に正月を乗り越えたのだろうか。
今夜は久しぶりに連絡してみようかな。きっと夜勤で忙しいのだろうけど。